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物集女に愛宕灯籠を追加

嵐山から松尾神社を経由して桂へと至る南北の一帯に、仮に一続きの意味や一体感があると仮定すれば、その背骨の少なくとも一部になっているのが物集女街道ということになります。

物集女の愛宕灯籠としてくくったのは、山陰街道や西国街道という東西のラインへのアンチテーゼとして、南北ラインを示したいという愛宕的野心だったのでしょう。

なるほど、若き日の(1年以内だけど)その野心は、今もなお正鵠を射ているのではないかと思います。愛宕山のすぐ裾野には保津川→桂川という大きな水が流れており、平地に至って嵯峨野太秦へと東進するのが主流だったとしても、そのまま川を伝って南下するものがないのは、それはそれで不自然だと思うのです。

桂辺りでは山陰街道ラインと、吉祥院辺りでは西国街道ラインとぶつかってその印象が飲み込まれてしまうものの、松尾や上桂の辺りで見つかる灯籠は、まさに愛宕直通南北ラインのあり様を示しているのだと思います。

というわけで、今回、追加で見つかったのが448_。074_のすぐそばでした。
074_も夏の盛りは茂みに抗えませんでしたが、今回はどうにか姿の一部をとらえられました。

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448_西京区山田葉室町

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074_西京区松尾上ノ山町(再掲)




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by fdvegi | 2018-04-19 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大枝の愛宕灯籠

大枝と書いて「おおえ」と読みます。
昔は「おおい」と呼んでいて、それが京都と亀岡の間の「老ノ坂」になったという説もあります。

そして、鬼で有名な大江山も実はここじゃないか、少なくも、ここも「オオエヤマ」で、鬼のような悪党が山中に潜んでは、夜な夜な京の都を脅かしていたのだろう、といわれています。
なるほど、距離感的にはこちらの方が非常にすっきりしますね。酒呑童子の首塚もあるし。

さて、そんな大枝の旧山陰街道沿いで見つかりました。もう少し西へ進めば沓掛(くつかけ)です。
沓掛も住所的には大枝なので、ひっくるめて大枝カテゴリーにしてしまうのもアリなんでしょうけれど、沓掛はすでに大原野と一体にしています。

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445_西京区大枝中山町


そして、この445_、見るからに太い。独自色が強いので何とかしたいなぁと思っていたところ、歩いて3歩くらいのところに別の灯籠が見つかりました。
ものすごく立派な、いかにもな神社の灯籠です。
明らかに愛宕灯籠とは異なるもので、南に向かっています。
北面する側に「奉灯」と書いてあるので、南側に神社の類があるという事でしょう。

近くには大枝神社や児子神社という、有名じゃないにしろ格式高い神社がありますが、いずれも灯籠よりは北側・山寄りです。
南にそんなのあったかな、と思って地図上を探してみると、国道9号線を越えて向こう側に大枝稲荷神社というのがありました。おおー。

国道9号線にぶった切られてすっかり別エリア扱いでいましたが、元々ここは南北に分断された地域ではなかったのですよ。きっと。
むしろ、南北の道をメインに、それに沿って形成された集落だったんではないでしょうか。目と鼻の先に別の神社の灯籠を置くということは、文化圏というか精神圏としても南北の道を境に分かれていたとも考えられますね。

そこに団子を串刺しにするように旧山陰街道が通っていた。
そして、445_の愛宕灯籠はといえば、旧山陰街道には面しておらず、南北の小道に面しています。
沓掛の009_が山陰街道に面しているのとは明らかに異なります(444_は平成3年と真新しい部類なので考え方が別と思いましょう)。

そういうわけで南側の集落をダメ元で捜索してみたところ、なんと出てきました。
豪快に掘り返し尽くされた感のある洛西ニュータウンのギリギリ外縁に奇跡のように古い一帯があって、愛宕灯籠も残っていたのです。

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449_西京区大枝東長町


うむ、東を向いています。
土地って変わるのですね。




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by fdvegi | 2018-04-04 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大原野・沓掛に愛宕灯籠を追加

大原野に一基、追加で発見しました。
森神社のほど近く、089_のすぐ最寄りにありました。
これだけ近いのも珍しいし、見れば見るほど寺社仏閣が密集していることがわかります。

今日でも、左京区の比叡山のふもと辺り、一乗寺修学院の山側には寺社が密集し、地域全体に底冷えしてむせ返るような稠密な静謐感がありますが、大原野の山よりも元はそんな感じだったのかもしれません。

京都縦貫道も罪作りです。
というか、小塩山と比叡山の売り方・身の御し方に由来するのかもしれません。
あるいは、左京区の方は大小複数の山が層をなして密室感を高めていますが、大原野の方はその名の通り小塩山からダァーッと平地になっているのが大きな違いかもしれません。

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443_西京区大原野北春日町


うっすらと、しかし確実に「愛宕山」を感じさせます。
このカスレ感にこそ、山おろしの風の強さと時間の重みとを感じたい。


もう一つが沓掛です。
亀岡との玄関口、山陰道の京都の入り口に一つだけというのはいかにもさみしく思っていたところですが、やはりもう一基見つかりました。
こちらは平成3年設置。

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444_西京区大枝沓掛町


捜索開始から間もない頃にカバーした地域の再捜索をしています。
我ながら腕を上げている気がします。




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by fdvegi | 2018-04-02 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

桂周辺の愛宕灯籠、追加

にまだありました。
見落としというか、そんなところにあるのか、という感じ。
人んちの軒先です。


こういうのって、個人の所有物になるのでしょうか。
だとしたら撮影にも掲載にも許可がいるんでしょうけど、誰から買ったんだろう。
おおもとの土地の所有者ですかね。
そのあたりちゃんと調べないと後々まずい事になるのだろうか。。


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309_西京区川島滑樋町




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by fdvegi | 2017-11-19 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大原野・沓掛の愛宕灯籠

灯籠を追いかけ回しているうちに、あっさりと秋になってしまいました。
先日は十五夜の月がまぶしく、取り囲む雲には鈍い虹色が反映されていました。幽玄丸出しです。
冷えた夜気を感じながら熱燗を飲んでいると、炎天下の嵯峨・太秦がますます懐かしく、愛おしく思えてきます。秋の郷愁ですね。


さて、大原野です。
長岡京市と京都市西京区洛西タウンの間に広がる、まさに大きな原野ともいうべき一帯。
長い間、長岡京市に出入りしていましたし、洛西タカシマヤにもよく行っていたので通過はしていたのですが、驚くほど意識に上がってこない構造になっていると思います。この大原野という場所。不思議です。

奈良に有名な春日大社がありますが、奈良平城京から京都長岡京へと都を移した際に、その春日大社を小さくして京都へ持ってきていました。
それが大原野神社といいまして、この大原野の奥の奥、京都盆地の西端、小塩山の山すそにあります。
夏場のジョギングで走りに行って初めて知りました。
歴史の古さとしては、左京区よりも西京区の圧勝なのかもしれません。

灯籠はその大原野神社の周辺と、よくわからないけど東側の一極に集中している感じでした。
小集落をひとつひとつ丹念に探せばもっと出てくるような気もします。
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090_西京区大原野南春日町


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015_西京区大原野南春日町

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010_西京区大原野北春日町

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089_西京区大原野北春日町

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014_西京区大原野南春日町


小休止。ここまでが地図の左側。大原野神社周辺です。
010_が一番わかりやすいところに立っていて、ジョギングのコース上です。
それまで左京区でしか意識していなかった愛宕灯籠を、京都市内の西側で初めて、しかも不意に見つけたものですから、頭では何となくわかっていたものの、改めて、分布の広域さに感心したのを覚えています。


この先は地図の右側。
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243_西京区大原野上里南ノ町

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242_西京区大原野上里北ノ町

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241_西京区大原野上里北ノ町

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238_西京区大原野石見町

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237_西京区大原野上里南ノ町


ここまでが地図の右側。大原野には江戸時代みたいな小さな集落が散在していて、そのいくつかに灯籠が残っていました。
家の軒先で明らかに崩れつつある238_とか、我ながらよく見つけたなと思います。
242_は愛宕かどうか少し迷いはあるものの、小集落での密集感や位置関係からすると、そうであってもよかろうと思われます。確かなことは、はい、わかりませんが。


最後に沓掛に一つ。地図の左上の一つです。

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009_西京区大枝沓掛町


亀岡市との境界で、山陰街道の玄関口です。
亀岡市には市内だけで203基の愛宕灯籠が確認されています(「愛宕灯籠 私たちの身近にある石造物を訪ねて(平成6年)」より)。
一大集積地である亀岡から山陰街道を経由して京都市内へ流入して来たのか、それとも京都市と亀岡市それぞれで拡散・分布した灯籠が、この場所で面と向いて向き合ったのか。
どういう展開だったのだろう。




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by fdvegi | 2017-10-07 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

物集女周辺の愛宕灯籠

桂駅から西に漸進すると南北に通っている道があります。
それが物集女(もずめ)街道で、東西に走る山陰街道と西国街道を、京都盆地全体のほぼ西端でバイパスする役割を果たしています。
物集女周辺というのは、より正しくは物集女街道沿いの、ということになるでしょう。
物集女という名前ですから、有名な大原女と同じように、そういう女の人たちがいて、それが地名に変わっていったのかと何となく思っていたのですが、どうも全然違うようです。


「もずめ」の「もず」は、大阪府堺市百舌鳥(もず)が元になっているとのこと。
大阪南部に住んでいた人たちがここへ移り住んできて、そのために地名も「もず」関係になったというのです。
その「もず」の人々が何者かというと、土師氏(はじし)といって土木造営集団だったそうです。有名な仁徳天皇陵など、大阪南部に大きな前方後円墳がありますが、そういうのを作る人たち。
物集女のある京都盆地の西側一帯もまた古墳の宝庫になっており(乙訓古墳群)、このことが「もず」の人々がここにいたことの有力な根拠になっているようです。

さて、ここで気になるのは、吉祥院で紹介した菅原道真のひい爺さんです。そう、土師古人でした。もろに土師ですね。平安京遷都に際して奈良から京都に引っ越してきて、吉祥院の地をもらったという話でした。

どこかに8世紀末の記録が残っているそうで、それによると、土師さんという一族(土師氏)には4つの大きな分家的なもの(氏族)があったそうです。
今の奈良市内の菅原町と秋篠町あたりに居住した二氏族、大阪府堺市百舌鳥と南河内の古市あたりを本拠とした2グループ。
彼らが相次いで改姓願いを提出し、新しく菅原氏、秋篠氏、大枝氏が誕生したんだそうです。
8世紀末ということですから800年頃、ちょうど794年ウグイス平安京ができたばかりの頃ですね。

つまり何かというと、同じ土師さんという親戚筋の人々がいて、奈良と大阪南部に分かれて住んでいた。
奈良の土師さんは吉祥院に来て菅原さんに改姓した。
それよりも前から大阪南部の土師さんは京都盆地の西側に来ていて、土地の名前を故郷である「もず」に変えていた。
ということのようです。
大枝という名前も、物集女の北にある山や地名に残っています。

さらにさらに、京都盆地西部「もず」の土師さんに土師真妹という女性がいました。この人が高野新笠という娘を産みました。そして、高野新笠は息子を産み、それが後の桓武天皇になりました(ここのサイト にいろいろ教わりました)。
桓武天皇が何をしたかというと、奈良の平城京を引き払って京都西部の長岡京を作り、さらに長岡京を引き払って平安京を作ったのです。

そうなるとですよ、桓武天皇は大阪南部系の土師氏の流れなので、最初は、大阪南部系の土師氏の作った京都盆地西部に都を移した。それが長岡京。
→しかし、いろいろ失敗した。
→それでは、と今度は京都盆地中心部に都を移そうと思った。それが平安京。
→長岡京は、大阪南部系の土師氏関係で失敗したので、今度は奈良系の土師氏を呼び寄せた。それが土師古人さんだった。
→せっかく来てくれた遠縁の土師古人さんに、お礼として吉祥院の土地をあげた。古人さんは苗字を菅原に変え、菅原道真が生まれた。
と、まぁそういう話になるのでしょう。

そもそもどうして大阪南部の土師さんたちが京都西部にやって来たかはわからぬままですが、とにかく京都盆地西部(乙訓地域)と京都市内南部(吉祥院)は、親族関係にあったということのようですね。

いや、長くなりました。
愛宕灯籠とは全然関係ないんですけど、とにかく歴史が古くて因縁深い土地のようです。

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073_西京区山田上ノ町

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074_西京区松尾上ノ山町

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160_西京区山田上ノ町

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088_西京区御陵塚ノ越町

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038_西京区樫原上ノ町

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037_向日市物集女町

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087_向日市物集女町

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075_西京区樫原杉原町

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097_西京区樫原内垣外町


073_は生垣に飲み込まれすぎてほとんど目視確認できないのですが、「愛宕」の確認がなされているそうです。

075_は「愛宕」確証がないのですが、樫原三ノ宮神社の中です。

097_もまた「愛宕」確証がないというか、むしろ違う字が刻まれているので明らかに違うのかなと頭でわかってはいるのですが、三ノ宮神社にすぐ隣接する洞雲寺というところにありまして、愛宕神社って元が白雲寺という寺ですので、つい「〇雲寺」系って外せなくなってしまうのです。





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by fdvegi | 2017-09-23 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

久世周辺の愛宕灯籠

桂駅から少し南下し、桂川に沿って東に寄ったエリアです。
桂川の向こうは吉祥院です。


国道171号線と東海道新幹線が並行して南北を貫いており、感覚的には、生活の息吹なんてあり得ない場所だと思っていました。
が、ここでもだいぶ驚きました。いざ行ってみると、生活感がありありとしています。すごい。

有名な西国街道が通っている場所ですから、交通の要衝だったのですね。
橋のたもとには今も(元は)川魚料理屋(だったと思しき店)が残っていて、興味をそそられます。
渡し船を待つ人が近くに宿をとって、腹ごしらえをしたり、何かお楽しみを見つけたり、そういう場所でもあったのかもしれません。

新幹線の線路と大きな国道に挟まれた一帯にいたっては、ほとんどデッドスペース的な先入観的がありましたが、ここにも、南北垂直の線路・道路作りの横暴を暴くような、南西から北東に抜ける旧街道の痕跡が残っていました。
大きな農家が軒を連ねていたのだと思います。

京都郊外は、昔から近郊農業によってわりと裕福だったという話を聞いたことがあり、話自体は長岡京市を例に出してのものではありましたが、久世周辺もそうであって何ら不思議はありません。

面白い場所です。

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170_西京区牛ケ瀬青柳町

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171_西京区牛ケ瀬弥生町

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174_南区久世上久世町

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173_南区久世上久世町

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172_南区久世上久世町

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176_南区久世川原町

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175_南区久世殿城町

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180_南区久世上久世町


180_が愛宕灯籠だったと主張する理由は正直ないんですが、元は灯籠だったのではないかと思われる石柱の上に、後になって街灯が設置されている様子が、土地に灯籠の系譜が息づいているようで面白いです。


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by fdvegi | 2017-09-22 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

桂周辺の愛宕灯籠

さぁ、いよいよ桂川を渡ります。
橋を渡るといえば、(少なくとも初期の)ドラゴンクエストでは橋を渡ると途端に敵が強くなりました。
北斗の拳では、橋ではないけど小舟で渡った修羅の国で、それまで相当強かった人がいきなり脚を一本もがれて登場し、次いで、煙の先からその片脚を手に仮面の男が現れました。

どういうわけか、それらの印象がやたらと強く残っていて、大きな水を渡るのは今もいたずらに緊張を強いられます。
この言い知れぬ恐怖は、三途の川の話とか、因幡の白兎の話とか、意外と生命原初の記憶なのかもしれません。
閑話休題。


桂は別に恐怖の場所ではありません。
有名な桂離宮があったり山陰街道が通っていたりと、歴史の趣き深い場所でした。
桂川をはさんで西京極と隣り合っています。

それまでほとんど行ったことがなく、行ってもせいぜい桂駅でしたので、驚いたというのが正直なところです。それも心底驚きました。ものすごい古い。

しかし考えてみれば、なるほど、東に京都市街、北に嵯峨・嵐山を擁しており、交通の要衝にならないわけがありません。

灯籠もかなりたくさん見つかりました。
まずは、桂駅の東側(右側)から。

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147_西京区桂徳大寺町

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148_西京区桂徳大寺町

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163_西京区桂久方町

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162_西京区桂春日町

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091_西京区桂朝日町

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164_西京区川島北裏町

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168_西京区下津林楠町

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169_西京区下津林楠町

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157_西京区桂徳大寺町

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167_西京区下津林楠町

ここで小休止。
162_が吉祥院で言及した春日神社の対になっている愛宕灯籠です。かなり珍しい例だと思います。
遊び心があるか、特にこだわりのない神主さんが設置(を許可)したのでしょうか。

167_は、パッと見は非常に愛宕灯籠的で、この近くにも愛宕灯籠があって、しかも明治元年の設置です。
なのに、「愛宕」の文字が見えない。
非常に微妙なところなのですが、確証なし例としておきます。

次から、桂駅の西側(左側)です。

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064_西京区上桂東居町

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008_西京区上桂西居町

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161_西京区桂乾町

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092_西京区桂巽町

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166_西京区川島玉頭町

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165_西京区川島玉頭町


以上、右京区が出所の愛宕灯籠を、西京区にて、あえて東側から紹介しました。
西京区は、地味に、京都市内のどの区よりも数が多そうです。





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by fdvegi | 2017-09-21 00:30 | 京都在住 | Comments(2)