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和束町の愛宕灯籠

茶の里和束町です。
和束町自体がHPを作って公開してくれています。
ここ行くの?という細道をぐいぐい進んで行ったら本当にあった、という感じで、HP情報なしにはまぁ見つからなかったろうなと思われます。
同様の集落がきっと他にもあるんだろうなと思うと、じゃっかん途方にくれますね。

それにしても、どうしてこんな茶畑の奥にまで愛宕灯籠があるのか。謎すぎます。
が、ウィキペディアで宇治茶を調べると意外な記述が出てきます。

宇治茶発祥の地
鎌倉時代初めの1207年、宇治の里人たちが茶の種を植える方法に苦慮していた際、たまたま通りかかった、当時では茶文化の主流とされていた栂ノ尾高山寺(栂ノ尾産の茶葉は本茶、それ以外は非茶とされていた。)の明恵上人が畑に馬を乗り入れ、できた蹄址に茶の種を蒔くように教えたとされる。「栂山の尾上の茶の木分け植えて、迹ぞ生ふべし駒の足影」は明恵上人の短歌。この明恵伝説を記念した石碑、駒蹄影園址碑(こまのあしかげえんあとひ)は萬福寺門前に大正15年(1926)に宇治郡茶業組合により建立されたものである。

なるほど、今や宇治茶の名前が歴史的なものとして知れ渡っていますが、もう一つ奥を掘り起こせば、その大本の起源は栂ノ尾(とがのお)ということのようです。
栂ノ尾というのは右京区の山深いあたりのことで、これもウィキペディアによれば、古くからの霊場であり、また畿内における茶栽培発祥の地なのだそうです。
そして、高雄山を挟んですぐ隣に愛宕山。
今でもトレイルランニングで行けてしまう距離感のよう。

というわけで、和束町には茶を介して愛宕の系譜がある、ということです。
伝説では馬上から一回教えてそれっきりとなっていますが、実際には、ある程度腰を据えて茶づくり指南したことでしょう。
そして実際に指導にあたったのが、上人配下というか右京の修行者たちで、灯籠自体はもっともっと後になって建てられたとは思いますが、つまりは愛宕に関連する修験者たちがそこに根を下ろしたのだと思われます。


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431_和束町石寺

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432_和束町石寺

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433_和束町石寺

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434_和束町石寺

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435_和束町石寺

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436_和束町下島

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474_和束町白栖

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476_和束町撰原

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478_和束町別所



篤い信仰として息づくのか、それとも何らかの習慣として何気なく残るのか、その辺はよくわかりませんが、ひとたび土地に落ちついた「愛宕」は、馬の蹄が地面を穿つように、石に文字で刻み込まれることをもって、地中に打ち込む杭のように、しっかと根を下ろすのでしょう。
ぼく それ 見つける人。

星野リゾートが進出するそうですので、オリンピックの頃にはすっかり様変わりしているかもしれません。




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by fdvegi | 2018-06-19 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

滋賀で愛宕灯籠を追いかけ回す

ご無沙汰になっております。
目下、滋賀を中心に愛宕灯籠を追いかけましたり、想像を巡らしたりしています。

これまでどおりエリアごとに小さくまとめ、記事としてここにも投稿したいのですが、なかなか追いついていません。
もう少し時間がかかりそうです。

京都の中でもちらほらと追加が見つかっているし、そもそも京都の全部を紹介しきれているわけでもないのですが、しばらくはインスタグラムを見ていただけると幸いです。
一日一基、日々紹介をしています。


現在は、環琵琶湖愛宕ベルト(英:Trans Lake Biwa Atago Belt (TLBAB))を定着させよう滋賀特集に励んでいますが、全然です。
無念。

それもあって、琵琶湖を離れて大滋賀域というか、もう少し大きなくくりで物事をとらえてみたいと考え中です。



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by fdvegi | 2018-06-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

久御山町の愛宕灯籠

城陽を紹介して、ようやく南側の書き方に端緒を見いだせた気がします。
次は久御山町(くみやま ちょう)。
ウィキペディアによると、「久世郡」の「御牧村」と「佐山村」が合併してできた町とのこと。
なかなか上手な命名だなと思います。響きがきれい。

さて、それで愛宕灯籠ですが、驚いたことにここにもあります。まじで、と思わずにいられなかった。
というのも、なかなか失礼な話ではありますが、久御山って元々は巨椋池という巨大な池(の跡地)とその周りにある途方もない農地というイメージだったのです。

言葉は違いますがイメージでいうと、そう、荒野ですよね、アメリカ映画なんかの西部。
しかーし、ふたを開けてみるとしっかとあった。
しっとりとした重厚感のある集落があった。
だから灯籠もあった。

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260_久御山町佐山

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361_久御山町下津屋

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378_久御山町市田

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379_久御山町市田

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380_久御山町市田

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381_久御山町池之坊


大半は旧佐山村ですが、しかし旧御牧村にも見つかっています。
それが381_です。
2つの愛宕灯籠が立ち並ぶ姿は今のところこれと260_くらいでしょうか。
久御山町の特徴ですね。

380_は織部灯籠という形式のようで、もっぱら愛宕灯籠に使われていることはありません。
これが唯一です。
となると、これが本当に愛宕灯籠なのかという疑念が生じてくるわけですが、はい、恐らくそうです。
379_と一直線上に同じ通りの上にあるし、火袋を見ると、明確に使われている感があります。
装飾美の世界である織部灯籠が実際に使われている、煤が付いているのってほぼほぼ見かけません。
これは、もともとの愛宕灯籠の脚の部分が細るか折れるかして、そこだけを交換したんではないかと推測されます。

361_は式内社室城神社という神社にありました。移設でしょうか。
奈良時代に創始されたそうです。
それを考えるとやはり、文化そのものは奈良から木津川に乗ってやってきたのかもしれません。
そして後に川をさかのぼって愛宕の文化がやってきたのだろうか。

昔やった軍事シミュレーションゲームみたいに、超早回しで時代の変遷を追ってみたい。




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by fdvegi | 2018-05-19 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

城陽南側の木津川周りの愛宕灯籠

城陽市内を少し南に下って、木津川沿いです。
木津川沿いに神社があって、その神社に灯籠もあります。
いつの段階かに神社へ移されたんではないでしょうか。

川にそって集落が作られ、川に乗って文化が伝わったのでしょう。
川自体は、愛宕山のある北西に向かって、愛宕山からは遠くなる南東から流れていくことを考えると、「上り」の船便が出されていたんですかね。
そもそも、ここらが京下りの文化なのか、古都奈良上りの文化なのか、気になるところでもあります。

旧枇杷庄村(論文より)
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365_城陽市枇杷庄

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366_城陽市枇杷庄


旧水主村(論文より)
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367_城陽市水主

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368_城陽市水主


富野荘
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364_城陽市富野


奈島
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371_城陽市奈島

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372_城陽市奈島


奈島の372_は賀茂神社の鳥居のすぐ足元にあります。
奈良に加茂神社があるのは存じていましたが、こんなところにもあるのですね。
賀茂族恐るべし。

それに何より、この灯籠のすぐ近くに「城陽」という酒蔵があります。
京都の酒といえば、伏見とその他、あとは日本海側、くらいのイメージしか持っていなかったので驚き半分で飲んでみましたが、ひゃあ、おいしい!
ぼくは伏見よりも断然好きです。

なお、ここでも旧枇杷庄村と旧水主村の分は山本論文でカバーされています。




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by fdvegi | 2018-05-13 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

宇治から城陽にかけての愛宕灯籠

村の境界に関する一考察」という学術論文があって、園田学園女子大学の山本紀世子という教授が講師時代の1992年に、古老の話を聞くなど当時の史実を足で追いかけて調べ上げた記録です。
なので、その報告はなかなか迫力があります(論旨の良しあしはわかりません)。

お地蔵さんやお祭りを「村の境界を示すもの」として扱っており、愛宕灯籠は「お地蔵さんの他にも・・・」程度の扱いです。
これには、「道祖神的な役割とは異なる機能も持つ。むしろそっちが主か」とするぼくの素人的愛宕灯籠観とは相いれない節はありますが、とにかく、その見取り図は有益です。

というわけで、論文の愛宕灯籠たちを追いかけてきました。

宇治市大久保(旦椋神社)
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362_宇治市大久保町

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363_宇治市大久保町


旧平川村(論文より)
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377_城陽市平川

旧寺田村(論文より)
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373_城陽市寺田

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374_城陽市寺田

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375_城陽市寺田

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376_城陽市寺田



旧寺田村の375_と376_は一見すると到底愛宕灯籠には見えません。
ただ、山本教授が調査の中で古老をはじめとする地元の人たちから聞き取りを行ったことは想像に難くなく、少なくとも人々が愛宕灯籠として取り扱っていたのだと考えてよいと考えています。

旧平川村の377_に至っては場所も変わっているようでした。
元々、蓮開寺の近くにあったのだと思われますが、周囲がかなり宅地開拓されており、そのあおりで平井神社の境内に移動したのではないかという見立てです。境内の中でもかなり不思議な場所にあります。
愛宕灯籠っぽくない形なので実は全く関係なく、論文で示された愛宕灯籠はすでに撤去された、という顛末の可能性も否定はできません。

論文の管轄外ですが、少し北の宇治市大久保というところには旦椋神社(あさくら じんじゃ)という変わった読み方をする立派な神社がありまして、ここにも2基ありました。
移設なんじゃないかなとは思うけど、ここに挙げた7基は基本的にスドーンと北から南への一直線の帯の上に位置してます。
ちょっとわくわくする感じです。




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by fdvegi | 2018-05-07 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

高島市の愛宕灯籠

愛宕捜索を始めて以来、長らくの間、最北でありつづけているのが高島市のこの灯籠です。

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233_高島市安曇川町田中


正直、どうしてここにあるのかさっぱりわかりません。
移設されてここへきているようですが、それしたって何十キロも移動させたわけではないでしょうから、元々高島辺りなんだろうと思われます。

西近江路の果てなのかもしれませんが、西近江路という意味では、この灯籠の一つ南が比良の451_で、だいぶ離れています。
間に分断があるといって差し支えないレベルだと思います。

次に考えられるのが山側からの影響ですが、朽木に辺りに見つけられていません。
葛川の235_止まりです。これもだいぶん離れています。

むむむー。




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by fdvegi | 2018-05-03 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市比良の愛宕灯籠

これまで右手に琵琶湖に見ながら西近江路を北上してきました。
ウィキペディアによると西近江路は大津市衣川というところから始まるそうですが、その真隣というか一部みたいになっているのが堅田です。

その堅田に端を発し、真野小野和邇蓬莱木戸荒川と、もう石灯籠にあふれておりました。
湖西のみならず滋賀の灯籠文化はすごいとしか言いようがないというのが実感です。

で、名もなき灯籠たちに紛れて確かな存在感を放っているのが愛宕灯籠と秋葉灯籠ですが、もう一つ着実に存在を主張しているのが白髭神社へのルートを示す白髭灯籠です。

思えば、堅田から仰木へ行く道、つまり西近江字とは直交する交差点のそばに白髭灯籠がありました。
西近江路は「白髭街道」でもあったのかもしれません。

さて、近江舞子でもようやく一つ見つかりました。やっとあった。

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左隣には気になる石造物もあります。
ここまで上ってくると比良山信仰なんかも入り混じっているのかもしれませんね。

嘘(フィクション)か誠(史実)か、こういう話もあるようです。

京の都を囲んで天狗が棲んだ山は、愛宕山、鞍馬山そして比叡山。
このうち比叡山にもともといた天狗は、愛宕山の太郎坊と並ぶ大天狗でしたが、天台宗を興した最澄らの法力の強い僧が比叡山に入って来たことから、比叡山を出て京の隣、近江国(滋賀県)の琵琶湖を臨む比良山に移ったとされています。この大天狗の名前は日本の八天狗に数えられる「比良山治朗坊」。

言うまでもなく興味深いですね。




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by fdvegi | 2018-04-28 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

湖西山側にも愛宕灯籠を追加

同じ伊香立の下龍華では見つかっていたので、上龍華にないはずはない、と思いつつも一向に見つけ出せずにいました。それがようやく見つかりました。
しかも、あるべきところにちゃんとあった、という感じです。
けっこう熱心に探していたつもりだったんですが、まだまだ甘かったです。

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457_大津市伊香立上竜華町


とにかく、これでぐぐっと山に入り込みました。

相変わらず、大原以北(以東)の古知平や小出石、途中峠、さらに同じ伊香立でも西側(在地町辺り)では見つかっていません。
そうなると、龍華の灯籠は上下いずれも琵琶湖側からやってきたのかな、という気はしますが、引き続き捜索したいと思います。

はたして左京区と琵琶湖西岸は愛宕灯籠でつながるでしょうか。




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by fdvegi | 2018-04-24 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

物集女に愛宕灯籠を追加

嵐山から松尾神社を経由して桂へと至る南北の一帯に、仮に一続きの意味や一体感があると仮定すれば、その背骨の少なくとも一部になっているのが物集女街道ということになります。

物集女の愛宕灯籠としてくくったのは、山陰街道や西国街道という東西のラインへのアンチテーゼとして、南北ラインを示したいという愛宕的野心だったのでしょう。

なるほど、若き日の(1年以内だけど)その野心は、今もなお正鵠を射ているのではないかと思います。愛宕山のすぐ裾野には保津川→桂川という大きな水が流れており、平地に至って嵯峨野太秦へと東進するのが主流だったとしても、そのまま川を伝って南下するものがないのは、それはそれで不自然だと思うのです。

桂辺りでは山陰街道ラインと、吉祥院辺りでは西国街道ラインとぶつかってその印象が飲み込まれてしまうものの、松尾や上桂の辺りで見つかる灯籠は、まさに愛宕直通南北ラインのあり様を示しているのだと思います。

というわけで、今回、追加で見つかったのが448_。074_のすぐそばでした。
074_も夏の盛りは茂みに抗えませんでしたが、今回はどうにか姿の一部をとらえられました。

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448_西京区山田葉室町

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074_西京区松尾上ノ山町(再掲)




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by fdvegi | 2018-04-19 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

花脊の愛宕灯籠

幡枝人さんから情報提供いただきました。
驚きの花脊。

松上げあるところ灯籠なし、の理論で行くと花脊に愛宕灯籠はないはずでした。
が、ありました。
しかし、幡枝人さんがすでに先回りして、松上げをしているのは花脊でも八桝という場所で、この灯籠がある別所というところは、同じ花脊でも南側だと教えてくれたのです。
なるほど!

そういうわけで、鞍馬の奥の奥の奥へとえんやこら行ってきました。
九十九折りという言葉そのままの、すごい道。
すごい道の先に集落あるのも驚きでした、ほんとに。

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458_左京区花脊別所町


この灯籠です。
大工さんがちょうど隣の祠を修理していたので聞いたところ、元々はもう少し北の不便なところにあったそうです。
それを移して来られたそうで、周辺にはもう愛宕灯籠はないということでした。

まさに最果ての灯籠であり、山ごと焼くという愛宕信仰の原形に最も近い位置にある灯籠です。
松上げの残り火がここで灯籠に移されたのだと、そう虚構化したいレベル。
お札箱の装飾も、鞍馬二ノ瀬市原岩倉へと南へ受け継がれていきます。

実に興味深い。




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by fdvegi | 2018-04-13 00:30 | 京都在住 | Comments(0)