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守山市木浜の愛宕灯籠

堅田から琵琶湖を隔てた向こう岸が守山です。琵琶湖大橋で渡れます。
最近ではピエリ守山が有名ですし、第一なぎさ公園では折々の花畑を楽しめます。

堅田衆なる町人が大いなる勢力を誇った自治都市の対岸ですので、少なからずその文化的影響もあろうかと探しに行ってきました。
すると、木浜という集落の中の一つの通りで2基発見。
けっこう躍起になって周辺を探しましたが他には見つからず、不思議とその通りだけでした。
何なんでしょうね。

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守山市のHPに木浜についての若干の記載を発見しました。
わずかながら堅田との関係にも触れられています。

寛永年間、徳川幕府から守山宿に制札が下されると、街道の整備とともに宿場が整い、朝鮮通信使が東門院で宿泊するなど、京発ち守山泊まりとして賑わい、また、花市は京、大坂にも劣らない活気があったということです。
湖岸周辺では新田開発やエリ漁が盛んになり、木浜はその親郷となり、対岸の堅田まで届くような大きなエリが設けられたほどです。

というわけで、かなり栄えた港町だったようです。
堅田湖族という人々は時には海賊行為までして水上での権勢を示威したようですので、守山や木浜もその影響下にあることは免れ得ないイメージでいましたが、なかなかどうして、海賊の鼻先で漁をしていたわけですから、文字通り向こうを張っていたのかもしれません。

木浜からは少し離れてはいますが、守山の中心は引用にも出てきた比叡山東門院守山寺で、その名の通り比叡山の僧房の一つであり、かつ、桓武天皇ゆかりの寺院ですらあるようです。
そして、堅田は、その始まりは比叡山の荘園であり、一旦は比叡山によって全面的に焼き払われてすらいます。
つまり、強気に言って、因縁浅からぬ抜き差しならない様相であり、弱気に出れば、どうにも頭が上がらない大親分、という事になるのでしょう。

木山の愛宕灯籠も、簡易量産型ともいえる堅田のものに比べると、というか、ほかの地域と比べても相当すこぶる重厚で、堅田を真似たという印象はまったくありません。
真相が気になります。

それにしても、港町と愛宕灯籠というのは相性が良いのですね。
堅田もそうですし、和邇蓬莱がそうでした。




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by fdvegi | 2018-03-01 00:30 | 京都在住 | Comments(0)