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京都市内北寄りの愛宕灯籠、追加

当ブログのコメントで幡枝人さんに情報提供いただきました。


一つ目は勇身八幡宮という小さな神社の門前にありました。
この勇身八幡宮という神社は創祀や由緒等は不明なようです。
初代の征夷大将軍である坂上田村麻呂について『坂上田村麻呂伝記』という本があるそうで、その中に田村麻呂を評して「武芸称代 勇身踰人 辺塞閃武。 武芸はあたいにかない 勇ましい身は人をこえる 辺塞にあって武を閃く」という記載があるとのこと。
この「勇身」を頼りに、坂上田村麻呂の個人的な祀りの跡という推測が、ネット上では行われています。
そのことと愛宕灯籠との関係は不明です。

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388_北区上賀茂深泥池町

ただ、愛宕神社というか愛宕山はもともと地蔵信仰をしていたようで、地蔵にもいろいろと種類がある中「勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)」というのを祀っていたそうなのです。
読んで字のごとく、これに祈れば戦に勝つという地蔵で、鎌倉時代以後、武家の間で信仰されたとのこと。
明智光秀が本能寺の変の前に愛宕山へこの勝軍地蔵を訪ねたのは、わりと有名な話です。

というわけで、武勇の男・坂上田村麻呂と勝軍地蔵とがリンクした結果としての、この場所の愛宕灯籠ではないかと思われます。
鞍馬街道沿いでもあり、灯籠文化が実を結んだのではないでしょうか。
京都市北寄り(というか鞍馬街道の深泥池付近)、地味ながら相当なかなか面白い場所です。

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393_左京区岩倉幡枝町


もう一つあったのが、左京区の幡枝です。「はたえだ」と読みます。
岩倉地区の一部なのですが、岩倉中心部からはだいぶ離れており、どう考えても同じ文化圏とは思えず、岩倉からは分けました。
47_と60_とのバランスを考えると市内北寄りにカテゴライズするのも難しいというか、本来的には、59_と183_と新たな388_とのセットで「鞍馬街道沿い」とでもすべきところなのでしょう。
この道が鞍馬街道であることも、正直、当ブログのコメントで幡枝人さんに指南いただくまでは意識に上がっておりませんでした。不覚。

二ノ瀬に調査へ行く際にこの道を通っており、その存在も気が付いていたのですが、「愛宕」の文字がないので見切っておりました。
しかし、幡枝人さんによると、西幡枝ではこれを愛宕灯籠として運用されているとのこと。ぉおー。
地元民コメント最高です。

もともと愛宕灯籠でないものを愛宕灯籠として使う、という実例もゲットすることができました。
鞍馬の岩神灯籠でもこの運用が行われていたという説が、純然たる邪推・推測から、ちょっとだけ可能性に近づいた気がします。
嬉しい。




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by fdvegi | 2018-01-08 00:30 | 京都在住 | Comments(2)

京都市内北寄りの愛宕灯籠

遂に左京区を離れました。


京都を中心に点在したり密集したりしている愛宕灯籠ですが、どういうわけか京都の町の中、いわゆる洛中にはありません。
いや、洛中よりもうちょっと広い範囲に渡って ”愛宕砂漠” が広がっています。
お地蔵さんのパレードかというほど濃密な一帯に出くわすこともありますが、こと愛宕灯籠に至っては皆無、無音地帯です。

何らかの政策的な取り決めがあったのかと想像する一方で、お上の政策ならむしろ法の網をくぐった例外的なものがポコポコ出てくるように思います。
であれば、町の中には軒先の明かりなどがあって常夜灯へのニーズが低く、むしろ住宅密集地での火の不始末への恐怖が勝ったのか。
あるいは、後世になって開発の波に飲み込まれていったのか。でも、お地蔵さんは残ってますしね。


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059_北区上賀茂深泥池町

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060_北区大宮南林町

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047_北区鷹峯千束町

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183_左京区上賀茂深泥池町


もっとちゃんと探せば町の中にも出てくるのでしょうか。
例えば、お寺や神社の中なんかに。
情報を乞うております。





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by fdvegi | 2017-08-29 00:30 | 京都在住 | Comments(0)