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淀の愛宕灯籠

久世の追加で書きました桂川にぶつかるところの愛宕灯籠です。
ぱっと見、鳥羽街道の延長上なのですが、何せ桂川を渡っています。
なので街道上ではないと思うのです。


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406_伏見区淀樋爪町


気になるのは2点で
  • その辺りが鳥羽街道からの渡し船の船着き場だったのか(だったら鳥羽街道の延長ってことかもしれません)
  • 淀とか納所という、今は立派な橋のかかっている周辺に灯籠がないか(あれば、橋を通じて一つの淀文化圏になるのでしょう)

上のいずれでもなければ、それこそ久世の追加で書いた通り農村ルートかもしれず、東土川からここまでの間にもう1つか2つくらいの出現を待ちたいところです。




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by fdvegi | 2018-03-07 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

醍醐寺周辺の愛宕灯籠

市内の北側に住んでいるとあまり馴染みがなく、南というと一気に平等院鳳凰堂まで意識が飛んでしまうのですが、その格たるや、星の数ほどある京都の寺社仏閣の中でも最有力の部類に入るのではないでしょうか、醍醐寺。

なんといっても時の天皇陛下の庇護を受け、時の征夷大将軍・太閤秀吉の庇護を受けています。ハンパないです。

ウィキペディアによると、しかし、元々は修験者の霊場だったようで、その点は愛宕神社と同じですね。さぞや山深いところだったのでしょう。

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420_伏見区醍醐御陵西裏町

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421_伏見区醍醐東大路町

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426_伏見区醍醐落保町

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415_伏見区日野不動講町


その周辺にも愛宕灯籠がありました。4基。
南北に奈良街道という旧道が走っているので、醍醐寺がどうのというより、そちらの影響ではないかという気がします。
これでもかというほどびっしり宅地開発されている中にあって、ギリギリ古い一隅が残っているのが驚きなのか、修験の道場があったくらいの山深い一帯が完璧なまでに宅地開発されていることの方が驚きなのか、もはやわからなくなってきます。

それにしても、この山科から小栗栖・醍醐にかけての一帯が、遠目に見ると「盆地の中の宇宙」という感じがして面白いです。

愛宕灯籠はやはり愛宕山のある京都から(北西角から)入り込んできたのか、それとも、意外と滋賀から(北東角から)東海道に乗ってやってきたのか、はたまた、なぜか古都を経由して奈良から(南から)来たのか、引き続き興味深いです。




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by fdvegi | 2018-02-16 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

小栗栖の愛宕灯籠

小栗栖と書いて「おぐるす」と読むようです。
そして、京都市のHPによると、小栗栖は山麓の平坦地を意味する大和言葉「くるす」に由来するのだそうで、京都というより奈良の影響が強いのかもしれません。
南に開く山科盆地の形状を見ると、何となくそれもそうかなという気がします。

ちょっと北の山科には東海道が通っています。
このあたり一帯が奈良と京都のぶつかる地だったのでしょう。
あまり目立たないんですが、山科を含めてちょっと目を凝らして探してみると興味深いものがけっこう点々としています。
大津皇子や粟津王など、滋賀すらも混じりあって、なかなかに壮大なロマンです。

小栗栖の灯籠は2基。
一つはかの有名な本能寺の変の主役、明智光秀ゆかりの地のすぐそばにありました。
明智光秀は敗走の果てに、この地の藪の中で討たれたんだそうです。その名も明智藪。驚きですね。

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414_伏見区小栗栖宮山

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419_伏見区小栗栖北谷町


本能寺に攻め込む直前には、愛宕神社の勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)を訪ねて武運を祈願していました。
そのほんの数日後の最期の地のすぐそばにも(リアルタイムではないでしょうけど)愛宕灯籠が静かにたたずんでいるというのは、いかにも歴史の妙味って気がします。





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by fdvegi | 2018-02-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

伏見区西側の愛宕灯籠

京セラという会社の本社は京都市の伏見区にあります。中京区山科区→伏見区という変遷らしいです。
伏見区といえば伏見稲荷や伏見の酒蔵が有名なんですが、伏見区というのが京都市民からしても驚くほど広くて、しかも不思議な形をしているものですから、南のことはおよそ伏見と言ってもいいくらい、何かにつけだいたいのことに顔を出してきます。

で、思わぬところからひょこんと出てきたのが今回の407_。
京セラ本社のすぐ裏くらい。つまり西側。
阪神高速8号と高速高架下の幹線道路(油小路)という、およそ人の暮らしとは縁遠そうなところに、けれどしっかりと生活圏があったというのが驚きとともに面白いです。
当たり前と言えば当たり前なんでしょうが、高速道路と新幹線に分断された久世と同じように、普段はすっかり抜け落ちています。

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407_伏見区中島堀端町

もうほんの少し西に行くと鳥羽街道ではありますが、鳥羽街道上ではないので別物な気がするし、しかし一方で、遠目に見るといっしょくたです。んー。
難しいカテゴリー。





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by fdvegi | 2018-02-08 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

伏見区の愛宕灯籠

鳥羽街道もほぼほぼ伏見区内なので、伏見と鳥羽街道を別にするのはどうかという思いもありますが、いかんせん、向いている方向が違います。
伏見街道は南西へ、こちらは南東へ。
竹田街道とも違う独特の曲線、愛宕カーブを描いているように思われます。


伏見の酒蔵の方にもあるような気がするんですが、なかなか難しい。
子どもができて以来、すっかり足が遠のいています。

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327_伏見区竹田内畑町

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256_伏見区桃山水野左近東町

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257_伏見区桃山町泰長老




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by fdvegi | 2018-01-06 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

鳥羽街道沿いの愛宕灯籠

市内南寄りで紹介した羅城門が平安京の南の玄関口というのは有名な話ですが、その羅城門から南へ向けて敷設された幹線道路が鳥羽街道です。

その頃はまだ別の名前の別の道のようですが、豊臣秀吉とか江戸時代とか、そういう固有名詞が登場する頃に、鴨川に次に桂川に沿って大阪方面へ向かう街道として整備されたようです。
古い道ですね。


平安後期の羅城門付近は、南の正門とか玄関口とかいう威勢のいい体面とは裏腹に、結構荒れていたそうです。というか、南の方は基本的に荒れていたらしいです。

門前には浮浪者やら乱暴狼藉を働く者がたむろしていたほか、門の中にさえ鬼の類が神出鬼没に現れたという記録が残っているようです。そういう連中がどこから湧いて出たかは定かではないですが、せっかく道があるならその道を通って北上してきたとしても不思議ではなく、(旧)鳥羽街道は鬼の通り道だったのかもしれません。

時代が下ってなお鬼や悪党どもが闊歩していたかはわかりませんが、例えば月のない夜の桂川は広大な闇に閉ざされていたに違いなく、ともすれば大いに荒みかねない街道筋を、灯籠の明かりが静かに慰撫していたのでしょう。

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328_南区上鳥羽八王神町

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311_伏見区中島御所ノ内町

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312_伏見区中島樋ノ上町

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316_伏見区下鳥羽前田町

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317_伏見区下鳥羽前田町

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318_伏見区下鳥羽北三町

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319_伏見区下鳥羽南町前町

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313_伏見区横大路草津町


線ではなく面での愛宕灯籠マッピングを標榜しているこの愛宕灯籠企画ですが、ここはもう鳥羽街道とする以外に方法がありませんでした。ご容赦あれ。




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by fdvegi | 2017-12-31 00:30 | 京都在住 | Comments(0)