桂周辺の愛宕灯籠

さぁ、いよいよ桂川を渡ります。
橋を渡るといえば、(少なくとも初期の)ドラゴンクエストでは橋を渡ると途端に敵が強くなりました。
北斗の拳では、橋ではないけど小舟で渡った修羅の国で、それまで相当強かった人がいきなり脚を一本もがれて登場し、次いで、煙の先からその片脚を手に仮面の男が現れました。

どういうわけか、それらの印象がやたらと強く残っていて、大きな水を渡るのは今もいたずらに緊張を強いられます。
この言い知れぬ恐怖は、三途の川の話とか、因幡の白兎の話とか、意外と生命原初の記憶なのかもしれません。
閑話休題。


桂は別に恐怖の場所ではありません。
有名な桂離宮があったり山陰街道が通っていたりと、歴史の趣き深い場所でした。
桂川をはさんで西京極と隣り合っています。

それまでほとんど行ったことがなく、行ってもせいぜい桂駅でしたので、驚いたというのが正直なところです。それも心底驚きました。ものすごい古い。

しかし考えてみれば、なるほど、東に京都市街、北に嵯峨・嵐山を擁しており、交通の要衝にならないわけがありません。

灯籠もかなりたくさん見つかりました。
まずは、桂駅の東側(右側)から。

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147_西京区桂徳大寺町

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148_西京区桂徳大寺町

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163_西京区桂久方町

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162_西京区桂春日町

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091_西京区桂朝日町

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164_西京区川島北裏町

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168_西京区下津林楠町

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169_西京区下津林楠町

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157_西京区桂徳大寺町

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167_西京区下津林楠町

ここで小休止。
162_が吉祥院で言及した春日神社の対になっている愛宕灯籠です。かなり珍しい例だと思います。
遊び心があるか、特にこだわりのない神主さんが設置(を許可)したのでしょうか。

167_は、パッと見は非常に愛宕灯籠的で、この近くにも愛宕灯籠があって、しかも明治元年の設置です。
なのに、「愛宕」の文字が見えない。
非常に微妙なところなのですが、確証なし例としておきます。

次から、桂駅の西側(左側)です。

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064_西京区上桂東居町

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008_西京区上桂西居町

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161_西京区桂乾町

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092_西京区桂巽町

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166_西京区川島玉頭町

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165_西京区川島玉頭町


以上、右京区が出所の愛宕灯籠を、西京区にて、あえて東側から紹介しました。
西京区は、地味に、京都市内のどの区よりも数が多そうです。





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# by fdvegi | 2017-09-21 00:30 | 京都在住 | Comments(2)

左京区の愛宕灯籠 まとめ

左京区全図とともに。
右京区の山の上の愛宕神社の灯籠が左京区にもある。何と不思議なことだ。
そう思って捜索を始めましたが、いやはや、

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全部で80基もありました。

一部「愛宕」の確証のないものもありますが規模感としては力強いですし、網羅性という点では完ぺきに近いと思われます。

都市部を除けば集落は基本的に山沿いにあって、本当に山間部的な場所を除けば、愛宕灯籠のない山あいの集落はおよそ見当たらないわけです。

「愛宕(おたぎ)郡」という名前は平安京の前後からあって、現存する灯籠や常夜灯が建てられるはるか前のことではあるのだけど、それでもやっぱり、「愛宕郡」の名前の背景には、当の愛宕山からはるかに離れているにも関わらず、なおこの地に「愛宕山」の何かが網羅的に・一大勢力として存在していた、その驚きや畏敬の念が込められているのだと、そう思いたくなります。




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# by fdvegi | 2017-09-20 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市南船路の愛宕灯籠と湖西のまとめ

南船路という場所があること自体が不思議じゃないでしょうか。
北側に隣接するのは北船路で、南北に「船の道」がある、と。
大きな湖があるし、実際、漁港もあるので船がたくさんあるのはわかるとしても、それにしたって「船路」なんて名前にするほどでしょううか。
同じことばっかり言ってますが、不思議です。

見取り図は、湖西一帯のものにしました。
上から、荒川3、木戸6、南船路1、和邇5+1です。
こうしてみると、なるほど西近江路に沿って点在しているのがわかりますが、和邇だけが群を抜いて水辺で、それ以外は水から離れているというか、気分的に山に沿っているという気がします。
意外と、全然違う文化圏なのかもしれません。


南船路で見つかったのは一つだけです。
いくつかあると、そのうち一つ二つで「愛宕」を確認できなくても類推認定できますが、一つだけだとそうもいきません。
特に、この近辺には「秋葉灯籠」もちらほらと立っているので注意が必要です。
幸いにも、うっすらと「愛」が確認できます。

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232_大津市南船路


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# by fdvegi | 2017-09-16 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市荒川の愛宕灯籠

滋賀県大津市の木戸から、西近江路に沿ってさらに北上するとあるのが荒川というところです。
ただし、木戸市民センターや木戸小学校が、この荒川の領内と思しき一帯にあります。
ということは、荒川自体が木戸の一部なのでしょうか。ものすごくよくわかりません。
ネット検索だけしている分には全然情報も拾えないし、とりあえず謎を謎として受け入れておこうと思います。


ちなみに、愛宕灯籠のあり方は木戸のそれとは異なっています。
信仰のあり方が違うというのは、精神面が全然違っているということでしょうから、やはり根本的には違う地域というのが正しいような気がします。
町村合併とか行政的な都合で、こういう蚕食気味の配置になっているんじゃないかな。
それはそれで不思議というか、どうしてわざわざ? という気がしますが、行政的には行政的な都合も色々あるんでしょうね。
昔のことを知っている人がいる内に何かの形で残してほしいものです。

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231_大津市荒川

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230_大津市荒川

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229_大津市荒川


次は、西近江路を少し南に戻ります。




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# by fdvegi | 2017-09-15 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市木戸の愛宕灯籠

またまた滋賀県湖西地方です。大津市木戸。
和邇よりも少し北にあって、西近江路という旧街道でここもつながっています。
相撲の行司の始祖だという志賀清林の出身地でもあり、清林パークという、密かに趣向の凝らされた大きな公園もあります。

お話し好きなおじさんに色々教えてもらったところ、昔は辺り一帯全部が茅葺屋根の家だったそうで、毎日、隣近所の葺き替え作業の手伝いだったそう。そして町内に一つ愛宕さんがある、と。こういう時の「町内」をどういう風に解釈すればいいのかは戸惑うところですが、町村合併なんかで木戸一町になったけど、それ以前は複数の小さな町たちでエリアとしての木戸を形成していたのでしょうね。


なるほど、さほど大きくもない木戸エリアで灯籠は6基もあり、数は限られてはいますが今でも立派な茅葺屋根もあり、比良山系に沿うような集落ですので見事な石垣も残っています。集落の精神的支柱をなしていると思われる樹下神社はいかんともしがたい懐深さを感じさせ、一エリアの鎮守でありながら、湖西全体のランドマークでありソウル・アイコンである白髭神社にも引けを取らない静かな押しの強さを感じさせます。全体的に素敵郷愁エリア間違いなし。

ウィキペディアによると、上述の志賀清林さんは奈良時代に近江国から朝廷に出仕し、相撲の技四十八手と礼法と「突く・殴る・蹴る」の三手の禁じ手を制定する事を聖武天皇に奏上したといいますから、そんな人物を輩出する木戸という土地もまた、元々ただの湖畔の田舎というわけではなかったのでしょう。
謎深き湖西です。

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224_大津市木戸

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225_大津市木戸

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223_大津市木戸

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226_大津市木戸

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227_大津市木戸

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228_大津市木戸


お札箱併設の灯籠は各地に多いですが、ここでは、お札箱が祠というか神殿扱いされ、その神殿の奉灯として愛宕灯籠がセットされているという、かなり独自色の強いミニ愛宕が形成されていました。

西近江路でつながっているとはいえ、和邇での愛宕灯籠とのあり方とは根本的に違っています。この違いは一体何なんだろう。
そして、比叡山すら越えて右京区の愛宕山へ行っていた、その動力の源泉は何だったのだろう。
箱は南面しているものが2つありましたが、灯籠は6基すべて西を向いています。


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# by fdvegi | 2017-09-11 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

桂川沿い(東岸)の愛宕灯籠

四条通と五条通(国道9号)に挟まれた、嵯峨・太秦と西京極の中間地帯です。
カテゴライズしようがないというのが正直なところ。


いずれも桂川沿いであることを考えると、川が線(例:街道)になって、嵯峨野の密集ディープな愛宕熱が伝わってきたという事かもしれません。
どちらも神社の中にありますが、元からそこにあったという風には見えず、そういう意味でも実態のつかみがたい一帯です。

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145_右京区梅津東溝口町

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146_右京区西京極東衣手町


灯籠探しで初めて行ったし、灯籠探しをしなければ未来永劫行く機会はなかっただろうと思われ、何だか不思議な気分です。

そこが過去に港だったからなのか、それとも別の理由でなのかも掴めていませんが、146_のある衣手神社付近のわずかな一帯に漂う濃密な空気感、栄華の名残、活況の痕跡は、市内でもわりと出色なのではないでしょうか。突き抜けるような好天だったこともあり、しびれました。
しかも、146_、どう考えても片方は破損していて、ここに仮置きされてるか、ここに置かれるという処分をされてます。謎だ。

145_は梅津大神宮です。「大神宮」の基準がまったく謎。




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# by fdvegi | 2017-09-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

嵯峨・太秦の愛宕灯籠

嵯峨もまた、吉祥院のように広いです。
というか、どこからどこまでが嵯峨とか嵯峨野と呼ばれる場所なのか、ここもよくわかりません。
市内の西側は、東側に比べてエリアあたりの基本的な面積が大きいのかもしれません。何かと歴史的な影響があるのでしょう。


ウィキペディアによると、吉祥院は菅原道真の曽祖父・土師古人が、平安遷都に際して天皇からもらった土地だそう。嵯峨はそれよりも古くて、太秦を根拠としていた秦氏によって開発が進められていて、平安遷都後には天皇や皇族たちの遊猟や行楽の地だったとのこと。
でもって、土師と秦という2つの家の間にも何かしら縁があるようで、いやはや、やんごとなき華麗なるネットワークが渦巻いていたようです。

ま、愛宕灯籠は、それよりずっと時代が下って、せいぜい江戸時代の話ですけどね。
愛宕山の登山口ともいえる裾野部分なだけあって、数も多いし、彫られているのも「愛宕神社」「愛宕大権現」ではなく、「愛宕山」というのが多いですね。

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159_右京区嵯峨亀山町

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158_右京区嵯峨二尊院門前神長町

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128_右京区嵯峨大覚寺門前井頭町

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129_右京区嵯峨大覚寺門前井頭町

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049_右京区嵯峨大覚寺門前六道町

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130_右京区嵯峨大覚寺門前宮ノ下町

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048_右京区山越中町

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050_右京区嵯峨甲塚町

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057_右京区嵯峨天龍寺角倉町

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127_右京区嵯峨中山町

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055_右京区嵯峨中山町

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056_右京区嵯峨北堀町

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054_右京区嵯峨五島町

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053_右京区嵯峨朝日町

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126_右京区嵯峨明星町

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052_右京区嵯峨朝日町

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051_右京区嵯峨野宮ノ元町


一休み。ここから太秦。太秦映画村で有名なうずまさです。
上述の通り、太古の昔は秦氏が治めていたそうで、秦氏が太い商売をしていたから太秦という説もあるようです。

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125_右京区太秦石垣町

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124_右京区太秦桂木町

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123_右京区太秦辻ヶ丘町



051_から056_にかけての捜索に妻と娘が付き合ってくれたのが、個人的には思い出深いです。
車で走っているといきなり古めかしい一帯になって、けれどファミレスがあって、普段はめったと行かないのに何となく入ってスパゲッティのお子様ランチを食べ、口の周りを赤くして、酷暑の中で灯籠を探し終えた後、ミニストップで命からがらソフトクリームを食べました。楽しかったなぁ。




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# by fdvegi | 2017-09-08 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

吉祥院の愛宕灯籠

吉祥院。京都市内の南の方の西側です。
南の方の東側は、伏見稲荷神社や坂本竜馬で有名な伏見です。
吉祥院にも、学問の神様で有名な菅原道真をまつった吉祥院天満宮という神社があります。受験生のマストスポット北野天満宮よりも前から建っている由緒正しき「天神さん」です。
でも知らなかった。太くて直線な道路をトラックが走りまくる荒涼とした土地、とばかり思っていました。


が、いざ行ってみると、趣深い黒塀屋敷の名残が随所随所に残っています。
しっとりとした情緒。
西京極に山陰街道が通っていたように、吉祥院には西国街道が通っていたのです。
一方、西京極では山陰街道上に灯籠が立っていたのに対し、吉祥院では西国街道上にはあまり見つかっていません。むしろ、西国街道に沿って拡大・発展したのであろう集落内にぽこぽこと建てられています。

そう思わざるを得ないくらいエリア内に散在しているし、そもそも吉祥院と呼ばれるエリア自体がかなり広いです。
昔から広かったのか、最近の行政区画で広くなったのかは不明ながら、京都市内でこれだけ広いエリアって珍しいんじゃないでしょうか。
東側と西側で何かと由来が違うのかもしれません。
同じ西側でも、豊岡-京都間をつないだ山陰街道と、大阪-京都間をつないだ西国街道の規模感の違いにもよるのでしょう。


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135_南区吉祥院中河原西屋敷町

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142_南区吉祥院車道町

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143_南区吉祥院石原西ノ開町

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140_南区吉祥院西ノ内町

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136_南区吉祥院石原開町

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137_南区吉祥院石原町

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138_南区吉祥院石原町

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139_南区吉祥院石原町

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141_南区吉祥院里ノ内町

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178_南区吉祥院政所町

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177_南区吉祥院高畑町

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181_南区吉祥院三ノ宮町


けっこう多く見つかってはいるものの、まだまだ無数にある、そう確信せずにはいられないエリアです。
微妙な遠さでなかなか行けないんですよね。歯がゆい。

140_は愛宕に関係なく、もうちょっと有名になってもいいと思うのです。
こんなデコ長の灯籠見たことない。福禄寿を彷彿とさせます。

そして、181_は、形はそのものズバリながら、神社の境内の中だし、(狛犬みたいに)2基で対になっているし、やっぱり愛宕灯籠ではないのかなと思っていたのですが、その後、桂離宮近くの春日神社というところに愛宕灯籠が(奉灯みたいに)対になっているのを見つけたのです。

「狛犬みたい」と「奉灯みたい」の違いは、神社本殿からの距離の違いです。狛犬の方が本殿に近く、奉灯の方が遠い。遠いってことは、その神社の影響外の可能性が高まるわけで、狛犬みたいに対になっている181_は、やっぱり神社のための灯籠であって愛宕灯籠ではない、という論拠となります。

でも、奉灯よりはぎりぎり外側にあるしなー。
そして、何を隠そうこの神社が、これまた住所の通り、三ノ宮神社なのです。うひゃあ。





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# by fdvegi | 2017-09-07 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

西京極の愛宕灯籠

西京極競技場で有名な西京極です。
競技場の南と北とに、ぎゅっと時間を凝縮したようなエリアが残っていて、今回はその南側。


実はわりと早い段階で灯籠自体は見つかっていたんですが、なかなか腰が上がらずにおりました。
というのも、これまで灯籠の分布を一定のエリア(面)ごとに区分するという作業をしてきました。
鴨川以東・左京区ではそれが可能かつ有効な方法だったと思うのですが、桂川周辺まで来るとちょっと難しくなってきます。
恐らくですが、ここらの灯籠は面で分布していると同時に、むしろそれより強固に、線でつながっています。
線というのは道路・旧街道のことで、例えば、ここ西京極南側は旧山陰道の系譜になるでしょう。

西京極という意味では北側にも灯籠があるのに、今回のように南側でしか紹介をしづらいのは、そのためです。
異なる二つの文脈を一つにまとめて紹介するというのをどうすれば自然か、というか出来るのか、難しいな、という風にじくじく考えておりました。
結論として無理なので、やっぱり分けて紹介させていただきます。

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149_右京区西京極河原町

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150_右京区西京極東側町

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152_右京区西京極東側町

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151_右京区西京極徳大寺団子田町

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154_右京区西京極中町

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154_右京区西京極中町


今回紹介した灯籠のうちほとんどは「旧街道を歩こう」的なブログなどで取り上げられています。
かろうじて152_で、愛宕灯籠に特化しているこのブログ(の愛宕企画)の面目躍如というところでしょう。
こういうのを見つけた時の高揚感がたまりません。

高揚といいますと、見取り図には名前が出ていませんが、154_からまっすぐ北には松尾三宮社という神社があります。といより、三宮社の参道の延長上に154_がある感じです。
出ました、三宮。





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# by fdvegi | 2017-09-05 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市和邇の愛宕灯籠

このまま京都の西寄りへシフトしていくのも芸がないので、変わり種(?)を。

滋賀県大津市の湖西地方、住みたい街ナンバーワンの和邇です。ワニと読みます。
琵琶湖にもクロコダイルのワニがいたのか、いや、因幡の白兎に出てくるワニとの関係があるのでは、ということは、奈良のワニ氏の分家さんか、などと古代史愛好家にはたまらない情報発信地となっています。たぶん。


ちなみに、和邇の南側は小野です。我々にとっては小野宮惟喬親王でもはやなじみ深い、あの小野です。
老いさらばえた小野小町の木像が市原にある言いましたが、あの小野家の超有名な太祖、奈良平城京の超高級官僚であった小野妹子が活躍した土地ともいわれています。
妹子の息子、小野毛人(えみし)の墓は京都市内の上高野にあるんです、これがまた。
閑話休題。


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113_滋賀県大津市和邇北浜

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109_滋賀県大津市和邇北浜

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112_滋賀県大津市和邇北浜

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111_滋賀県大津市和邇北浜

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110_滋賀県大津市和邇北浜

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108_滋賀県大津市和邇中浜


琵琶湖岸の地域とはいえ愛宕灯籠があるとすれば山寄りかなと思っていたら、意外や意外、がっつり水際でした。
113_はおそらく愛宕灯籠業界でもっとも水辺の存在でしょう。背景の水色はすでに琵琶湖です。
この辺りは今でも漁港がある、いわば港町・漁師町でもあり、水上安全の信仰と山の火伏信仰が、どういう経緯をたどったか、融合していったのかもしれません。ロマン以外の何物でもありません。





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# by fdvegi | 2017-09-03 00:30 | 京都在住 | Comments(0)