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大津市比良の愛宕灯籠

これまで右手に琵琶湖に見ながら西近江路を北上してきました。
ウィキペディアによると西近江路は大津市衣川というところから始まるそうですが、その真隣というか一部みたいになっているのが堅田です。

その堅田に端を発し、真野小野和邇蓬莱木戸荒川と、もう石灯籠にあふれておりました。
湖西のみならず滋賀の灯籠文化はすごいとしか言いようがないというのが実感です。

で、名もなき灯籠たちに紛れて確かな存在感を放っているのが愛宕灯籠と秋葉灯籠ですが、もう一つ着実に存在を主張しているのが白髭神社へのルートを示す白髭灯籠です。

思えば、堅田から仰木へ行く道、つまり西近江字とは直交する交差点のそばに白髭灯籠がありました。
西近江路は「白髭街道」でもあったのかもしれません。

さて、近江舞子でもようやく一つ見つかりました。やっとあった。

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左隣には気になる石造物もあります。
ここまで上ってくると比良山信仰なんかも入り混じっているのかもしれませんね。

嘘(フィクション)か誠(史実)か、こういう話もあるようです。

京の都を囲んで天狗が棲んだ山は、愛宕山、鞍馬山そして比叡山。
このうち比叡山にもともといた天狗は、愛宕山の太郎坊と並ぶ大天狗でしたが、天台宗を興した最澄らの法力の強い僧が比叡山に入って来たことから、比叡山を出て京の隣、近江国(滋賀県)の琵琶湖を臨む比良山に移ったとされています。この大天狗の名前は日本の八天狗に数えられる「比良山治朗坊」。

言うまでもなく興味深いですね。




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by fdvegi | 2018-04-28 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

湖西山側にも愛宕灯籠を追加

同じ伊香立の下龍華では見つかっていたので、上龍華にないはずはない、と思いつつも一向に見つけ出せずにいました。それがようやく見つかりました。
しかも、あるべきところにちゃんとあった、という感じです。
けっこう熱心に探していたつもりだったんですが、まだまだ甘かったです。

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457_大津市伊香立上竜華町


とにかく、これでぐぐっと山に入り込みました。

相変わらず、大原以北(以東)の古知平や小出石、途中峠、さらに同じ伊香立でも西側(在地町辺り)では見つかっていません。
そうなると、龍華の灯籠は上下いずれも琵琶湖側からやってきたのかな、という気はしますが、引き続き捜索したいと思います。

はたして左京区と琵琶湖西岸は愛宕灯籠でつながるでしょうか。




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by fdvegi | 2018-04-24 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

物集女に愛宕灯籠を追加

嵐山から松尾神社を経由して桂へと至る南北の一帯に、仮に一続きの意味や一体感があると仮定すれば、その背骨の少なくとも一部になっているのが物集女街道ということになります。

物集女の愛宕灯籠としてくくったのは、山陰街道や西国街道という東西のラインへのアンチテーゼとして、南北ラインを示したいという愛宕的野心だったのでしょう。

なるほど、若き日の(1年以内だけど)その野心は、今もなお正鵠を射ているのではないかと思います。愛宕山のすぐ裾野には保津川→桂川という大きな水が流れており、平地に至って嵯峨野太秦へと東進するのが主流だったとしても、そのまま川を伝って南下するものがないのは、それはそれで不自然だと思うのです。

桂辺りでは山陰街道ラインと、吉祥院辺りでは西国街道ラインとぶつかってその印象が飲み込まれてしまうものの、松尾や上桂の辺りで見つかる灯籠は、まさに愛宕直通南北ラインのあり様を示しているのだと思います。

というわけで、今回、追加で見つかったのが448_。074_のすぐそばでした。
074_も夏の盛りは茂みに抗えませんでしたが、今回はどうにか姿の一部をとらえられました。

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448_西京区山田葉室町

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074_西京区松尾上ノ山町(再掲)




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by fdvegi | 2018-04-19 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

花脊の愛宕灯籠

幡枝人さんから情報提供いただきました。
驚きの花脊。

松上げあるところ灯籠なし、の理論で行くと花脊に愛宕灯籠はないはずでした。
が、ありました。
しかし、幡枝人さんがすでに先回りして、松上げをしているのは花脊でも八桝という場所で、この灯籠がある別所というところは、同じ花脊でも南側だと教えてくれたのです。
なるほど!

そういうわけで、鞍馬の奥の奥の奥へとえんやこら行ってきました。
九十九折りという言葉そのままの、すごい道。
すごい道の先に集落あるのも驚きでした、ほんとに。

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458_左京区花脊別所町


この灯籠です。
大工さんがちょうど隣の祠を修理していたので聞いたところ、元々はもう少し北の不便なところにあったそうです。
それを移して来られたそうで、周辺にはもう愛宕灯籠はないということでした。

まさに最果ての灯籠であり、山ごと焼くという愛宕信仰の原形に最も近い位置にある灯籠です。
松上げの残り火がここで灯籠に移されたのだと、そう虚構化したいレベル。
お札箱の装飾も、鞍馬二ノ瀬市原岩倉へと南へ受け継がれていきます。

実に興味深い。




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by fdvegi | 2018-04-13 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

旧田中村の愛宕灯籠

出町柳を拠点駅とする叡山電鉄、略して叡電に「元田中」という駅があります。
変な名前だなと思っていたら、すぐ近くに田中神社という有名じゃないけど大きな神社があるのでした。構えなんかもかなり立派です。孔雀までいます。
創建は863年という話もあるそうで、めちゃくちゃ古いです。

そして、田中神社の辺りを昔は田中村といっていました。
日文研に古地区データベースがあるのですが、そこに収蔵されている「古今都細見之圖」という地図にも「田中村」として登場しています。

地図の成立が江戸時代の1860年初期で、地図の内容は平安から鎌倉時代だそう。
また、「中古京師内外地図」という別の古地図では「田中ノ里」になっています。
こちらは同じ江戸時代の1750年に成立し、平安から安土桃山時代の様子を描いているとのこと(千年くらいあります。一枚の地図に描くにはレンジが長すぎじゃないでしょうか)。

古地図というのも難しいものですね。
常に現時点を描くわけじゃない、という、そりゃそうか的なことに改めて気づかされます。
そうやって世界は複層的になっていくのですね。

まぁとにかくそういうわけで、元田中駅の付近は旧田中村というところで、非常に古い歴史を持っているということです。
そこにありました。
ガガーン!

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447_左京区田中里ノ内町


何がショックかって、その目と鼻の先を毎朝毎夜のように通っているのです。
何ならその通りを通ったことだってあったような気がします。
なのに気が付かなかった!
気が付かないまま8か月もの間、奈良やら滋賀まで足をのばしていたなんて!ギャー!

と別に叫ぶことではないのですが、これにより東大路通にまで接近してまいりました。
総合的に見て何が一番都心に近いかはおいておくとして、従来、愛宕空白地帯の最東端は北白川の058_だったのです。
それが、これで一気に縮まりました。

現代的には北白川の近くという印象なのですが、昔の北白川というのはそりゃもう段違いの僻地、山中越えの入り口で、文化的・精神的な隔たりは相当なものだったんではないかと想像されます。

世界はまことに一筋縄ではいきません。

なんて思っていたら、もっと近くにありました。
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450_左京区高野清水町

川端通りから遠目に見えます。
遠目に見ながら、コインパークの精算機かな、なんて思ってました。
なんてこったい、イチから出直しだ。


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by fdvegi | 2018-04-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大枝の愛宕灯籠

大枝と書いて「おおえ」と読みます。
昔は「おおい」と呼んでいて、それが京都と亀岡の間の「老ノ坂」になったという説もあります。

そして、鬼で有名な大江山も実はここじゃないか、少なくも、ここも「オオエヤマ」で、鬼のような悪党が山中に潜んでは、夜な夜な京の都を脅かしていたのだろう、といわれています。
なるほど、距離感的にはこちらの方が非常にすっきりしますね。酒呑童子の首塚もあるし。

さて、そんな大枝の旧山陰街道沿いで見つかりました。もう少し西へ進めば沓掛(くつかけ)です。
沓掛も住所的には大枝なので、ひっくるめて大枝カテゴリーにしてしまうのもアリなんでしょうけれど、沓掛はすでに大原野と一体にしています。

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445_西京区大枝中山町


そして、この445_、見るからに太い。独自色が強いので何とかしたいなぁと思っていたところ、歩いて3歩くらいのところに別の灯籠が見つかりました。
ものすごく立派な、いかにもな神社の灯籠です。
明らかに愛宕灯籠とは異なるもので、南に向かっています。
北面する側に「奉灯」と書いてあるので、南側に神社の類があるという事でしょう。

近くには大枝神社や児子神社という、有名じゃないにしろ格式高い神社がありますが、いずれも灯籠よりは北側・山寄りです。
南にそんなのあったかな、と思って地図上を探してみると、国道9号線を越えて向こう側に大枝稲荷神社というのがありました。おおー。

国道9号線にぶった切られてすっかり別エリア扱いでいましたが、元々ここは南北に分断された地域ではなかったのですよ。きっと。
むしろ、南北の道をメインに、それに沿って形成された集落だったんではないでしょうか。目と鼻の先に別の神社の灯籠を置くということは、文化圏というか精神圏としても南北の道を境に分かれていたとも考えられますね。

そこに団子を串刺しにするように旧山陰街道が通っていた。
そして、445_の愛宕灯籠はといえば、旧山陰街道には面しておらず、南北の小道に面しています。
沓掛の009_が山陰街道に面しているのとは明らかに異なります(444_は平成3年と真新しい部類なので考え方が別と思いましょう)。

そういうわけで南側の集落をダメ元で捜索してみたところ、なんと出てきました。
豪快に掘り返し尽くされた感のある洛西ニュータウンのギリギリ外縁に奇跡のように古い一帯があって、愛宕灯籠も残っていたのです。

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449_西京区大枝東長町


うむ、東を向いています。
土地って変わるのですね。




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by fdvegi | 2018-04-04 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大原野・沓掛に愛宕灯籠を追加

大原野に一基、追加で発見しました。
森神社のほど近く、089_のすぐ最寄りにありました。
これだけ近いのも珍しいし、見れば見るほど寺社仏閣が密集していることがわかります。

今日でも、左京区の比叡山のふもと辺り、一乗寺修学院の山側には寺社が密集し、地域全体に底冷えしてむせ返るような稠密な静謐感がありますが、大原野の山よりも元はそんな感じだったのかもしれません。

京都縦貫道も罪作りです。
というか、小塩山と比叡山の売り方・身の御し方に由来するのかもしれません。
あるいは、左京区の方は大小複数の山が層をなして密室感を高めていますが、大原野の方はその名の通り小塩山からダァーッと平地になっているのが大きな違いかもしれません。

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443_西京区大原野北春日町


うっすらと、しかし確実に「愛宕山」を感じさせます。
このカスレ感にこそ、山おろしの風の強さと時間の重みとを感じたい。


もう一つが沓掛です。
亀岡との玄関口、山陰道の京都の入り口に一つだけというのはいかにもさみしく思っていたところですが、やはりもう一基見つかりました。
こちらは平成3年設置。

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444_西京区大枝沓掛町


捜索開始から間もない頃にカバーした地域の再捜索をしています。
我ながら腕を上げている気がします。




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by fdvegi | 2018-04-02 00:30 | 京都在住 | Comments(0)