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和邇の愛宕灯籠、追加です

一口に和邇といっても、和邇北浜から和邇中を経て和邇今宿まで、南北には長いし、山もあれば湖岸もあるという、なかなかの広範囲です。
これまで北浜を中心に見つかっておりましたが、今回は今宿。
いずれも湖寄りなので、和邇の愛宕灯籠は湖側と相場が決まっているようです。
秋葉灯籠はもう少し山寄りにもあるんですけどね。

で、見つかったのが403_。
全体としては石灯籠が3基並んでいるという、まぁ他では類を見ない眺めです。大津って感じ。
左の灯籠には八幡宮と彫ってあります。
右には、おおよそ消えかけていますが秋葉大権現と彫ってあります。ぎりぎり読める。
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これは秋葉灯籠


しかし真ん中が、もう消えている。


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403_大津市和邇今宿


ぼくにはこれが愛宕灯籠にしか思われないのです。
考えてもみてください。
石灯籠の関係で、愛宕灯籠を除いて一番考えられるのは「大神宮」、つまり伊勢神宮の名を刻んだ灯籠なのですが、伊勢神宮といえば日本第一の神社です。
八幡神社も大きいし全国にたくさんあるとはいえ、やはり格というものがあります。
八幡がこの形で、秋葉がこの形の時に、伊勢が秋葉と同じ形になろうはずがありません。
せめて左の八幡灯籠と同じ形でしょう。

次に考えられるのは、地域的に白髭神社への道しるべです。
確かに、地域的にもこれは否定しきれないのですが、蓬莱と木戸、それにもう少し北の近江舞子で見つかっている白髭灯籠は、いずれも新しいのか彫りが非常に深く鮮明です。
蓬莱の近くの白髭に至ってはギプスで補強されているにもかかわらず、文字はすごくしっかりしています。
よって、これだけ不鮮明なものが白髭だとは考えにくい。

もう一つあり得るのが、この近所にある唐橋灯籠です。
その一基だけが見つかっています。
近いので可能性は否定しきれませんが、その灯籠は祠と一緒にあります。
つまり、唐橋神社にある灯籠なんだと思われ、唐橋神社がないのに置かれる類の灯籠ではないと思われます。

はい。
長々書きましたが、やはりこれは愛宕灯籠だと思います。
八幡灯籠と秋葉灯籠とセットで立っているという、非常に貴重な祈りの形だと思います。

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まず見たことのない眺め


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by fdvegi | 2018-02-26 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

蓬莱駅周辺の愛宕灯籠を追加

南船路の232_が単独で、かつ、木戸からも和邇からも等距離に離れているだけにどちらにも組み入れにくく、窮余の策として「湖西」で括っておりました。
新たに402_が出てきたので、それと一緒に蓬莱駅周辺扱いすることにしました。
歴史の修正です。

ちなみに、この辺から木戸にかけての一帯は本当になかなかに面白いです。
愛宕灯籠あり、秋葉灯籠あり、白髭灯籠あり、無銘の灯籠あり、寺社仏閣には無尽蔵の石灯籠ありで、もう灯籠が溢れかえっている様相です。
地味に交通の要衝だったのかもしれません。

船路という地名も、神話的な壮大迂遠な意味でなく、シンプルに交通機関や業務用の船の出入りが多かったのかもしれず、今もやたらとたくさん灯籠があるなと思っていましたが、考えてみれば、多かれ少なかれ灯台的な役割が求められていたのでしょう。

昔のことですから、湖面からは陸の、ものによっては山肌といってもいい高台の灯籠の灯は、船乗り達に湖岸の位置を教えるとともに、心の平安をもたらしたのだと思います。

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402_大津市八屋戸


今回の402_は湖岸ぎりぎりの場所で湖に向かって立っており、この地の灯籠というものの古の役割を今に伝えているのかもしれません。

ちなにみ、白髭というのは、琵琶湖の中に赤い鳥居が立っている様子がフォトジェニックなことで有名な白髭神社です。
湖西地方の一大アイコンですね。


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おまけ:近くの秋葉灯籠




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by fdvegi | 2018-02-24 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

堅田の愛宕灯籠を追加

堅田捜索の際に見つけた灯籠です。
灯籠をたくさん発見し、だいたいは「愛宕」や「秋葉」を示す何かがあったのですが、これは不明だったので残しておりました。


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404_大津市本堅田


後日、妻子を連れて物見遊山に通りがかったところ、向かいの料理屋さんか花屋さんか、とにかく商店のご主人らしき人に出くわしまして、お尋ねしたら、非常に明確に「愛宕灯籠です」とのお答え。

堅田には秋葉灯籠も多いので、その可能性も聞いてみたんですが、あれだけしっかり否定してもらえると安心です。




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by fdvegi | 2018-02-22 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市千野の愛宕灯籠

既に大津市山寄りで取り上げた大津市千野ですが、妙に気になって本腰を入れて探してみました。
そしたらすごかった。興奮が止められない。

集落全体の雰囲気が何となく秘め事なのです。
いかんともしがたく、しかし、そこはかとなく密事。
道が細いとか、建物が古いとか、喧噪が無いとか、そういうことにとどまらない風情。
そういうのがビシビシ伝わってきます。
きょろきょろしながら歩いていると、

(略)比叡山延暦寺の第18世の座主良源大僧正が比叡山横川で修業されるのを励ますため、その母妙見尼が横川にいちばん近い今の千野町に一宇を造営して住まわれた。良源は天台座主になっても、こっそり母に会いに来られたのを誰いうとなく「あれは座主が母の乳を吸いに来られるのである。」といったことから、千野の里を垂乳野(たらちねの)と呼びこれを略して「乳野」の字を「千野」の地名に当てたり、千野を「ちちの」とも呼んだりするようになったのであろう。(『わが郷土 雄琴の歴史を探る』より。) 

というようなことが公民館の看板に書かれていました。
むむむ!
文脈とか内容とかを吹き飛ばす、「乳」「大僧正」「比叡山」の迫力。
何たる秘め里!比叡の秘め里!


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411_大津市千野

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412_大津市千野

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413_大津市千野


頭の上から蒸気が噴き出るような、もうクラクラするような、しかし静寂です。
垂乳根の母が住んでいたという安養院も見てきましたが、すいません、いかんともしがたい囲い感。
先入観もすごい。

といって、しかしすごいのは、あくまで比叡だということです。
頽廃の感も皆無。
むしろ、清廉というか粛然というか、整然たる意志がみなぎるようなどっしりとした押し黙り感。
はぁ~。

ところで、さらりと書いてある「延暦寺の第18世の座主」ですが、調べてみたら、良源大僧正の生没年は912年-985年でした。
軽く千年。
百年の恋なんて吹けば飛んでいくような気がします。




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by fdvegi | 2018-02-20 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

修学院の愛宕灯籠、追加

修学院、赤山禅院のすぐ近く、極めて頻繁に前を通りがかっている灯籠です。
お地蔵さんと一緒に並んでいるので、お地蔵さん用の石灯籠だと頭っから思い込んで確認もしておりませんでした。
近くにある明確な愛宕灯籠とは様式・形式も著しく異なっているし。

しかし、宇治川沿いの386_など、地蔵と一緒にある石灯籠にもよくよく見ると「愛宕」の何かが彫られているというケースが散見され始めまして、ちょっと目を凝らしてみました。

するとどうでしょう。
うっすらと浮かび上がる「愛」の文字。の名残。っぽいもの。
最近になって遂に協力的な場合も出てきた妻子による「愛宕判定」の結果、承認となりました。

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408_左京区修学院脇馬場町

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by fdvegi | 2018-02-18 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

醍醐寺周辺の愛宕灯籠

市内の北側に住んでいるとあまり馴染みがなく、南というと一気に平等院鳳凰堂まで意識が飛んでしまうのですが、その格たるや、星の数ほどある京都の寺社仏閣の中でも最有力の部類に入るのではないでしょうか、醍醐寺。

なんといっても時の天皇陛下の庇護を受け、時の征夷大将軍・太閤秀吉の庇護を受けています。ハンパないです。

ウィキペディアによると、しかし、元々は修験者の霊場だったようで、その点は愛宕神社と同じですね。さぞや山深いところだったのでしょう。

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420_伏見区醍醐御陵西裏町

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421_伏見区醍醐東大路町

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426_伏見区醍醐落保町

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415_伏見区日野不動講町


その周辺にも愛宕灯籠がありました。4基。
南北に奈良街道という旧道が走っているので、醍醐寺がどうのというより、そちらの影響ではないかという気がします。
これでもかというほどびっしり宅地開発されている中にあって、ギリギリ古い一隅が残っているのが驚きなのか、修験の道場があったくらいの山深い一帯が完璧なまでに宅地開発されていることの方が驚きなのか、もはやわからなくなってきます。

それにしても、この山科から小栗栖・醍醐にかけての一帯が、遠目に見ると「盆地の中の宇宙」という感じがして面白いです。

愛宕灯籠はやはり愛宕山のある京都から(北西角から)入り込んできたのか、それとも、意外と滋賀から(北東角から)東海道に乗ってやってきたのか、はたまた、なぜか古都を経由して奈良から(南から)来たのか、引き続き興味深いです。




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by fdvegi | 2018-02-16 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

京都市内 街の近くの愛宕灯籠

京都市内に集中して見つかっている愛宕灯籠ですが、市内中心部には全く見つかっておらず、かなり大きな一帯が愛宕空白地帯となっています。
長らくその空白地帯の最西端となっているのが妙心寺道の中京区061_でした。
が、その妙心寺道のほぼ延長上で、やや東側に踏み込んでいるのが上京区の306_です。
玉房稲荷大明神という稲荷神社の中にその細い身をすっと隠すように佇んでいます。
お稲荷さんに愛宕灯籠は珍しい気がしますが、この玉房稲荷というところは五ノ社天満宮という天神さんの跡地だそうで、なるほど天神さん周りには間々見かけるような気がします。

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306_上京区近衛町


もう一つは西院駅のすぐ近く。
気持ち的にはこちらの方がなお町に近い気がします。
その名も西院坤町(さいいん ひつじさるちょう)。
ここは「街」という意識の元に踏み込むと天地がひっくり返るといっては大げさかもしれませんが、ちょっとした郊外よりも断然はるかに濃密な旧態感に覆い尽くされていて、思わずおののくほどでした。
そして、小さな通りの小さな角に鉄柵で保護され端然とたたずむ祠が一つ。
144_は左に大日如来、右に愛宕大権現の石灯籠を従えているのでした。

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144_右京区西院坤町


同じ町内にはまた別の祠があり、住吉大神宮と書かれた石灯籠が備わっていました。
もはやしびれるくらいに濃い。そんな坤町内。


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おまけ





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by fdvegi | 2018-02-14 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

鞍馬の愛宕灯籠、追加

鞍馬です。最初に探しに行った段階で愛宕っぽい425_のお札箱は見つかっていたいのですが、肝心の灯籠がないのでスルーしておりました。

しかし考えてみれば、一乗寺の101_や、堅田の280_も灯籠自体はないのですよね。
堅田には「愛宕」という確証がある一方、一乗寺に至っては限りなく愛宕的痕跡は薄いわけで、うん、考えた結果、鞍馬を三度訪れまして写真を撮ってきました。

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425_左京区鞍馬本町


ところで、西幡人さんへの返信で長々と書いた通り、鞍馬における民族と文化多様説を勝手に唱えております。
具体的には、鞍馬の人の出自は瀬戸内海ではないか、という憶測です。憶測ですよ。
文化庁のポータルサイト文化遺産オンラインに、「厳島・鞍馬図」が取り上げられています。

色々と不祥なのはいいとして、どうして厳島と鞍馬なのかが全く触れられていません。
厳島の相手は誰でもいいのだ、と書いてあるのみで、それが鞍馬であることはスルーされています。このスルーっぷりに、えも言われぬ因縁を感じてしまいます。

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255_左京区鞍馬本町


そして、鞍馬サイドにある瀬戸内海の痕跡が、この岩神灯籠だとするのが本ブログならではの灯籠的見解です。
鞍馬の最も奥に当たる255_は二度目に鞍馬に行って写真を撮ってきた岩神灯籠で、灯籠ばかりクローズアップしておりますが、全体として、南を向きの遥拝所の体をなしているようにも見えます。

で、南に何があるかというと、3kmほど下った松ヶ崎というところに「末刀岩上神社」という神社があります。
この神社は天然の岩がご神体なのですが、その神石というのが、昔、播州兵庫の海中で霊光を発していたものをわざわざここまで持ってきて祀ったのだと伝えられています。

海の中の大きな岩を本当に京都の山寄りまで運んできたとはさすがに考えづらく、実際のところは、精神的なつながりを表現しているのではないかと思われます。

つまり、鞍馬で松ヶ崎を拝み(遥拝)、松ヶ崎でジャンプして(神石の勧請)、遠き魂のふるさと瀬戸の海に思いをはせているのではないか、そういう事です。

鞍馬でも特に標高の高い奥まったところの人は、元々、瀬戸内海の人々だった。
そして遠い故郷に思いをはせていたところ、市原や二ノ瀬といった陸伝いの下の方から人々がやってきて、それと一緒に愛宕信仰もやってきた。

そのため、鞍馬の比較的南側には愛宕灯籠があり、北側には岩神灯籠がある。
時間が経つにつれて混然一体としてきて、岩神灯籠も愛宕灯籠として運用され始めて、212_には愛宕お札箱が備わっている。

一口に愛宕灯籠といっても石灯籠もあれば木製の灯籠もあり、そのお札箱も石製と木製とでは様式が異なり、岩神灯籠は岩神灯籠でお札箱があるものとないものがある上、そのお札箱は、愛宕灯籠に付帯のお札箱の中でも木製灯籠にセットの方、という、もう実に奇妙奇天烈に入り組んだ状態です。

この入り組み具合をもってして民族と文化多様説と銘打っております。
全部はずれかもしれません。




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by fdvegi | 2018-02-12 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

小栗栖の愛宕灯籠

小栗栖と書いて「おぐるす」と読むようです。
そして、京都市のHPによると、小栗栖は山麓の平坦地を意味する大和言葉「くるす」に由来するのだそうで、京都というより奈良の影響が強いのかもしれません。
南に開く山科盆地の形状を見ると、何となくそれもそうかなという気がします。

ちょっと北の山科には東海道が通っています。
このあたり一帯が奈良と京都のぶつかる地だったのでしょう。
あまり目立たないんですが、山科を含めてちょっと目を凝らして探してみると興味深いものがけっこう点々としています。
大津皇子や粟津王など、滋賀すらも混じりあって、なかなかに壮大なロマンです。

小栗栖の灯籠は2基。
一つはかの有名な本能寺の変の主役、明智光秀ゆかりの地のすぐそばにありました。
明智光秀は敗走の果てに、この地の藪の中で討たれたんだそうです。その名も明智藪。驚きですね。

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414_伏見区小栗栖宮山

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419_伏見区小栗栖北谷町


本能寺に攻め込む直前には、愛宕神社の勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)を訪ねて武運を祈願していました。
そのほんの数日後の最期の地のすぐそばにも(リアルタイムではないでしょうけど)愛宕灯籠が静かにたたずんでいるというのは、いかにも歴史の妙味って気がします。





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by fdvegi | 2018-02-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

伏見区西側の愛宕灯籠

京セラという会社の本社は京都市の伏見区にあります。中京区山科区→伏見区という変遷らしいです。
伏見区といえば伏見稲荷や伏見の酒蔵が有名なんですが、伏見区というのが京都市民からしても驚くほど広くて、しかも不思議な形をしているものですから、南のことはおよそ伏見と言ってもいいくらい、何かにつけだいたいのことに顔を出してきます。

で、思わぬところからひょこんと出てきたのが今回の407_。
京セラ本社のすぐ裏くらい。つまり西側。
阪神高速8号と高速高架下の幹線道路(油小路)という、およそ人の暮らしとは縁遠そうなところに、けれどしっかりと生活圏があったというのが驚きとともに面白いです。
当たり前と言えば当たり前なんでしょうが、高速道路と新幹線に分断された久世と同じように、普段はすっかり抜け落ちています。

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407_伏見区中島堀端町

もうほんの少し西に行くと鳥羽街道ではありますが、鳥羽街道上ではないので別物な気がするし、しかし一方で、遠目に見るといっしょくたです。んー。
難しいカテゴリー。





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by fdvegi | 2018-02-08 00:30 | 京都在住 | Comments(0)