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愛宕灯籠に溺れる

7月から一気呵成に探し始めた愛宕灯籠。
ひと段落ついたつもりになってインスタグラムを始めたのはごく最近だという気でいた。
ところが、インスタグラムのアップ数がいつの間にか100を超え、愛宕灯籠自体の掲示数も100基になろうとしている。

1日1基で3か月超、つまり10月の半ばから途切れることなく続いている。
シンプルにすごいと思う。
愛宕灯籠を100基まとめて把握している例を、ネット上に顕現している限りにおいてという意味でだが、ぼくは知らない。

我ながらよくやるもんだと思う。
今のところ賛同者も特に好意的な理解者も得ていない。
それを思うと、妻と娘は実によく付き合ってくれている。

それにしても、約3か月刻みでひと段落つこうとするのは職業上の習い性だろうか。
それとも季節の移ろいとの連動だろうか。
前回10月は、自転車での移動が寒いと言っている。
今は、自動車での雪道走行を避けて調査範囲を南重視に切り替えている。

そういうわけで灯籠の分布範囲はぐんぐん広がり、総数はだいたい400基になった。
亀岡市内の200基と合わせると600基。
どうだろう、そこそこの文化的インパクトを持ち始めてはいないだろうか。

それはそれとして、400基ともなると分布の範囲が広がるだけでなく、密度もそれなりに増してくる。
A地域とB地域での地図上での切り分けができなくなってくるし、南を調査していくにつれて「地域」の定義がわからなくなってきている。
このブログではその地域を「エリア」とか「面」と呼んで、とても重要視してきた。

単純に土地に馴染みがないせいでもあるし、それではと、ひとまず落ち着こうと思った市町村という線引きは何だかとても座りが悪い。
意味をなしていない気がする。
川とか、山とか、谷とか、道とか、その手の要素の方が強いと思うのに、その整理を言葉にできない。

地図上での切り分けが難しく、作業にかかれない。すると、アップできない灯籠が溜まっていく。しかしと灯籠は増え、地図の範囲は広がり、密度が増していく。線引きがますますできない。アップできない。溜まっていく。増えていく。もうほとんど灯籠に溺れている。

正確を期した切り分けはひとまず置いておいて、まとめやすさ重視で、地図の一部灰色塗りで対応したりもしていた。
しかし、これだとますます素人による線引きを行っていることになってしまい、今はよくてもこの先どんどん難しくなっていくだろうことを思うと、本当に心地が悪かった。

そういうわけで、今回のひと段落を機にアップの仕方を変えようと思う。

・各エリアごとに切り分けた地図のアップは原則としてやめ、いったん落とす。
・そして、もっと大括りの地図を何らかのタイミングでアップする。
・その地図には従来でいうところの「エリア」が多数含まれていて、その境目はわからない(境目をつけない)。
・そして地図と地図には重複部分もある。
・文章は引き続き「エリア的なもの」で括っていく。
・エリア的なものには、従来、必死になって避けようとしていた「線」も含まれる。

こういうことにしようと思う。
引き続き、地図上での分布図を見て面白がる、という、愛宕灯籠マッピングの醍醐味や初期の目標は見失わないようにしたい。
できれば、秋葉灯籠マップも併存させていきたいと思う。

どこかで見た900という数字を、何の裏付けもないような気がするのだけど、それでもまずは見据え、この狭小な(モーガン・フリーマン)時空を超えた旅を続けていきたい。



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by fdvegi | 2018-01-30 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

向日市の愛宕灯籠を追加

向日市は向日市でも森本町というところにありました。
物集女町と寺戸町しかないと思っていたので、まず森本町の存在に驚くというか、当ブログのコメントで通りがかりの者さんに教えてもらわない限り、未来永劫探しに行くこともなかったのではないかと思われます。


東から見ると、ちょうど久世の176_と175_の延長上に位置しています。
一方、西から見ると、西国街道は向日市の77_や72_を東端にしている感じです。
となると、在りし日の西国街道は、現代の地図上で阪急京都線とJR西日本の在来線と東海道新幹線に断続的に袈裟切り状態にされている一帯でグイっと湾曲していることが想像されることになります。
となると、この389_が文字通り「西国街道沿い」というのは無理があるかなと思われます。
んー。
とはいえ、別に街道「沿い」でなくても街道「周辺」にあっても悪いわけではないですからね。それはそれでいいじゃないか。

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389_向日市森本町


向日市、一体あといくつあるのだろう。
同じく教えていただいた金林寺の灯籠は、さすがに違うんではないかって気がしています




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by fdvegi | 2018-01-11 00:30 | 京都在住 | Comments(2)

京都市内北寄りの愛宕灯籠、追加

当ブログのコメントで幡枝人さんに情報提供いただきました。


一つ目は勇身八幡宮という小さな神社の門前にありました。
この勇身八幡宮という神社は創祀や由緒等は不明なようです。
初代の征夷大将軍である坂上田村麻呂について『坂上田村麻呂伝記』という本があるそうで、その中に田村麻呂を評して「武芸称代 勇身踰人 辺塞閃武。 武芸はあたいにかない 勇ましい身は人をこえる 辺塞にあって武を閃く」という記載があるとのこと。
この「勇身」を頼りに、坂上田村麻呂の個人的な祀りの跡という推測が、ネット上では行われています。
そのことと愛宕灯籠との関係は不明です。

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388_北区上賀茂深泥池町

ただ、愛宕神社というか愛宕山はもともと地蔵信仰をしていたようで、地蔵にもいろいろと種類がある中「勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)」というのを祀っていたそうなのです。
読んで字のごとく、これに祈れば戦に勝つという地蔵で、鎌倉時代以後、武家の間で信仰されたとのこと。
明智光秀が本能寺の変の前に愛宕山へこの勝軍地蔵を訪ねたのは、わりと有名な話です。

というわけで、武勇の男・坂上田村麻呂と勝軍地蔵とがリンクした結果としての、この場所の愛宕灯籠ではないかと思われます。
鞍馬街道沿いでもあり、灯籠文化が実を結んだのではないでしょうか。
京都市北寄り(というか鞍馬街道の深泥池付近)、地味ながら相当なかなか面白い場所です。

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393_左京区岩倉幡枝町


もう一つあったのが、左京区の幡枝です。「はたえだ」と読みます。
岩倉地区の一部なのですが、岩倉中心部からはだいぶ離れており、どう考えても同じ文化圏とは思えず、岩倉からは分けました。
47_と60_とのバランスを考えると市内北寄りにカテゴライズするのも難しいというか、本来的には、59_と183_と新たな388_とのセットで「鞍馬街道沿い」とでもすべきところなのでしょう。
この道が鞍馬街道であることも、正直、当ブログのコメントで幡枝人さんに指南いただくまでは意識に上がっておりませんでした。不覚。

二ノ瀬に調査へ行く際にこの道を通っており、その存在も気が付いていたのですが、「愛宕」の文字がないので見切っておりました。
しかし、幡枝人さんによると、西幡枝ではこれを愛宕灯籠として運用されているとのこと。ぉおー。
地元民コメント最高です。

もともと愛宕灯籠でないものを愛宕灯籠として使う、という実例もゲットすることができました。
鞍馬の岩神灯籠でもこの運用が行われていたという説が、純然たる邪推・推測から、ちょっとだけ可能性に近づいた気がします。
嬉しい。




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by fdvegi | 2018-01-08 00:30 | 京都在住 | Comments(2)

伏見区の愛宕灯籠

鳥羽街道もほぼほぼ伏見区内なので、伏見と鳥羽街道を別にするのはどうかという思いもありますが、いかんせん、向いている方向が違います。
伏見街道は南西へ、こちらは南東へ。
竹田街道とも違う独特の曲線、愛宕カーブを描いているように思われます。


伏見の酒蔵の方にもあるような気がするんですが、なかなか難しい。
子どもができて以来、すっかり足が遠のいています。

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327_伏見区竹田内畑町

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256_伏見区桃山水野左近東町

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257_伏見区桃山町泰長老




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by fdvegi | 2018-01-06 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

バンコク思う奈良

奈良へ行くたびに必ずと言っていいほど渋滞に巻き込まれる。
奈良の渋滞は何となくバンコクに似ている。
バンコクでは運転していなかったし、まだドライバー視点も持ち合わせていなかったので確かなことは言えないけど、絶対に似ている。
これといった原因はなく、大きめの交差点ではそのたびに必ず渋滞する。

単純に道が足りないんだろうなと思う。
そして道路不足の解消に高架道路を設けるが、下道は下道で存在しないわけではないので、高架道路と下道の合流点で混む。
しかも多くの場合、交差点付近で合流しようとする。
悪いときには、なぜか高架道路の車線を減らしつつ、交差点に差し掛かるところで、下道との合流を敢行してしまう。
合流しても混むし、合流しないでも本線用と側道用の別々の信号のせいで時間を要して混む。
とにかく混む。
赤信号はむやみに長い。

下道なら下道として、細道なら細道として交差点を設ければいいのに、何だか知らないけど交差点は大通りにしかない、かのように皆で大通りを目指す。
そんな感じがして、バンコクのソイ・システムを思い出す。
バンコクの道路のグランドデザインを作ったのは日本の大学教授だという噂を聞いたことがあるけど、それが本当だとしたら、奈良の道路との関連もないことはないんじゃなかろうか。
いずれも寺社仏閣の盤踞する古都である。

ある意味、これもロマンだとは思う。



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by fdvegi | 2018-01-04 00:30 | 京都在住 | Comments(0)