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一乗寺の愛宕灯籠

一乗寺は山ふところという言葉そのままのような場所です。
毎週のランニングコースですが、灯籠探しを始めたことで、いかに古い町並みの残る場所かということがわかりました。石垣、白壁、黒い塀。あまりも普通すぎて気が付きませんでした。貴重なんですね。静かでいいところです。


灯籠もまだまだ眠っていそうだし、どんどん見つけ出したいところなのですが、いざ走りだすと脇目を振る余裕がありません。なかなかの葛藤です。
ちなみに、修学院エリアと隣り合ってはいますが、このエリアの灯籠には必ずお札を納める箱がセットされています。音羽川という環境的な分岐線に加えて、このお札箱の有無を、エリアを分ける目印にしています。

この「お札を納める箱」について、佛教大学の教授で「京都愛宕研究会」の会長の八木透という人が解説をしています。
近世以降、村々では愛宕講を組織して愛宕へ代参月参りを行ないました。代参者は祈祷済みの護符と樒を受けて帰村すると、まず村の氏神境内の愛宕社や愛宕灯籠などへ護符を納め、村全戸へ護符と樒を配ります。愛宕の護符は、家々では竈神である三宝荒神や台所の柱や壁に貼り、樒は竈の上などに置いて火難除けを願いました。
とのこと。要するに、
・愛宕山へのお参りは個人で行くのではなくコミュニティを代表して行く
・お参りに行ったら、行った人は一枚だけではなく大量のお札をもらって帰る
・コミュニティに戻ると、まず灯籠の箱にお札を納め、そして村中の人々にお札を配る
という事で、この箱の有無とコミュニティのあり方には連関があると思っていいのでしょう。

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004_左京区一乗寺門口町

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003_左京区一乗寺稲荷町

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100_左京区一乗寺稲荷町

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041_左京区一乗寺葉山町

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101_左京区一乗寺葉山町

101_は灯籠なきお札箱です。
全景を撮れていませんが、ここは石段の上で石段には階段も備えられています。つまり、人の出入り・立ち入りが想定されているわけで、元々は灯籠もあったのではなかろうかと推測しています。他の灯籠とお札箱のセットと同じように、左にお札箱、右に灯籠という風に。
であれば、今は葉山馬頭観音の石柱になっているその場所に、元は灯籠があったのでは、と思いは巡ります。(何の関係もない木箱だという恐れもあります)

それと、004_も100_も041_も「愛宕」の文字を確認することはできません。ただ、状況的に(?)愛宕灯籠と思わずにおれません。
そういうわけで、「愛宕」があってはじめて愛宕灯籠、とする説もある中で、ぼくとしては、それにこだわりすぎるのはどうかと思っています。長らく実用に供している内に建て替えが必要になって、その時に何らかの理由で「愛宕」」を彫らなかっただけではないのかな、と。節約かな。
・長らく実際に使っていたからいたみが激しいし、
・実際に使うからこそ僅かないたみでも安全重視で建て替えに至った
ということではないでしょうか。




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by fdvegi | 2017-08-13 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

上高野・修学院の愛宕灯籠

最初に灯籠の存在に気がついた記念として、001_のある上高野・修学院を最初に紹介したいと思います。
毎週のランニングコースでもあり、一時期、地域の歴史的なことを必死になって調べてもいました。遣隋使で有名な小野妹子の息子の毛人(えみし)の墓もこのエリアにあって、崇道神社の背後の山肌にあるその墓碑から眺める里の風景には、平成の世にあってなお平安以前の古の趣きが漂います。


そんなある日、道の角で不意にこの灯籠に目が留まりました。
大権現? 大権現って誰? どこ? 愛宕? 愛宕って愛宕神社の愛宕? それって嵐山の方やろ。
と、ずいぶんと混乱したのを覚えています。
というのも、ここは叡山電鉄三宅八幡駅のすぐ近く、つまり左京区で、比叡山の目の前というか、ほぼほぼ比叡山のテリトリーです。
そんな場所に遥か西方の愛宕山の名前があるわけですから、ほんとに不思議です。


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001_左京区上高野木ノ下町

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006_左京区上高野植ノ町

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002_左京区修学院仏者町

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005_左京区上高野水車町

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007_左京区山端川端町

007_は、ちゃんと撮れていませんが、左側の壁は地域の自衛消防団の建物です。そして奥は川。そう、
・川のそば、橋のたもとに愛宕灯籠。
・自衛消防関係に愛宕灯籠。
という位置関係にあります。この時は、上手に使っているな!という感じでしたが、灯籠を追いかけていくにつれ、それがわりと普遍的な構図だということを知りました。特に橋のたもと。
やはり火伏の神だからでしょう。最初に川があって、その水に沿って防火の灯籠を立て、その灯籠に寄り添うように地域の消防施設を作った、という自然と宗教と社会の変遷を追えるロマンが凝縮しています。





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by fdvegi | 2017-08-12 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

愛宕灯籠の旅へ 目次

これまでに見つかっている愛宕灯籠をエリアごとの配置図とあわせてアップしていきます。
アップ済のエリア内にもまだまだ見つけられていない灯籠があるはずで、しかし、本当にあるかないかは不明なところが、また魅力です。
情報提供のほどお願いします。

岩倉追加追加
大原
鞍馬追加
山科追加
嵯峨追加


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by fdvegi | 2017-08-11 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

愛宕灯籠の旅へ

ここ一月ばかり、愛宕灯籠を追いかけ回していた。
愛宕灯籠というのはその名の通り愛宕神社を祀る灯籠で、たいてい石でできている。
そこここの道ばたに不意に立っていて、特に規則性もないものだから普段あまり気に留まらない。
まさに路傍の石という感じで、亀岡市では「愛宕灯籠 私たちの身近にある石造物を訪ねて」という本をまとめたりもしている。

愛宕の読みはアタゴで、京都市右京区にある愛宕山と、その愛宕山にある愛宕神社を意味している。
愛宕神社は防火の神様で、京都を中心に「阿多古祀符 火迺要慎」と書かれたお札が台所に貼ってある様子は、“関西あるある”とか“台所あるある”の領域に近く、意味や由来は知らないけど気がつくと昔からあった、というくらい馴染みが深い。

そういうわけで、愛宕灯籠も基本的には防火の祈りを込めて建てられている。
分社とか摂社とか小ぶりな祠のたぐいとか、その手のものよりさらに手ごろな “わが町の愛宕”ということになる。

灯籠なので当然、火を灯す。(a) 一つ小さな火を灯すたびに、手に負えない大きな火、つまり火災への戒めを思い出すということだろう。(b) 実際、上記のお札を納める箱が隣接されている。

と同時に、町の灯りとして集落に穏やかな光をもたらす。そのため、(c) 多くの愛宕灯籠が常夜灯としての役割も果たしていた(一部は現役)。

火をつけたりする役割は村内・町内で持ち回りの当番制で、(d) 結果的にコミュニティの結束を高める装置として機能していただろう。

(e) 愛宕神社への案内板だったという説明がなされている場合もあり、愛宕街道など、実際に神社への途上ではそういう役割も負っていたのだと思う。

以上、灯籠には(a)~(e)の5つの機能があったと思われる。時代や地域によって、その組合せや役割を変えて、そこに立ち続けていたのだ、きっと。
最近では(?)、上述した亀岡市以外でも各自治体がちょいちょいと愛宕灯籠や「愛宕常夜灯」に言及していて、行政による扱い方の様子を追いかけるのも、それはそれでわりと面白い。

静原の里マップ(左京区)
文化遺産を探す(和束町)
高槻まちかど遺産(大阪府高槻市)

行政ではなく市井の人々にも、愛宕灯籠を愛宕灯籠として熱心に追いかけたり、あるいは、お地蔵さんや道しるべと一緒に歴史的なものの一つとして取り扱ったり、はたまた、散歩やサイクリングのついでに写真に収めたりする人がたくさんいて、すごい。
その情報量たるやすさまじく、確かにそこに存在していることの確認や写真で姿を見ることだけならば、そういう人たちのブログだけでほとんどカバーできてしまうかもしれない。

その中にあって、ぼくは3つのことをしたかった(現在進行形)。
・宝探し感を楽しむ(ドラゴンボール的な、あるいはオリエンテーリング的な)
・全愛宕灯籠を一つの平面上にマッピングする
・愛宕勢力圏を割出しつつ、勢力圏のでき方、文化・情報の伝わり方を見出す
(と言いながら、設置年月や設置者を記録していない。読めないのだ。これは追々大いなる課題になるんだろうな)

行政情報や一般の人たちによるブログ情報は極めて有力ながら、それでもやっぱり自分で行って探して見つけることの面白さや気持ちの良さは格別だ。灯籠をひとつ見つけるたびに本当にうれしい。
それは基本的には保証のない出会いであり、己の感覚・嗅覚への賭けでもある。そして、一つの発見するたびに、同時に、次の灯籠がふっと気配を表すような気がしてくる。なので、同じエリアへ何度も足を運んでは、次の灯籠、次の灯籠と追いかけて、本当に見つけたり(嗅覚の勝利!)。あるいは、別のエリアに思いを馳せて、ネット上を物色したり。

それはもう何だか旅するような心地だ。
あちこちへと空間をまたぎ、写真を撮る今世と石に刻まれた過去との時間を超える旅。
時間と空間?
思わず「モーガン・フリーマン 時空を超えて」の名前が、吹き替えの渋い声で頭の中にナレーションされる。

科学も、歴史も、知見をもたらすだけのものじゃない。
こんなにもトランスとリフレッシュ。すなわち冒険、遠くへの旅なんだ。
そんな気持ちにしびれる。
楽しい!

以下、ぼくが実際に見つけた灯籠たちを順不同でアップしていきたい。
まだまだ見つけられていないものがあると思うので、ご存知の方にはぜひ情報提供をお願いしたい。




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by fdvegi | 2017-08-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

この余波を、乗り切れ

長らく勝手にリンクを貼っていたブログたちを削除した。
多くは更新が止まってしまっていた。
その間、自分もほとんどこのブログを更新せずにいたし、たまに気が付いても特段の対応をとることもなく過ごした。
そういう気にもならなかった。


思えば、これらを勝手にリンクしていたのは自分もタイにいる頃だ。
熱く、しかし思えば涼しげな季節。
タイから戻って4年。
この間、一度も外国へ行っておらず、それどころか一人で隣町に行くことすらほとんどなくなった。
代わりに子どもが生まれ、ささやかながら仕事で昇進して、足から何から見事なくらいに地に埋まったような日々になった。
別にそれが嫌とか悪いとかというわけではなく、そういうことなんだろう、そういうフェーズなんだろうと思っている。
そして、従来、フェーズというものは場所ととも変わる、あるいは場所を変えることそのものだと思っていた。
すなわち、それが生きる・人生を生きる、ということだと思っていた。
それが好きだった。だから

<京都在住> 京都
<北米上陸> アメリカ

という風に、このブログでもカテゴリーで分けていたのだ、たぶん。
だけど、なるほど、今に至ってフェーズの変わり方自体が変わったのかもしれない。
フェーズの変わり方自体が変わり始める、そういうフェーズ。
この変容になじめなくて、好きになれなくて、それで約4年、ほぼ放置ということになったいのかもしれない。
自分で作った巣に憩えなくなった。

あるいは、場所をとっかえひっかえし続けることで「人生を生きる」ことをしてきたのに、それがならなくなることで、知らず知らずのうちに単に「年を取る」ことに変質してしまいつつあったということなのかもしれない。
ちょっと大げさかもしれないけど。
だけど、そうだとすれば、それは確かにかなり大きなインパクトだと思う。
そして、この変質の感じが嫌で、そのことに何となく触れてしまうブログから遠ざかっているのかもしれない。
ブログというものが、生きていることを確認する場所から、年を取っていること突きつけられる場所に変わりつつあったということ。

うん、夜中に不意にそんなこと考えた。
単にリンクを外そうと思っただけだったのに、えらい面倒なことを考えてしまった。
けれど、わりと意義のある思考だったな。そう思う。



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by fdvegi | 2017-08-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)