カテゴリ:京都在住( 402 )

湖西山側にも愛宕灯籠を追加

同じ伊香立の下龍華では見つかっていたので、上龍華にないはずはない、と思いつつも一向に見つけ出せずにいました。それがようやく見つかりました。
しかも、あるべきところにちゃんとあった、という感じです。
けっこう熱心に探していたつもりだったんですが、まだまだ甘かったです。

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457_大津市伊香立上竜華町


とにかく、これでぐぐっと山に入り込みました。

相変わらず、大原以北(以東)の古知平や小出石、途中峠、さらに同じ伊香立でも西側(在地町辺り)では見つかっていません。
そうなると、龍華の灯籠は上下いずれも琵琶湖側からやってきたのかな、という気はしますが、引き続き捜索したいと思います。

はたして左京区と琵琶湖西岸は愛宕灯籠でつながるでしょうか。




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by fdvegi | 2018-04-24 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

物集女に愛宕灯籠を追加

嵐山から松尾神社を経由して桂へと至る南北の一帯に、仮に一続きの意味や一体感があると仮定すれば、その背骨の少なくとも一部になっているのが物集女街道ということになります。

物集女の愛宕灯籠としてくくったのは、山陰街道や西国街道という東西のラインへのアンチテーゼとして、南北ラインを示したいという愛宕的野心だったのでしょう。

なるほど、若き日の(1年以内だけど)その野心は、今もなお正鵠を射ているのではないかと思います。愛宕山のすぐ裾野には保津川→桂川という大きな水が流れており、平地に至って嵯峨野太秦へと東進するのが主流だったとしても、そのまま川を伝って南下するものがないのは、それはそれで不自然だと思うのです。

桂辺りでは山陰街道ラインと、吉祥院辺りでは西国街道ラインとぶつかってその印象が飲み込まれてしまうものの、松尾や上桂の辺りで見つかる灯籠は、まさに愛宕直通南北ラインのあり様を示しているのだと思います。

というわけで、今回、追加で見つかったのが448_。074_のすぐそばでした。
074_も夏の盛りは茂みに抗えませんでしたが、今回はどうにか姿の一部をとらえられました。

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448_西京区山田葉室町

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074_西京区松尾上ノ山町(再掲)




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by fdvegi | 2018-04-19 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

花脊の愛宕灯籠

幡枝人さんから情報提供いただきました。
驚きの花脊。

松上げあるところ灯籠なし、の理論で行くと花脊に愛宕灯籠はないはずでした。
が、ありました。
しかし、幡枝人さんがすでに先回りして、松上げをしているのは花脊でも八桝という場所で、この灯籠がある別所というところは、同じ花脊でも南側だと教えてくれたのです。
なるほど!

そういうわけで、鞍馬の奥の奥の奥へとえんやこら行ってきました。
九十九折りという言葉そのままの、すごい道。
すごい道の先に集落あるのも驚きでした、ほんとに。

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458_左京区花脊別所町


この灯籠です。
大工さんがちょうど隣の祠を修理していたので聞いたところ、元々はもう少し北の不便なところにあったそうです。
それを移して来られたそうで、周辺にはもう愛宕灯籠はないということでした。

まさに最果ての灯籠であり、山ごと焼くという愛宕信仰の原形に最も近い位置にある灯籠です。
松上げの残り火がここで灯籠に移されたのだと、そう虚構化したいレベル。
お札箱の装飾も、鞍馬二ノ瀬市原岩倉へと南へ受け継がれていきます。

実に興味深い。




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by fdvegi | 2018-04-13 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

旧田中村の愛宕灯籠

出町柳を拠点駅とする叡山電鉄、略して叡電に「元田中」という駅があります。
変な名前だなと思っていたら、すぐ近くに田中神社という有名じゃないけど大きな神社があるのでした。構えなんかもかなり立派です。孔雀までいます。
創建は863年という話もあるそうで、めちゃくちゃ古いです。

そして、田中神社の辺りを昔は田中村といっていました。
日文研に古地区データベースがあるのですが、そこに収蔵されている「古今都細見之圖」という地図にも「田中村」として登場しています。

地図の成立が江戸時代の1860年初期で、地図の内容は平安から鎌倉時代だそう。
また、「中古京師内外地図」という別の古地図では「田中ノ里」になっています。
こちらは同じ江戸時代の1750年に成立し、平安から安土桃山時代の様子を描いているとのこと(千年くらいあります。一枚の地図に描くにはレンジが長すぎじゃないでしょうか)。

古地図というのも難しいものですね。
常に現時点を描くわけじゃない、という、そりゃそうか的なことに改めて気づかされます。
そうやって世界は複層的になっていくのですね。

まぁとにかくそういうわけで、元田中駅の付近は旧田中村というところで、非常に古い歴史を持っているということです。
そこにありました。
ガガーン!

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447_左京区田中里ノ内町


何がショックかって、その目と鼻の先を毎朝毎夜のように通っているのです。
何ならその通りを通ったことだってあったような気がします。
なのに気が付かなかった!
気が付かないまま8か月もの間、奈良やら滋賀まで足をのばしていたなんて!ギャー!

と別に叫ぶことではないのですが、これにより東大路通にまで接近してまいりました。
総合的に見て何が一番都心に近いかはおいておくとして、従来、愛宕空白地帯の最東端は北白川の058_だったのです。
それが、これで一気に縮まりました。

現代的には北白川の近くという印象なのですが、昔の北白川というのはそりゃもう段違いの僻地、山中越えの入り口で、文化的・精神的な隔たりは相当なものだったんではないかと想像されます。

世界はまことに一筋縄ではいきません。

なんて思っていたら、もっと近くにありました。
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450_左京区高野清水町

川端通りから遠目に見えます。
遠目に見ながら、コインパークの精算機かな、なんて思ってました。
なんてこったい、イチから出直しだ。


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by fdvegi | 2018-04-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大枝の愛宕灯籠

大枝と書いて「おおえ」と読みます。
昔は「おおい」と呼んでいて、それが京都と亀岡の間の「老ノ坂」になったという説もあります。

そして、鬼で有名な大江山も実はここじゃないか、少なくも、ここも「オオエヤマ」で、鬼のような悪党が山中に潜んでは、夜な夜な京の都を脅かしていたのだろう、といわれています。
なるほど、距離感的にはこちらの方が非常にすっきりしますね。酒呑童子の首塚もあるし。

さて、そんな大枝の旧山陰街道沿いで見つかりました。もう少し西へ進めば沓掛(くつかけ)です。
沓掛も住所的には大枝なので、ひっくるめて大枝カテゴリーにしてしまうのもアリなんでしょうけれど、沓掛はすでに大原野と一体にしています。

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445_西京区大枝中山町


そして、この445_、見るからに太い。独自色が強いので何とかしたいなぁと思っていたところ、歩いて3歩くらいのところに別の灯籠が見つかりました。
ものすごく立派な、いかにもな神社の灯籠です。
明らかに愛宕灯籠とは異なるもので、南に向かっています。
北面する側に「奉灯」と書いてあるので、南側に神社の類があるという事でしょう。

近くには大枝神社や児子神社という、有名じゃないにしろ格式高い神社がありますが、いずれも灯籠よりは北側・山寄りです。
南にそんなのあったかな、と思って地図上を探してみると、国道9号線を越えて向こう側に大枝稲荷神社というのがありました。おおー。

国道9号線にぶった切られてすっかり別エリア扱いでいましたが、元々ここは南北に分断された地域ではなかったのですよ。きっと。
むしろ、南北の道をメインに、それに沿って形成された集落だったんではないでしょうか。目と鼻の先に別の神社の灯籠を置くということは、文化圏というか精神圏としても南北の道を境に分かれていたとも考えられますね。

そこに団子を串刺しにするように旧山陰街道が通っていた。
そして、445_の愛宕灯籠はといえば、旧山陰街道には面しておらず、南北の小道に面しています。
沓掛の009_が山陰街道に面しているのとは明らかに異なります(444_は平成3年と真新しい部類なので考え方が別と思いましょう)。

そういうわけで南側の集落をダメ元で捜索してみたところ、なんと出てきました。
豪快に掘り返し尽くされた感のある洛西ニュータウンのギリギリ外縁に奇跡のように古い一帯があって、愛宕灯籠も残っていたのです。

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449_西京区大枝東長町


うむ、東を向いています。
土地って変わるのですね。




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by fdvegi | 2018-04-04 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大原野・沓掛に愛宕灯籠を追加

大原野に一基、追加で発見しました。
森神社のほど近く、089_のすぐ最寄りにありました。
これだけ近いのも珍しいし、見れば見るほど寺社仏閣が密集していることがわかります。

今日でも、左京区の比叡山のふもと辺り、一乗寺修学院の山側には寺社が密集し、地域全体に底冷えしてむせ返るような稠密な静謐感がありますが、大原野の山よりも元はそんな感じだったのかもしれません。

京都縦貫道も罪作りです。
というか、小塩山と比叡山の売り方・身の御し方に由来するのかもしれません。
あるいは、左京区の方は大小複数の山が層をなして密室感を高めていますが、大原野の方はその名の通り小塩山からダァーッと平地になっているのが大きな違いかもしれません。

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443_西京区大原野北春日町


うっすらと、しかし確実に「愛宕山」を感じさせます。
このカスレ感にこそ、山おろしの風の強さと時間の重みとを感じたい。


もう一つが沓掛です。
亀岡との玄関口、山陰道の京都の入り口に一つだけというのはいかにもさみしく思っていたところですが、やはりもう一基見つかりました。
こちらは平成3年設置。

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444_西京区大枝沓掛町


捜索開始から間もない頃にカバーした地域の再捜索をしています。
我ながら腕を上げている気がします。




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by fdvegi | 2018-04-02 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

南丹市内の亀岡盆地の愛宕灯籠

園部町では南丹市の観光パンフを紹介しましたが、同じものでも仕方ないので、市民向けの市勢要覧というのを紹介いたします。で別になっております。

この地図でも四分割されているというか、市の成り立ちがそもそも四つの地域の合併なのですね。
位置的には下から二つ目、園部町の一つ上の東側が八木町です。
市役所は園部にありますし園部の方が有名なのですが、起源的には八木の方が古いようです。
山陰街道が一筋通っているだけの園部に比べ、八木は亀岡盆地の一部であって桂川まで流れていますので、そりゃまぁ交通の便がよかったのでしょう。

愛宕灯籠も、神吉という山の縁の一地区を除いて、基本的に平地にありました。
平野部分から始めて、神吉へ、そして宕陰へと、北に向かってどんどん昇っていく感じが面白かったです。
なるほど、北面する魁夷な山へ信仰心が芽生えるのが、何だか自然の摂理というか、一種の成り行きどおりという感じさえしました。

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345_南丹市園部町高屋

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346_南丹市園部町高屋

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347_南丹市園部町熊原


以上、比較的北側の3人衆。長命的には園部町ですね。

346_は「愛宕」の文字がないのですが、近くで畑仕事をしていたおばちゃんが教えてくれました。
その一角(道の一隅)を「愛宕の辻」と呼ぶそうです。
そして、もう一つの愛宕灯籠がどこにあるかも教えてくれました。
それが345_で、すでに見つけてあっただけに、二つの灯籠が地元的には一つの地域に含まれるんだなというのがわかって面白かったです。
というか、愛宕への信仰が相当しっかりと根付いていると思わずにはおれないのでした。

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348_南丹市八木町山室

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349_南丹市八木町室橋

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350_南丹市八木町諸畑

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351_南丹市八木町日置


いよいよ八木町。
いずれも都市感がありました。特に349_なんかは商店街というか、かつての目抜き通りじゃないかな。
穴場は350_です。この他にも様々な石灯籠が小さな祠の前に寄り集まっていました。

そして、ここからが神吉。

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352_南丹市八木町神吉

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353_南丹市八木町神吉

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354_南丹市八木町神吉


353_は、見たとき撮ったときは、天空の愛宕灯籠だ!と大興奮したんですが、ひょっとすると近くの神留寺の灯籠かもしれません。
真偽不明です。
でもいずれにしても、急斜面にすっくと立つ菅田は美しく、地名に「神」の文字を使うにふさわしい印象を受けました。

北の山には神が宿るのです。
「私たちの身近にある石造物を訪ねて」に敬意を表して亀岡市には触れずにおくことを心に決めてはおりますが、これだけ心に密接している様子を垣間見てしまうと、やはりいずれは行って、あれやこれやと話を聞いてみたいなと思います。




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by fdvegi | 2018-03-26 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

南丹市園部周辺の愛宕灯籠

どうしてこういう行政区画をしてしまったのか、南丹市。
北は茅葺屋根の集落で有名な美山から、南は先日亡くなった野中広務で有名な園部町まで、どう考えても全然違う文化圏を含んでいます。

南丹市がきれいな観光ガイドを出していて、地図もついていますので、ぜひご覧ください。力作だと思います。

さて、山陰街道をウィキペディアで見てみます。

京の七口の一つとされる丹波口を起点として、樫原を経由し老の坂を越えて丹波国に入り、亀岡、園部、三和を経て福知山に達し、夜久野を経て但馬国へと繋がっている。

丹波口は少し離れた西京極で、樫原(はたぎはら)は物集女で、老の坂は沓掛で、亀岡は「私たちの身近にある石造物を訪ねて」で、それぞれに愛宕灯籠が確認されています。
そして、今回が園部。

ありました。
それも結構ふんだんにありました。

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339_南丹市園部町埴生

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340_南丹市園部町埴生

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341_南丹市園部町埴生

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342_南丹市園部町埴生

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343_南丹市園部町南大谷

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344_南丹市園部町南大谷


「愛宕」を歴然とは確認できないものも含んではいるのですが、群生エリアでは愛宕算定しております。それが自然だと思う。うん。
時代劇が撮れるんじゃないかっていうような一帯もありました。
過去に栄え、今日の都市部から近くなく遠すぎないからか、なんか知らんけどもうタイムスリップの心持ちでした。
政治行政的に長らく有力だったことも、こういうことには影響しているのかもしれません。

いいか悪いかはとりあえずおいといて、とても面白かった。
こういうことがまだまだ続けられる国がいいと思う。




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by fdvegi | 2018-03-22 00:30 | 京都在住 | Comments(2)

上賀茂の愛宕灯籠

松上げのできないところに愛宕灯籠、というのがこのブログでの愛宕灯籠の扱いです。
本当の愛宕信仰は松上げという一種の山焼きであり、山がないとか木がないとか人里に近いとか、そういう理由で盛大な山焼きをできないところに置かれる縮小版の炎が愛宕灯籠という説です。
(ちなみに、松上げと五山の送り火は全く別のものです。)

そういう意味では、愛宕の火伏信仰の本質は「火をもって火を制す」なのかもしれません。
火の神様を身近に置くことで災いなす火は伏せてもらう、という。
明智光秀で有名な「勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)」のイメージもやはり火ですよね。

最近、柳谷観音の護摩焚きを見る機会があって、思いがけず愛宕山と修験道とのつながりを思い出したのですが、なるほど、修験者たちなら山の中で大きな火を熾すことも可能だったかもしれません。

さて、どうしてそんな話をしたかといいますと、上賀茂にもようやく愛宕灯籠を発見したからです。
上賀茂神社の北、雲ヶ畑の南です。
①雲ヶ畑は有名な松上げスポットで、その真下に当たるのが②上賀茂。
上賀茂から一山越えた東が③静市市原で、市原の北側、つまり、雲ヶ畑から東に山を越えたところが④二ノ瀬鞍馬です。

これら①②③④をつなぎ合わせると、(かなり観念的な)四角形になるわけですが、①には松上げ(灯籠なし)、③と④には愛宕灯籠(松上げせず)、なのに、②にだけ愛宕モノがなかったのです。
それが今回ようやく見つかりました。ホッ。

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438_北区上賀茂前田町

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439_北区上賀茂津ノ国町

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442_北区上賀茂坂口町


いずれも昭和ひとケタの設置でした。
昭和ひとケタの上賀茂、どんなところだったのか想像を絶するなぁ、なんて思っていたら、京都府のHPに写真がありました。

7番がそれです。昭和18年なので灯籠の設置から10年ほど時代が下っていますが、場所はほぼジャストミート。けっこう開けてるんですね。なんとなく鬱蒼としているかと思ってました。
(21番は昭和3年の雲ヶ畑です。うわぁ、奇跡のよう。)

なお、この「古写真で見る自然環境、地域共同体とのかかわり方の変化」を担当しているのは大阪府立大学中村治教授です。
聞き覚えがあるなと思っていたら、岩倉の大量追加で言及した「洛北岩倉と精神医療」の著者でした。うわぁ。うわぁ。
中村教授、精神医療の人かと思っていたら、近代京都郊外の碩学でもあるのですね。
講演会とかワークショップとかしないかな。




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by fdvegi | 2018-03-17 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

西加茂の愛宕灯籠

上賀茂から賀茂川を渡って西側が西賀茂です。
ここでも2つ見つかりました。
京都市内北寄りの060_の近くというか、それよりも北西ですね。

驚いたことに、今回の2つと既出の060_がまったく一直線上です。奇遇ですね。
しかも、火袋の上にお札置きの小窓という形態もよく似ています。
偶然といえば偶然かもしれないけれど、何らかの一貫性を見出したくなるのが人情。


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440_北区西加茂北鎮守菴町

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441_北区西加茂光院町


ただ、その一貫性が何なのかはわかりません。何だろう。

興味深いことに、直線を北西に伸ばすと船山という山があります。
船山に寄り添うようにあるのが、なんと秋葉山と秋葉神社です。
京都にあって秋葉神社。なかなか根性きまってます。
京都の北西といえばまさに愛宕山ですが、緯度はそのままちょうど東にスライドしたところに秋葉山。市内により近いといえば近いです。

そんな戦略的配置を取ってきた秋葉の京都市内への流入を抑えるように愛宕灯籠が設置されてるとか?
近所にある「大将軍神社」もなんとなく「勝軍地蔵」っぽいし。
んー。。
どうなんでしょう。
単に市内北西の地から、もっと北西の愛宕山を臨んでいるというのが正解な気もするし。




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by fdvegi | 2018-03-14 00:30 | 京都在住 | Comments(0)