昨日自分で書いてふと思い出しました。 「河岸忘日抄」の感じが「供述によるとペレイラは・・・」に似ている。 躊躇と逡巡を楽しむ、あるいは否応なく味わうという点でも共通しているんじゃないかしら。 それを誘引して豊かにする題材が、本や音楽なのと事件であることの違いと、 寒空のクレープとコーヒーと、熱暑のオムレツとワインという違いはありますが、 最終的には自分を見つめることに帰する展開・主題も同じような気がします。 前者が徹底して決めかねたままうやむやに終えるのとは対象に、 後者は最後、巻き込まれてひどい目に遭うんですが。 だから何だと言われると困るところですけれど、 書く人に書かせれば、ちょっとしたレポートくらいにはなるんじゃないでしょうか。 ポルトガル語専攻の学生さんにはぜひ挑戦してもらいたいところです。 ところで、その「供述によるとペレイラは・・・」ですが、 何となく印象として、その文体がガルシア・マルケスの「百年の孤独」に似ているような、 似ていないような、そんな感じがしました。 タブッキは他に知りませんが、ガルシア・マルケスは「予告された殺人の記録」でも、 似たような書き方でした。 タブッキはポル語、マルケスはスペイン語で、当然ながら訳者は違います。 にもかかわらず、この似たような感じは、ポル語とスペイン語が良く似ていることもさることながら、(あるいは二人の文体が元々似ているのかもしれないけど) 日本での南欧語の学習に原因があったりはしないでしょうか。 これらを訳した人が何歳くらいで、どこでその言語を勉強したのかは知りませんが、 元が似た言葉なだけに、三人の訳者がその言語を学んだ教科者の書き手や 翻訳本の訳者が同じ人である可能性は否定しきれないはずです。 (あるいは、ポル語を無理やりスペ語から学んだ、その逆、ということだってあり得ます。 その方が一方から一方への影響はいっそう濃くなります) どうだろう。 こういうことを粘り強く追跡していくと、いずれ空海や小野妹子の世界にたどり着いて、 日本語の源流みたいなのが浮かび上がってくるんではないかと思って興奮してきます。 愛国心及び探究心に篤い人にはぜひ挑んでいただきたい事柄です。 ちなみに、ぼくとしては無闇に長い「百年の孤独」よりも キレのいい「予告された・・・」の方がおすすめです。 「百年・・・」は、シーツにくるまれて昇華してしまった娘のくだりだけがいい。 あそこにのみ真実に肉薄する虚構があると思ったね。
by fdvegi
| 2006-03-07 00:30
| 本を読んでみた
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