宇治から城陽にかけての愛宕灯籠

村の境界に関する一考察」という学術論文があって、園田学園女子大学の山本紀世子という教授が講師時代の1992年に、古老の話を聞くなど当時の史実を足で追いかけて調べ上げた記録です。
なので、その報告はなかなか迫力があります(論旨の良しあしはわかりません)。

お地蔵さんやお祭りを「村の境界を示すもの」として扱っており、愛宕灯籠は「お地蔵さんの他にも・・・」程度の扱いです。
これには、「道祖神的な役割とは異なる機能も持つ。むしろそっちが主か」とするぼくの素人的愛宕灯籠観とは相いれない節はありますが、とにかく、その見取り図は有益です。

というわけで、論文の愛宕灯籠たちを追いかけてきました。

宇治市大久保(旦椋神社)
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362_宇治市大久保町

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363_宇治市大久保町


旧平川村(論文より)
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377_城陽市平川

旧寺田村(論文より)
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373_城陽市寺田

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374_城陽市寺田

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375_城陽市寺田

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376_城陽市寺田



旧寺田村の375_と376_は一見すると到底愛宕灯籠には見えません。
ただ、山本教授が調査の中で古老をはじめとする地元の人たちから聞き取りを行ったことは想像に難くなく、少なくとも人々が愛宕灯籠として取り扱っていたのだと考えてよいと考えています。

旧平川村の377_に至っては場所も変わっているようでした。
元々、蓮開寺の近くにあったのだと思われますが、周囲がかなり宅地開拓されており、そのあおりで平井神社の境内に移動したのではないかという見立てです。境内の中でもかなり不思議な場所にあります。
愛宕灯籠っぽくない形なので実は全く関係なく、論文で示された愛宕灯籠はすでに撤去された、という顛末の可能性も否定はできません。

論文の管轄外ですが、少し北の宇治市大久保というところには旦椋神社(あさくら じんじゃ)という変わった読み方をする立派な神社がありまして、ここにも2基ありました。
移設なんじゃないかなとは思うけど、ここに挙げた7基は基本的にスドーンと北から南への一直線の帯の上に位置してます。
ちょっとわくわくする感じです。




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by fdvegi | 2018-05-07 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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