旧田中村の愛宕灯籠

出町柳を拠点駅とする叡山電鉄、略して叡電に「元田中」という駅があります。
変な名前だなと思っていたら、すぐ近くに田中神社という有名じゃないけど大きな神社があるのでした。構えなんかもかなり立派です。孔雀までいます。
創建は863年という話もあるそうで、めちゃくちゃ古いです。

そして、田中神社の辺りを昔は田中村といっていました。
日文研に古地区データベースがあるのですが、そこに収蔵されている「古今都細見之圖」という地図にも「田中村」として登場しています。

地図の成立が江戸時代の1860年初期で、地図の内容は平安から鎌倉時代だそう。
また、「中古京師内外地図」という別の古地図では「田中ノ里」になっています。
こちらは同じ江戸時代の1750年に成立し、平安から安土桃山時代の様子を描いているとのこと(千年くらいあります。一枚の地図に描くにはレンジが長すぎじゃないでしょうか)。

古地図というのも難しいものですね。
常に現時点を描くわけじゃない、という、そりゃそうか的なことに改めて気づかされます。
そうやって世界は複層的になっていくのですね。

まぁとにかくそういうわけで、元田中駅の付近は旧田中村というところで、非常に古い歴史を持っているということです。
そこにありました。
ガガーン!

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447_左京区田中里ノ内町


何がショックかって、その目と鼻の先を毎朝毎夜のように通っているのです。
何ならその通りを通ったことだってあったような気がします。
なのに気が付かなかった!
気が付かないまま8か月もの間、奈良やら滋賀まで足をのばしていたなんて!ギャー!

と別に叫ぶことではないのですが、これにより東大路通にまで接近してまいりました。
総合的に見て何が一番都心に近いかはおいておくとして、従来、愛宕空白地帯の最東端は北白川の058_だったのです。
それが、これで一気に縮まりました。

現代的には北白川の近くという印象なのですが、昔の北白川というのはそりゃもう段違いの僻地、山中越えの入り口で、文化的・精神的な隔たりは相当なものだったんではないかと想像されます。

世界はまことに一筋縄ではいきません。

なんて思っていたら、もっと近くにありました。
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450_左京区高野清水町

川端通りから遠目に見えます。
遠目に見ながら、コインパークの精算機かな、なんて思ってました。
なんてこったい、イチから出直しだ。


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by fdvegi | 2018-04-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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