松上げのできないところに愛宕灯籠、というのがこのブログでの愛宕灯籠の扱いです。 本当の愛宕信仰は松上げという一種の山焼きであり、山がないとか木がないとか人里に近いとか、そういう理由で盛大な山焼きをできないところに置かれる縮小版の炎が愛宕灯籠という説です。 (ちなみに、松上げと五山の送り火は全く別のものです。) そういう意味では、愛宕の火伏信仰の本質は「火をもって火を制す」なのかもしれません。 火の神様を身近に置くことで災いなす火は伏せてもらう、という。 明智光秀で有名な「勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)」のイメージもやはり火ですよね。 最近、柳谷観音の護摩焚きを見る機会があって、思いがけず愛宕山と修験道とのつながりを思い出したのですが、なるほど、修験者たちなら山の中で大きな火を熾すことも可能だったかもしれません。 さて、どうしてそんな話をしたかといいますと、上賀茂にもようやく愛宕灯籠を発見したからです。 上賀茂神社の北、雲ヶ畑の南です。 ①雲ヶ畑は有名な松上げスポットで、その真下に当たるのが②上賀茂。 これら①②③④をつなぎ合わせると、(かなり観念的な)四角形になるわけですが、①には松上げ(灯籠なし)、③と④には愛宕灯籠(松上げせず)、なのに、②にだけ愛宕モノがなかったのです。 それが今回ようやく見つかりました。ホッ。 いずれも昭和ひとケタの設置でした。 昭和ひとケタの上賀茂、どんなところだったのか想像を絶するなぁ、なんて思っていたら、京都府のHPに写真がありました。 7番がそれです。昭和18年なので灯籠の設置から10年ほど時代が下っていますが、場所はほぼジャストミート。けっこう開けてるんですね。なんとなく鬱蒼としているかと思ってました。 (21番は昭和3年の雲ヶ畑です。うわぁ、奇跡のよう。) なお、この「古写真で見る自然環境、地域共同体とのかかわり方の変化」を担当しているのは大阪府立大学中村治教授です。 中村教授、精神医療の人かと思っていたら、近代京都郊外の碩学でもあるのですね。 講演会とかワークショップとかしないかな。 ■
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by fdvegi
| 2018-03-17 00:30
| 京都在住
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