鞍馬の愛宕灯籠、追加

鞍馬です。最初に探しに行った段階で愛宕っぽい425_のお札箱は見つかっていたいのですが、肝心の灯籠がないのでスルーしておりました。

しかし考えてみれば、一乗寺の101_や、堅田の280_も灯籠自体はないのですよね。
堅田には「愛宕」という確証がある一方、一乗寺に至っては限りなく愛宕的痕跡は薄いわけで、うん、考えた結果、鞍馬を三度訪れまして写真を撮ってきました。

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425_左京区鞍馬本町


ところで、西幡人さんへの返信で長々と書いた通り、鞍馬における民族と文化多様説を勝手に唱えております。
具体的には、鞍馬の人の出自は瀬戸内海ではないか、という憶測です。憶測ですよ。
文化庁のポータルサイト文化遺産オンラインに、「厳島・鞍馬図」が取り上げられています。

色々と不祥なのはいいとして、どうして厳島と鞍馬なのかが全く触れられていません。
厳島の相手は誰でもいいのだ、と書いてあるのみで、それが鞍馬であることはスルーされています。このスルーっぷりに、えも言われぬ因縁を感じてしまいます。

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255_左京区鞍馬本町


そして、鞍馬サイドにある瀬戸内海の痕跡が、この岩神灯籠だとするのが本ブログならではの灯籠的見解です。
鞍馬の最も奥に当たる255_は二度目に鞍馬に行って写真を撮ってきた岩神灯籠で、灯籠ばかりクローズアップしておりますが、全体として、南を向きの遥拝所の体をなしているようにも見えます。

で、南に何があるかというと、3kmほど下った松ヶ崎というところに「末刀岩上神社」という神社があります。
この神社は天然の岩がご神体なのですが、その神石というのが、昔、播州兵庫の海中で霊光を発していたものをわざわざここまで持ってきて祀ったのだと伝えられています。

海の中の大きな岩を本当に京都の山寄りまで運んできたとはさすがに考えづらく、実際のところは、精神的なつながりを表現しているのではないかと思われます。

つまり、鞍馬で松ヶ崎を拝み(遥拝)、松ヶ崎でジャンプして(神石の勧請)、遠き魂のふるさと瀬戸の海に思いをはせているのではないか、そういう事です。

鞍馬でも特に標高の高い奥まったところの人は、元々、瀬戸内海の人々だった。
そして遠い故郷に思いをはせていたところ、市原や二ノ瀬といった陸伝いの下の方から人々がやってきて、それと一緒に愛宕信仰もやってきた。

そのため、鞍馬の比較的南側には愛宕灯籠があり、北側には岩神灯籠がある。
時間が経つにつれて混然一体としてきて、岩神灯籠も愛宕灯籠として運用され始めて、212_には愛宕お札箱が備わっている。

一口に愛宕灯籠といっても石灯籠もあれば木製の灯籠もあり、そのお札箱も石製と木製とでは様式が異なり、岩神灯籠は岩神灯籠でお札箱があるものとないものがある上、そのお札箱は、愛宕灯籠に付帯のお札箱の中でも木製灯籠にセットの方、という、もう実に奇妙奇天烈に入り組んだ状態です。

この入り組み具合をもってして民族と文化多様説と銘打っております。
全部はずれかもしれません。




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by fdvegi | 2018-02-12 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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