小栗栖の愛宕灯籠

小栗栖と書いて「おぐるす」と読むようです。
そして、京都市のHPによると、小栗栖は山麓の平坦地を意味する大和言葉「くるす」に由来するのだそうで、京都というより奈良の影響が強いのかもしれません。
南に開く山科盆地の形状を見ると、何となくそれもそうかなという気がします。

ちょっと北の山科には東海道が通っています。
このあたり一帯が奈良と京都のぶつかる地だったのでしょう。
あまり目立たないんですが、山科を含めてちょっと目を凝らして探してみると興味深いものがけっこう点々としています。
大津皇子や粟津王など、滋賀すらも混じりあって、なかなかに壮大なロマンです。

小栗栖の灯籠は2基。
一つはかの有名な本能寺の変の主役、明智光秀ゆかりの地のすぐそばにありました。
明智光秀は敗走の果てに、この地の藪の中で討たれたんだそうです。その名も明智藪。驚きですね。

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414_伏見区小栗栖宮山

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419_伏見区小栗栖北谷町


本能寺に攻め込む直前には、愛宕神社の勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)を訪ねて武運を祈願していました。
そのほんの数日後の最期の地のすぐそばにも(リアルタイムではないでしょうけど)愛宕灯籠が静かにたたずんでいるというのは、いかにも歴史の妙味って気がします。





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by fdvegi | 2018-02-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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