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隣国へ17 ミャンマーは甘くない

今回のミャンマー。
8泊、ひそかに過去最長だったのかも。
インレー周辺にいる間は実に楽しく過ごしてました。
美しく、穏やかで和やかで、気候も悪くない。本当にいいところ。また行きたいな。

が、ヘーホーからマンダレー経由でモンユワへ行く移動日、時間的にどう考えてもマンダレーから先へ行く交通手段がないことが明々白々な日程を示され、でもまぁそこはミャンマー人的裏技があるんだろうと思っていたら、実は一切何も考えられていないという事態に直面して以降、グッと下降線をたどったような気がします。

結局、マンダレー―モンユワ間はほとんど偶然つかまえた普通のトラックで大量の卵と一緒に5時間以上かけて運ばれ(サスペンションとスプリングのありがたみを骨身で実感しました。トラックの荷台は本当にきつい。どうしても経験したいっていうんなら、せめて22歳くらいまでにするべきです。30過ぎてやると体とともに心にきます)、しかもその間に予備として持っていた10,000バーツを盗まれるという、泣きっ面に蜂という言葉では甘すぎる事態に直面さえしました。

あぁミャンマーは最後の最後に試練を与えたもう。

日程は以下の通り。
 バンコク→ヤンゴン
 ヤンゴン→ヘーホー→カウンダイン(Kaung Daing)
 カウンダイン→インレー湖周辺→カウンダイン
 カウンダイン→ナンシュエ→カックー→カウンダイン
 カウンダイン→ヘーホー→マンダレー→モンユワ
 モンユワ→ポーウィン→パコック→モンユワ
 モンユワ→マンダレー
 マンダレー→ヤンゴン→バンコク


隣国へ17 ミャンマーは甘くない_c0072352_3451174.jpg初日の夜。夕刻にヤンゴン着。両替したくてボスを探しましたが辺りは既に食べ物屋台でいっぱい。食欲はまったくないけど、うきうきしてしまって近くの飲み屋へ。知らない人にビールをおごってもらってしまいました。わさびとかいう和食屋でコックをしているそうな。へべれけだし英語はしゃべらないしで、ほとんどまったく意思疎通はできないけれど、そんなこたぁどうでもいいんだよ。

隣国へ17 ミャンマーは甘くない_c0072352_3524522.jpgHuPin Hotelが素敵過ぎ。同じホテルがニャンシュエの町にもあるそうですが、こちちらはKaung Daingという村です。敷地内を貫く道は実は山の上のお寺に至る参道で、まことにありがたい構図。従業員はほとんどが村の人たちで、数名でグループを作って楽しそうにお喋りしたり歌を歌いながら働いています。鳥や虫の声と相まって本当にやわらかな気持ちになります。もちろん全敷地インレー湖ビュー。

隣国へ17 ミャンマーは甘くない_c0072352_3552359.jpg翌日さっそくインレー湖巡り。ホテルでボートの手配を頼むと40,000チャット。村人に頼んでみたら20,000チャットでした。まったくもってDr. Ooのおかげ。水上マーケットの茶店から。こういうだらだら時間が愛しい。

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あしを伸ばしてインディンという寺へ。無数の仏塔に興奮し、その興奮を冷ますように間断ない風が無数の鈴の音を響かせます。これはいい。静かにしみる。実に感動した。

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翌日。ド迫力のカックー寺院。深い森を切り開いて立てたそう。修復が進んでいます。実は昨年バガンで会った女の人が、バガンよりここの方が印象深いと言い、バガン命だったぼくとしては度肝を抜かれて、どうしても行ってみねばと決意したのでした。寺院前の深い森の名残の巨木たちと突き抜けるような広い空が印象的。

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東側シャン地方は大豆の産地。豆腐を揚げたものに大豆ベースのタレをディップ。これがもう最高にうまい。これだけ食ってワインかビールでも飲んでれば満足してしまう。そんなうまさ。今回はほとんどモヒンガーを食べられませんでしたが、このとうふがあったからオーケー。Dr. Ooとの夕食はワインととうふ。これ定石。

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少しだけ歩いたタウンヂーの町は少数民族衣装の人でいっぱい。ごちゃごちゃしていて何ともいえない迫力です。昔の東海道筋とかこんな感じだったのかもな、などと思ったり。

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ミャンマー初のワイナリーAythaya Vineyardの美しすぎるワイン娘(Dr. Oo及びドライバーの賛同は得られず)。おっちゃんはほんと腰が抜けるかと思ったよ。シュエナンとタウンヂーの間の山沿いにあります。ワイン2本とブランデー3本購入。旅行中に全部飲んだけどね。もしもいつかヤンゴンに住むことがあったら飛行機バスタクシーを駆使して毎週末でも通いたい。

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ニャンシュエのお祭り。ドライバーとDr. Ooが妙に意気投合してばっちり時間を合わせてくれました。Dr. Ooはラカイン、ドライバーはシャン、ドライバーの奥さんはさらにマイナーなポン族だそうで、少数民族どうし気が合うみたいです。Union of Myanmarってそういうことなんだ、と5回目にして初めてその重みを感じた旅でした。昔、領主的な人がこの女の人から毎年奥さんを見繕っていたそうな。その名残。

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昨年に続いて2度目のモンユワ。今回はポーウィン山を目指して対岸へ渡ります。外国人はチャーターが義務だそうで、いざチャーター代を支払ったところ、別のボートが来るわけではなく、公共ボートが即座に出発する仕組み。そこから先はジープをチャーター。チャーター続き。

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トルコのカッパドキアを彷彿とさせる岩に開いた穴穴穴。そしてその中に無数の仏像。一人だったら絶対怖かった。行けども行けども何か出てくる、という実感。冒険っぽくて興奮しました。一番古いので14世紀頃という壁画も問答無用でフラッシュ撮影。素人目にはこれも充分世界遺産物件だと思うんですが、どうなんだろう。ぼくの入ミャンと同日にパンギムン国連事務総長も入ミャンしていたそうですね。

隣国へ17 ミャンマーは甘くない_c0072352_4172162.jpg色鮮やかな野菜たち。アスパラの塩焼きが特にうまい。気温は普通に40度越えで、昼でもビールを飲まねばやっておれません。バンコクへ来て暑さへの耐性はだいぶん着いたつもりでいましたが、36度を越えたあたりでやっぱり何か一線を越えてしまいますね。本当に身がもたない。頭が回らない。余裕がなくなる。前回に続いて今回もモンユワという町には惨敗した感じ。

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しかし漆器の購入は忘れてません。90米ドルで大人買い。工房のおっさんはぼくのことなど覚えていないのはもちろん、博士様であるDr. Ooに夢中。なんか講義らしきものすら始めてました。軽く嫉妬。



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Two Onikus。












あぁ。
なんとなく反省や後悔ばかりが渦巻いていたけれど、写真を流し見ていくうちにまたいい気持になってきました。ミャンマー。

なんというか、疲ればかりが残って、答えが出ないというか燃え尽き感のない時間。
こんなミャンマーは初めて。
次はどうだろう。
性懲りもなくそんなことを考え始めています。



知人のミャンマー人にこころよく受入れられたアレンジのお願いは、こちらが何も考えずにザラッと描いた青写真のまま旅行代理店に回されて、固められていた。

経済的にまったく効率的でない飛行機の利用や(長距離なんで「一応、飛行機分の費用も用意してあるよ」という意味で念のために書いておいた)、どう考えても無理のある乗り継ぎ(これはさすがに疑問)、それらが無理くり手配され確定されていた。それは疑う余地もなく善意だった。愕然とした。

直前の圧倒的な体調不良や、妙な多忙、ミャンマーサイドでのネット利用の難しさ、ミャンマー人とはいえ知らない土地(京都の素人による青森観光の情報収集とは情報へのアクセスの水準が違うのでした)など、とにかく色々な要因が重なって生じたコミュニケーション不足により生まれた旅程は、不運をのして練り直したらこうなった的な、なんというか、どうしようもないものだった。

さらに、いわゆる「ホスト」としての責任感から生じる「ちゃんとした食事」や「ちゃんとした観光」の連続的な確保。そういうものは基本、一人での旅行では何かイベント的についてくるもので、その挙行は体力的にも精神的にも、ぼくをそうとう疲弊させた。思えばこれも、
ミャン「せっかくの旅行なんだから行きたいに違いない」
日本「せっかく提案してくれてるのに別に食べたくないとは言えない」
という、悪しき暗黙の配慮に支配されてしまった感があって、もう何だかやる方ない、情けない。

その上、財布を盗まれるという不運までおまけで付いてきた。これは旅行中はすべて彼に立替え払いをしておいてもらってあとで精算する、という流れから生じた危機感の甘さ何だと思う。

この旅行中立替え払い制度は、ヤンゴンで両替する時間がなかったために(自分としては)やむを得ず実施されたのだけど、危機感ハザードの他にも、累積使用金額の認識不足→漠然とした不安感という仕組みを作る、恐ろしいものだった。

あぁ、「最悪の場合、飛行機を使っても予算的に大丈夫。だけど、できるだけ効率的・経済的に動けるように考えてもらいたい」と、その一言をはっきりと書かなかった自分が恨めしい。こういう詰めの甘さが、一事が万事どこにでも現れるんだろう。

最終日、国内線専用の空港前の茶店で4時間、遂にようやく一人になった時間をすべて、そんなことをじくじくと考えることに使った。くすんだ茶店自体はしごく居心地が良かった。あぁ、こういう茫然たる時間をこそ求めてぼくはミャンマーに来ているのだ、最後の最後のこれが初めてだ、一体何をしに来たんだろう、などと思ってみたり。

ずぶずぶになってバンコクに到着したのが20時。周りの席の西欧人たちの話を小耳にはさみながら、彼らと同じようにもしもこのまま本国へ帰るとしたら、これからまた最低2-3時間は飛行機を待ち、さらに6-7時間のフライトなのか、と想像するや、もうダメだ、とこの先の自分の人生とミャンマーとの接点がほぼ途切れてしまったのを感じたのでした。

が、今、写真を流し見ていくうちにまたいい気持になってきた。う~ん、また行きたいよミャンマー。あぁミャンマー。

今回の反省:
・自分で両替し、自分の支払いは自分で行う
・旅程の作成に際しては、目的地だけを伝えるなどして完全に先方に任せるか、移動手段や宿泊先も含めて完全版の行程表を作って必要な予約や手配だけしてもらう
・予算はMax額を見せるのではなく、むしろMinimum額を見せるべきだった
by fdvegi | 2012-05-13 00:30 | 東南アジアなん | Comments(0)
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