災害を迎える

ずっと余裕をかましていた洪水ですが、いよいよのっぴきならない様相を呈してきました。
自分の足元へはいつ来るか、明日か明後日か、何センチだ、という、ちょっとした瀬戸際です。スーパーとコンビニからは水と缶づめが消えました。

自然災害防止法を適用するとかで、今や洪水関連についての権限がすべて国に移っています。非常事態宣言の一歩手前でしょう。
国全体を守る「政府」とバンコクを守る「バンコク都」との間では何かとせめぎ合いがあるようで、どうも国側が業を煮やしたという感じがしています。
おかげで、都知事が拒んでいた市内運河の開門が行われ、そこを通じての排水が実施されているとか、いないとか。

運河開門をしたからチャオプラヤの堤防が一部決壊したという話も聞きますし、実際には様子を見ながら少しずつ開いているという話もあります。
正直よくわかっていません。
消化できる情報が多くないうえ、整理されていないのです。

c0072352_22394312.jpg
車の消えたスクンビット通り。アソークの歩道橋からプロンポン方面。


さて、洪水といえば、バっと来てバババっと全てをさらっていくイメージがありますが、この国の場合(少なくとも今回は)、事情が違います。
北方500キロ先の連日の豪雨が、何週間も何ヶ月かけてゆっくりと南下してきているのです。それが遂にバンコクへ到ったと。

山間部から平野部を経て海へ至るという日本列島の流れ・高度差をピラミッドに例えるなら、タイは三角定規をペタンと寝かして端っこ一か所にチョコレートのかけらでも仕込んだようなもの。想像を絶して平べったいのです。

洪水に限らず、天災といえば突然やってきて一瞬で全てを奪い去っていくものというイメージがあります。日本の天災ってそういうのが多いですよね。
というか、一瞬じゃないので対応・対策が可能なものは多くの場合、天災じゃなくなってるか災害ですらなくなってる気がします。
この点、日本は何気に超すごいのです。

だから「災害がやってくる」という現状に、とにかく違和感があって困ります。
どうしていいのかわからないのです。
不思議な、怖いような、不安なような、不思議な感覚。
アメージングタイ。

世界は広いですね。
天災一つとってもこんなに違うのか。

c0072352_2241681.jpg
不安は食欲を煽ります。たこ焼き。意外にいける。しかも50バーツ。


余談ですが、そもそもタイにとって洪水は災害だったのか。
この国とカンボジアにはタムノップという灌漑技術があるんですね。
灌漑ですから水不足にならないように備える技術です。
それが何かというと、初めて聞いた時はとにかく驚いたんですが、わざわざ工学的技術を用いて(工事をして)川をせき止めて辺り一面(ヘクタールレベル)を冠水状態にしてしまうというものです。
つまり洪水を自力で起こして、その水で米を作って、命をつないでいたんです。
(タイの米生産はクメール、つまりカンボジアが伝わったと言われています)

報道では、どえらいレベルまで水に浸かっていながらも何となく悲愴感のないタイ人たちの写真もたくさん出ていますが、その理由は単に「毎年あるから」という量的なものに限られないのかもしれません。

そんな国のそんな洪水が、いつから災害たる洪水になっていったのか。
案外、災害誕生の秘密が隠れているかもね。

c0072352_22413583.jpg
昼間からビールをあおりに行ったら、ラグビーのフランス-ニュージーランド戦。
店内に溢れかえる西洋人がえらい騒ぎでした。それぞれの洪水です。

[PR]
by fdvegi | 2011-10-23 00:30 | 東南アジアなん | Comments(0)
<< 秋の大味、乾季ですから モン・フレール <私の親... >>