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右京区京北町の愛宕灯籠

これまで基本的に愛宕山の東側で捜索をしてきました。
西側は亀岡市で、そこはすでに「私たちの身近にある石造物を訪ねて」でカバーされています。203基。

ぼくが主に亀岡以東で見つけたのが約300基で、つまり、愛宕山から南に向かって扇状地状に愛宕灯籠が分布し、分布地域が上(北)にも拡大している様子(ただし時系列は不明)が確かにわかってきたわけですが、今回、愛宕山から真北の地点にも灯籠が見つかりました。
旧京北町です。現在は右京区の京北地域。

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旧京北町は2005年3月に京都市と合併しました。

その旧京北町も、もとは旧々北桑田郡内の5つの町村(旧々周山町←もともとは村、旧々細野村、旧々宇津村、旧々黒田村、旧々山国村、旧々弓削村)が合併してできた行政単位でした。

今回見つけた3基は、旧々北桑田郡の中の旧々周山町の2基と旧々弓削村の1基です。

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304_右京区京北周山町

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330_右京区京北周山町

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329_右京区京北伊崎町


何の気なしに旧京北町といいましたが、それが正しいのか、それとも旧々北桑田郡というべきなのか、とにかくこの地域は全域が基本的に山林です。それも広大な山林。

どう広大かというと、京北といえば、神護寺や高山寺で有名な高雄(すごい左上)のさらに奥なのですが、イメージ的に高雄の反対側にあるのが三千院で有名な大原(すごい右上)で、大原のさらに奥に行ったところに花脊というところがあります。
この京北(右京区)と花脊(左京区)が道でつながっているのです。つまり、山林で隣り合っているわけです。

わかるでしょうか。ミッキーマウスの、向かって左側の耳が【高雄・愛宕山】で、右側の耳が【大原・比叡山】です。

ミッキーマウスの両耳が隣り合うことはあり得ないし、片耳から片耳へ行くには、ミッキーの額や眉毛や、さらには目といった人物の主要部分を経なくてはいけないはずなのに、実は耳は外延部を取り込んで一体化し、ちゃっかりと耳と耳とで隣り合っていた、という話です。
何だかちょっと哲学的な響きになってきましたね。

とにかく、わずかに3基とはいえ、愛宕山の北側それも真北にも灯籠はありました。
右京と左京にまたがる広大な山林の中にはきっとまだまだあるのでしょう。うまく見つけられる気はしませんが。

これまで「扇状地的な広がりとその拡大」を想定してきましたが、視野を最初から「放射線状の広がり」に広げる必要があるようです。

ミッションは果て知らず。




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by fdvegi | 2017-12-11 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市湖西山側の愛宕灯籠

琵琶湖岸の地域とはいえ愛宕灯籠があるとすれば山寄りかなと思っていたら、意外や意外、がっつり水際でした。
と、和邇で書きましたが、山寄りにもやっぱりありました。湖側にも追加で発見。

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※網かけ部分は既出です(和邇、堅田)


平地からフォーク並び的に行かなくてはいけないこともあり、灯籠探しというより、そもそも集落にたどり着くのが大変でした。
でもあった。だからなおさら嬉しいです。


どの集落も由来などの細かいことはわからないのですが、真野については、「真野のむらのきろく」という小学校文集が昭和40年に作成され、今はネット上に復刻されています。驚きです。

「遠野物語」で有名な遠野の里を連想させるような(←遠野をよく知りませんが)、実に豊かな土着の文明が確かにあったことが、当時の小学生の視線で伝えられています。あるいは、「となりのトトロ」的な場所があったというべきでしょうか。

学校の先生の手がかなり厳しく入っているのがにじんでいる点も、当時の小学校の様子に思いが馳せられて楽しいです。

この文集で触れられているのは真野地区内の別の集落の愛宕講で、その集落では灯籠を探し出すことはできなかったのですが、ただ、こういう記録が残されている場所に灯籠も多く残っていることには、やはり一定の正の関係があるのでしょうね。


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320_大津市栗原



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322_大津市伊香立下龍華町

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323_大津市小野

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325_大津市真野佐川町

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289_大津市仰木

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290_大津市仰木

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326_大津市千野

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324_大津市真野



和邇以北の湖西と堅田では愛宕山と秋葉山への信仰が入り混じり、灯籠も混在していました。いずれも火伏の信仰で、方や京都発、方や東海浜松発です。その間にある滋賀。
湖西と堅田に挟まれたこの一帯も当然そうで(というか、ここも湖西です)、320_はまさにそうです。

愛宕灯籠だと思ったら「秋葉山」と刻まれているケースが間々あったりと、堅田など湖サイドも含めると、秋葉山の灯籠の数自体がかなりのもので、ちゃんと記録していないのが悔やまれます。

324_にいたっては、左が秋葉山の灯籠だから右側の文字がない方は愛宕灯籠だろうと推測するという、かなり高度(?)な類推テクが用いられています。

和邇以北の湖西でも文字がないものが結構たくさんありました(写真撮ってないけど)。
324_は320_に倣って愛宕という推理をしていますが、単独無記名の灯籠って、もちろん明かりという意味はありますが、思わせぶりですよね。

灯籠一つにきりきり舞いです。




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by fdvegi | 2017-12-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

島本町の愛宕灯籠、追加

島本町を高槻から分けました。
高浜一つかと思っていたら結構出てきたので、太秦に続いて独立。

絶対にあるはずだ!と思ってはいたけど捜索に行けてなかった場所に、ええ、やっぱりありましたよ。
この気持ちよさ。これこそが宝探しの醍醐味です。

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※網かけ部分は既出です。長岡京市。


最低でも月に一度は家族して通っている柳谷観音。
ここを目指すかのように長岡京や高槻で愛宕灯籠が群れなして立っていることがわかっております。
山の下にあるなら、山の中腹の集落にもあるだろうと踏んでいて、実際、浄土谷には見つかっています。
西側にもあると踏んでいたのが、この大沢と川久保で、はい、大沢にありました。
しかし、川久保にはなかった。不思議。(ちなみに、尺代でも見つけられていません)

川久保は本山寺という、大阪高槻と京都の間の山の上にある、何だかものすごくて一言二言では言い表しようのない修験道の寺への入り口のようで、平成11(1999年)までは小学校の分校もあったという、高槻市の東側の山間部の中心的な集落だったと思われます。
卒業生の方々はどうしておられるのでしょうね。
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333_島本町大沢

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310_三島郡島本町広瀬


水無瀬にもありました。
最初にないないと言っていた西国街道(山崎街道)です。
西国街道、さすが!




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by fdvegi | 2017-12-02 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

嵯峨の愛宕灯籠も追加

既にたくさんある嵯峨ですが、まだありました。堂々たる一基を見落としてました。
森嘉という有名な豆腐屋さんの隣です。

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朝一で写真を撮りに行き、ついでに豆腐を買って帰って朝ごはんにしようとしたら、意外とまだ開いてませんでした。嵯峨野の朝は静かです。
ぼくは厚揚げが好きです。


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314_右京区嵯峨釈迦堂藤ノ木町

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315_右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町


315_は愛宕の文字が見当たりませんが、愛宕神社の御旅所のすぐ隣なので一応。




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by fdvegi | 2017-11-30 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

太秦の愛宕灯籠、追加

ここが本当に太秦なのか、実はかなり微妙なのですが。

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福王子という、いかにも福々しい名前の神社に一基見つかりました。
朗らかなお名前に反して、ここの交差点が渋滞で有名というか、信号により絶対に自然渋滞する宿命の五叉路なのですが、その信号を待っていたら目の前にありました。

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305_右京区鳴滝本町

それと、嵯峨とは分離して別建てにしました。
嵯峨と太秦の土地としての連続性(の予兆・雰囲気)は無視できないのですが、かといってしっかりと見出すこともできず、ちょっとやきもきします。
誰か教えてください。




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by fdvegi | 2017-11-29 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

西京極の愛宕灯籠、追加しました

西京極といえば旧山陰街道、という前提で紹介しておりましたが、その山陰街道と七条通りがぶつかる地点に残っていました。一基。
ちゃんと探せよと、自分で自分に毒づきたくなります。

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308_右京区西京極西川町


それにしても、この周辺は道がとにかくニュアンス含みといいますか、十字に造成された道路の間を、細道が常に斜めに、かつ途中でガクッと曲がったりしながら走っています。
逆に言うと、網目状の交通網を作るために、元あった道たちを無視・蹂躙しまくったということなのでしょう。
その一筋一筋を丁寧にたどってみたいです。




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by fdvegi | 2017-11-28 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

一乗寺の愛宕灯籠、追加

灯台下暗し。
一乗寺で見つかりました。
しかも、一番最初の頃に見つけた003_から5歩くらいの場所です。
移設でしょうけど、そんなに近いのって、まぁないです。
しかも、薬師堂という施設の敷地内。
北白川の薬師堂にはなかったので油断しておりました。
お恥ずかしい。

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しかしそれにしても、この発見によって100_、321_、003_、が一直線につながりました。
その延長上にある101_は、やっぱり愛宕灯籠の名残・遺構なのではないでしょうか。

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321_左京区一乗寺堀之内町



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by fdvegi | 2017-11-20 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

桂周辺の愛宕灯籠、追加

にまだありました。
見落としというか、そんなところにあるのか、という感じ。
人んちの軒先です。
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こういうのって、個人の所有物になるのでしょうか。
だとしたら撮影にも掲載にも許可がいるんでしょうけど、誰から買ったんだろう。
おおもとの土地の所有者ですかね。
そのあたりちゃんと調べないと後々まずい事になるのだろうか。。


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309_西京区川島滑樋町




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by fdvegi | 2017-11-19 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

宇治田原町の愛宕灯籠

広報うじたわら」に掲載の2基を見に行ってきました。
行って初めて知ったんですが、宇治田原町の宇治茶押しはすごいですね。
というか、お茶以外のことが書かれた看板がなかった。

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モダンなお茶屋さんで抹茶ソフトを食べたとき、小さな湯飲みに緑茶をサーブしてくれました。
その色のきれいなこと、そして味のおいしいこと。
妻のノンカフェイン趣味により、日ごろ茶色いお茶一本やりの娘が、おいしそうにすすっておりました。


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302_綴喜郡宇治田原町岩山

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303_綴喜郡宇治田原町郷之口


ほの温かい緑茶をすする娘は普段以上の丸こく見えて、かわいかったです。




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by fdvegi | 2017-11-16 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市堅田の愛宕灯籠

滋賀県大津市の堅田というところです。カタタと読みます。
琵琶湖沿岸の町で、こちら側から向こう岸までの距離が琵琶湖の中で一番せまい場所だそう。
なるほど、今は琵琶湖大橋がかかっていますね。通行料は150円です。

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そういうわけで、かなりの大昔から水運や漁業の要衝地となっていたようで、ウィキペディアで見るだけでも11世紀後半には何とかという記載があります。
11世紀というと1000年代ですから、イイクニ作ろう鎌倉幕府の前、平安時代の話です。
平安時代の下鴨神社にフナを納め、代わりに税金を免れていたとのこと。

当時は下鴨神社にあんなところでの徴税権があったことも驚きですが、今の下鴨神社には大炊殿(オオイドノ)という古い調理場があって、神様の台所と銘打って重要文化財になっています。
おそらくその関係で、下鴨神社周りでは、他の地域よりも神饌(神様に収める食事)の種類やその扱いがクローズアップされやすい実感がありまして、その一角を堅田が担っていたというのは、ちょっと感慨深いです。
今も、御蔭祭りの前日に、おそらく神事として「献撰供御人行列(けんせんくごにんぎょうれつ)」なるものが執り行われています。
つまり堅田から下鴨へ魚を運んでいるのです。
やっぱり、それが翌日の御蔭祭りに使われてるんですかね。

昔の京都で魚といえば御食国(みけつくに)若狭の鯖にばかり気を奪われていましたが、京都から最も近い港は、実は滋賀なのですね。
運び方の仰々しさを考えると、神饌の魚はやっぱりフナなのかもしれません。

そんな大昔の話は愛宕灯籠とは何の関係もないような気もするし、いや待て、下鴨神社の辺りも昔は愛宕郡(おたぎぐん)だったな、などとも思ったり。

この辺りでは、正確には愛宕「灯籠」というより、お札箱がより専門的に(?)簡易祠もしくは石祠化し、その祠に灯籠が併設されて、一体として愛宕小社になっている感じです。
同じく滋賀の木戸でもお札箱が神殿化してミニ愛宕を形成していましたが、向こうの方がまだお札箱としての原型をとどめている感じがしました。
それと特徴的なのは、秋葉山灯籠との並存です。
愛宕灯籠とほとんど同じ数くらい秋葉山を祀る灯籠や祠がありました。
281_なんてまんまその象徴的な存在で、堅田全体が愛宕と秋葉の吃水域という様相を呈しています。
それと地蔵尊、特に延命地蔵がやたらと多かった。

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278_大津市本堅田

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279_大津市本堅田

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280_大津市今堅田

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281_大津市今堅田

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282_大津市今堅田

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283_大津市今堅田

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284_大津市本堅田

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285_大津市本堅田

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286_大津市本堅田

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287_大津市本堅田

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288_大津市本堅田


平安時代以降も、鎌倉時代や室町時代、戦国時代にかけても延々、様々な紆余曲折があったようです。
有力諸団体に囲まれた有力な街の宿命なのでしょう。
1468年には、比叡山延暦寺から焼き討ちにされ、町のほぼ全域が焼失したとのこと。
今もこうして蝟集する愛宕灯籠郡、それに秋葉灯籠群はその記憶の名残なのかもしれません。

全体として古きよき趣きが残る静かな町並みです。
ちょうど今がぎりぎりという感じ。移行中であって、完成はしていません。この姿であり続けることもありません。
何年か後には、所々に古さも残っている程度の住宅街になっている気がする。
浪乃音酒造の純米酒ええとこどりはおいしいです。





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by fdvegi | 2017-11-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)