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一乗寺の愛宕灯籠、追加

灯台下暗し。
一乗寺で見つかりました。
しかも、一番最初の頃に見つけた003_から5歩くらいの場所です。
移設でしょうけど、そんなに近いのって、まぁないです。
しかも、薬師堂という施設の敷地内。
北白川の薬師堂にはなかったので油断しておりました。
お恥ずかしい。

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しかしそれにしても、この発見によって100_、321_、003_、が一直線につながりました。
その延長上にある101_は、やっぱり愛宕灯籠の名残・遺構なのではないでしょうか。

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321_左京区一乗寺堀之内町



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by fdvegi | 2017-11-20 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

岩倉の愛宕灯籠、大量追加

岩倉には東側にしか愛宕灯籠がない、と言っておりましたが大いなる誤りでした。
西側にもありました。
そして、西側とはつまり岩倉実相院の周りを念頭に置いていましたが、岩倉実相院よりも南側にたくさんありました。小一時間歩いて約10基。釣果でいえば入れ食いです。
総数でいうと、あの広大な大原、左京区のラスボスをさえ上回っています。
これは奇怪。
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それで初めて岩倉について少し調べました。ネットサーフィンだけど。
そしたらとても興味深いことがわかりました。
近くに住んでいるのに全然知らなかった。
京都・岩倉を歩く─精神病患者と共存した町(前編)(後編) というサイト :

江戸時代の18世紀末にはもう、多くの精神病患者が岩倉を訪れるようになっていて、そういう患者のための茶屋などができていたという。明治時代になると、精神病患者を預かる保養所ができ、さらに村の多くの民家でも精神病患者を預かるようになっていく。
(略)
岩倉に預けられた精神病患者は、高貴な家や大会社の創業者一族などの子どもも多く、なかには精神病だけではなく、さまざまな事情で生家では育てられない人も含まれていた。
(略)
たいした産業もなかった岩倉の村は、精神病患者や里子を預かり、その生家からお礼を受け取ることで生計が成り立っていた。

18世紀末が仮に1790年だとしても、そこからなお80年ほど江戸時代が続く(~1867年)、そういうタイミングです。80年というと64年続いた昭和よりも長いわけですから、すごい期間ですね。
そして、明治になると民家でも患者さんや、訳アリの里子を預かっていたという。
預け元の家庭からお礼を受け取っていて、預け元の中には富裕な一族もいた、と。

ここから先は完全に勝手な推測なのですが、愛宕灯籠が林立する2つの要素があったのではないかと思うのです。
・精神病患者が多い岩倉では、一般的な集落や村よりも、夜間の明かりに対する要請が高かった。
これは患者さんのためでもあり、住民のためでもあったでしょう。
・訳アリな預け元の中には、預け先の生計を維持した上でなお余裕が出るくらい多くの謝礼を支払っていたところもあった。
結果的にこれが愛宕灯籠という形になったのではないか。

今回、追加で多くの灯籠が発見された一帯は、引用した中にある保養所の後身である岩倉病院の南東側で、病院からみると少し坂を下りた人里ということになります。
その辺りで特に常夜灯へのニーズが高かったというのは、わりと腑に落ちる仮説ではないかな、という気がしています。

そして、岩倉という地名って恐らく「磐座」が元で、大きな岩自体が神格化されたり、神様の降りてくる場所とされています。
山住神社というところがそれで、なるほど大きな岩がありました。
磐座自体は日本中のいたるところに結構たくさんあるのですが、それぞれの岩のあり様は千差万別です。

山住神社の岩は何ていうかな、当日の気候や日の傾き加減もあると思のですが、「独立不遜・孤高の大岩」という感じではないのですよね。
覆いかぶさって包んでくるような、微妙なほの暗さをたたえておりました。
引用したサイトでは、岩倉の地から見える比叡山の稜線の優しさにポイントを置いていましたが、ぼくとしてはむしろ、この磐座のあり様こそが岩倉マインドの骨格をなしているんではないかと思っています。

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291_左京区岩倉西河原町

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292_左京区岩倉下在地町

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293_左京区岩倉西河原町

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294_左京区岩倉上蔵町

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295_左京区岩倉西河原町

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296_左京区岩倉中在地町

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297_左京区岩倉忠在地町

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298_左京区岩倉忠在地町

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299_左京区岩倉忠在地町

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300_左京区岩倉西河原町

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301_左京区岩倉下在地町


それにしても、「洛北岩倉と精神医療」を読んでみたいと思いました。
それと、やっぱりちゃんと灯籠の設置時期の確認をしないといけないな、と。

あと、東側の愛宕灯籠たちとこの西側の灯籠たちって、関係あるのかな。
現状の地図に照らすと、なんだか岩倉中通りを挟んで別々の文化圏になるような感じがします。
叡山電鉄の線路を挟む南北では絶対違うような気がするし、小さなエリアでありながら岩倉、なかなかに興味深い土地だなと、再発見させていただきました。




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by fdvegi | 2017-11-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

左京区の愛宕灯籠 まとめ

左京区全図とともに。
右京区の山の上の愛宕神社の灯籠が左京区にもある。何と不思議なことだ。
そう思って捜索を始めましたが、いやはや、

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全部で80基もありました。

一部「愛宕」の確証のないものもありますが規模感としては力強いですし、網羅性という点では完ぺきに近いと思われます。

都市部を除けば集落は基本的に山沿いにあって、本当に山間部的な場所を除けば、愛宕灯籠のない山あいの集落はおよそ見当たらないわけです。

「愛宕(おたぎ)郡」という名前は平安京の前後からあって、現存する灯籠や常夜灯が建てられるはるか前のことではあるのだけど、それでもやっぱり、「愛宕郡」の名前の背景には、当の愛宕山からはるかに離れているにも関わらず、なおこの地に「愛宕山」の何かが網羅的に・一大勢力として存在していた、その驚きや畏敬の念が込められているのだと、そう思いたくなります。




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by fdvegi | 2017-09-20 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

鞍馬の岩神灯籠?

天狗と牛若丸で有名な鞍馬です。
鞍馬の火祭でも有名ですが、そんな鞍馬に火伏の神様である愛宕灯籠があるのはなんだか不思議です。
1基は二ノ瀬と同じ木製でした。

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鞍馬というと、駅からそのまま鞍馬寺に行って、頑張って歩いて貴船に回って電車で帰る、あるいはその逆、というコースが一般的に浮かびます。
貴船が、駅から貴船神社までほぼ一貫して観光的意志に貫かれているので、それと同じように鞍馬も駅から寺までの世界がいわゆる鞍馬かと思ってしまうのですが、なかなかどうして、鞍馬には駅とか寺とは異なる、古い細道に沿った静かな町並み、ローカル鞍馬がわりときれいに残っています。
灯籠はその細道に沿って残っていました。

いずれもお札箱があるので、お札を納めていたということでしょう。
鞍馬寺から愛宕神社まで、試しにグーグルマップで調べたところ25.2km 、徒歩で6時間17分と出ます。往復すれば単純計算で12時間。
同じルートが過去にもきれいに整備されていたとは考え難く、山あり谷あり、いくら早くても1泊2日の強行軍ではなかったかと思われます。
持ち帰ったお札をお札箱に収める恍惚感や達成感、そして各家に配られた「阿多古祀符・火迺要慎」のありがたみたるや、とてつもないものだったに違いありません。


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211_左京区鞍馬本町

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212_左京区鞍馬本町

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213_左京区鞍馬本町

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214_左京区鞍馬本町


いや待て、ん?
212_に「岩神大明神」とあります。灯籠の形といい、お札箱といい、どれも見た目があまりにも愛宕灯籠っぽいので思い込んで写真を撮っていました。
家に帰って初めて気が付いたんですが、ひょっとして愛宕灯籠じゃない?
そう思ってよくよく見てみると、213_にも最初の文字として「石」が見えます。「愛」より「岩」に近い。
実は、鞍馬にいる間にも「岩神」に気が付いて撮らなかった灯籠が一つありました(こうなってくると撮り直しに行かねば)。

つまり、ここにあるのはすべて愛宕灯籠ではなく、いわば「岩神灯籠」ということでしょうか。
そして、211_も岩神灯籠の一つとしてここにあるとすれば、まったく同じ形状の二ノ瀬の木製灯籠たちも愛宕灯籠ではなく岩神灯籠という可能性が浮上してきます!むむむー!

巻頭言に書きました「したかった事」その3に照らすと、愛宕勢力圏のまさに境界部分ということになります。ミステリアスです。
岩神神社ってイマイチ聞いてことないし、確認できてません。
誰か何か教えてください。
左京区、最後の最後になってスリリングになってまいりました。ドキドキ。




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by fdvegi | 2017-08-28 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大原の愛宕灯籠

「京都ぉ~、大ぉ~原 三千院♪」というフレーズを、35歳と30歳の知り合いは、もはや知りませんでした。最近ではむしろ、自然、里山、田舎暮らし、癒しの風景のイメージなのかもしれません。

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三千院の向かいの山には寂光院というお寺もあり、これは聖徳太子が建てた(6世紀頃)という話もあれば、源平合戦の頃(12世紀頃)の皇后かつ天皇の母という、やんごとない人が住まわれたところでもあります。
近くには二ノ瀬に出てきた惟喬親王(9世紀頃)のお墓もあって、京都の果てでありながら、もはや異様なまでの歴史的・文化的密度を誇ります。

灯籠は、三千院付近と寂光院付近に集中しつつ、大原という広い盆地全体をカバーしている状態で、その数20基(2017/08観測)。
一乗寺も岩倉も八瀬も静原も他のところも、それぞれ小ぶりながら奥行を感じさせる興味深い場所です。しかし、大原捜索の帰路、自然とわきあがってきた感慨は、「左京区のボスは大原」というものでした。あっぱれなほどに、それはもう段違いというか圧倒的というか次元違いの大物が一番背後に控えている。
それが京都の左京区なんだなと思いました。

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189_左京区大原井出町

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190_左京区大原井出町

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191_左京区大原野村町

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192_左京区大原野村町

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193_左京区大原野村町

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194_左京区大原草生町

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195_左京区大原草生町

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196_左京区大原草生町

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197_左京区大原草生町

ちょっと一休み。
ここまで高野川の北側(左側)で、ここからは南側(右側)です。
北側の方がもっぱら駐車場の料金は安めです。


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199_左京区大原来迎院町

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200_左京区大原大長瀬町

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201_左京区大原来迎院町

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202_左京区大原来迎院町

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203_左京区大原来迎院町



また少し一休み。ここまでが高野川南側でも、特に三千院周り。ここから先は高野川南側で三千院までは行かない京都の街寄り。


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205_左京区大原大長瀬町

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206_左京区大原上野町

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207_左京区大原上野町

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208_左京区大原上野町

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209_左京区大原戸寺町

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210_左京区大原戸寺町


はたと思いが出しました。そういえば、左京区って昔は「愛宕郡」だったな、と。
そうなのです。
平安の昔から明治くらいまで、今の左京区の大半は愛宕(おたぎ)郡であり、大原は愛宕郡の中の小野郷に属していたそうなのです。
さらに、再々登場し、この地に眠っている惟喬親王の別名がまた小野宮というそう(秋篠宮文仁親王と同じように、小野宮惟喬親王ということでしょう)。

何だかもう色んなものが入り組みすぎです。


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by fdvegi | 2017-08-27 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

二ノ瀬の愛宕灯籠?

※鞍馬の調査(8/28)により、二ノ瀬の灯籠がいずれも「愛宕灯籠」ではない可能性が浮上してきました。なのでタイトルに「?」を追加しています※

二ノ瀬です。京都でも、それがどこなのか明確に知っている人は少ないんではないでしょうか。
何となく聞いたことはある。あの辺かなって気はする。だけど全然自信ない。
そんなところで、まだ平均点高めなのではなかろうかと。

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鞍馬・貴船へ行く間にある最後の駅で、市原と鞍馬・貴船の間にある小さな集落なのですが、最近トンネルができたので今後は車で通ることすら稀になっていくのだろうと思われます。トンネルにその名が残る、という展開をリアルタイムで目にしているのかもしれません。

ただ、ウィキペディアによると、惟喬親王が雲ケ畑にある市ノ瀬(≒一ノ瀬)の次に暮らした場所なので二ノ瀬というとのこと。歴史の深さはシャレにならないレベルです。9世紀とか、そういう話ですから。

静原や八瀬と同様にかなり限定可能な集落です。その中に5基見つかっており、探せばもう1つ2つはありそうな雰囲気もありますが、とりあえず5つは確定。同じく手つかずとはいえ、どことなく瀟洒感のある静原とは完全に一線を画した "朽ち" 感を味わいに、今のうちに訪ねておきたい場所だと思います。


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188_左京区鞍馬二ノ瀬町

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094_左京区鞍馬二ノ瀬町

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187_左京区鞍馬二ノ瀬町

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186_左京区鞍馬二ノ瀬町

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185_左京区鞍馬二ノ瀬町

いずれも木製。石製はひとつもありません。
ここよりさらに山奥である鞍馬にも木製があるようなので二ノ瀬限定の奇習というわけではないのだとは思いますが、はて、石がなかったからなのか、重たすぎたりして都合が悪かったのか。それとも、木でないといけない何か理由があるのか。
惟喬親王には、えぇ、隠棲の身にあって周辺の杣人(流れの林業従事者)に木工技術を伝授し、結果、お椀やお盆などの加工・製造が日本各地に伝わったとの伝説があり、一部では「木地師の祖」とも呼ばわれているようではありますが。。。




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by fdvegi | 2017-08-22 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

北白川の愛宕灯籠

北白川。近所なわりに妙にごちゃごちゃしていて謎深い印象があるこのあたり。
エリアのすぐ南隣には銀閣寺や哲学の道がありますが、まったくもって一線を画しています。
道もいまいちスムースにはつながっていません。なんだか徹底されています。

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灯籠は有名な志賀越道に沿って残っていました。
志賀越道に沿ってはいるけど、このあたりに至るまでの(荒神口からの)志賀越道には、大きなお地蔵さんはあるのに灯籠は何も見つからないわけで、いやはや不思議というか何というか。


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116_左京区北白川下池田町

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115_左京区北白川下池田町

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114_左京区北白川下別当町

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058_左京区北白川東小倉町

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131_左京区北白川下池田町

白川通という幹線道路に面した状態で114_が立派に残っていることも驚きですが、北白川天神宮という(個人的に)市内屈指の謎というか混沌スポットに、「愛宕」の文字がほぼほぼ消えかけながらも、116_がグッと黙して立ち佇んでいる様子には、言い知れぬ凄味すら漂います。

131_はかなり微妙かなとは思いつつ、お札箱もあるのは珍しいなと念のため。

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by fdvegi | 2017-08-18 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

岩倉の愛宕灯籠

岩倉といえば実相院。
と相場が決まっていますが、意外と、愛宕灯籠は実相院の周りにはありません。実相院から東側の長谷町に密集しています。

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東に長谷八幡宮という神社があるのでの影響かもしれませんが、それよりむしろ、瓢箪崩れ山の山ふところに灯籠がある、という印象が強いです。一乗寺や市原との共通性を感じます。

お札箱も必ずセットされていて、やはり、山に近い→木に近い→林業関係者が多い地域では、愛宕が単なる常夜灯としてだけでなく、より原型に近い、火伏の信仰として息づいていたということでしょうか(静原は林業の郷ではないのだろうか)。

なお、このエリアのお札箱には愛宕灯籠業界でもっとも雄大で優美な飾りがついています。
その威容には、思わず信心というか畏怖の念を抱かずにおれません。そして何より、地域の人々の継続的な営みに頭が下がります。



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133_左京区岩倉長谷町

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030_左京区岩倉長谷町

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031_左京区岩倉長谷町

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033_左京区岩倉中町

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034_左京区岩倉下在地町

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032_左京区岩倉長谷町

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095_左京区岩倉花園町

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096_左京区岩倉花園町

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035_左京区岩倉三宅町

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132_左京区上高野三宅町

最後の132‗は三宅八幡宮の中です。
お札箱がないので岩倉ではなく上高野エリアに入れるべきかとも思います。
あるいは、そもそも愛宕灯籠ではないのかもしれません。
が、この佇まい、境内のいかなる文脈にもなじみません。
だからつい愛宕灯籠であって欲しいなと願いを込めてしまいます。

ただ、この三宅八幡宮自体がもともとは近くにある伊多太神社の摂社だったという説もあり、であれば、ここらの地域全体が伊多太神社の境内だったということになって、それだけ大きな神社であれば別の神社由来の灯籠が境内に置かれることは許さないかなぁ、やっぱり違うのかなぁ、とも思ってみたり。
大人しい顔して謎の多い上高野、元は高野、大昔の小野郷です。

ちなみに、三宅八幡宮の「三」をひっぱり出してきて、「三宮神社」と関連付けるという荒業もできなくはない、のかもしれません。
愛宕灯籠と三宮神社はとかく相性がよいのですが、それはまた別の機会に。



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by fdvegi | 2017-08-17 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

市原の愛宕灯籠

市原は、賀茂川を上流へ上流へと上がって行くといつの間にかたどり着く、最終的に獲得する距離や高度に比してお得感の高いランニングコースです。

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と同時に、
・美人で有名な小野小町の老いた姿が残されていたり、
・クリーンセンター沿いのバイパスから一本地元に入れば(下りれば)、まんま江戸的な景観が残っている
という地味に歴史深い場所でもあって、ここも訪ねてみると面白いです。

さらに、市原には川島織物セルコン社がありまして、一説では、日本の緞帳で大型のもののほとんどはここの工場で作られているそうです。
テキスタイル(織物)の学校も併設していて、スウェーデン人の友人が留学して通っていた、という話を20年位前に聞かせてくれたんですが、その頃は京都に住んでいなかったし織物に興味もなかったしで、本当にさっぱり意味が分かりませんでした。
北欧から左京区の山の中へ織物留学に来るわけですから、すごい引力です。

そして、そんな京都が世界に誇る立派な企業である川島セルコンですが、不思議と、京都マラソンなどの京都挙げてのイベントにスポンサーとして入っているイメージがありません。だいたいいつも京セラや島津やワコールです。
街ではなく鄙・市原にある技術集団としての矜持のようなものを、そんなところに感じます。

ここでもお札箱が必ずあります。
そして箱には立派な装飾もなされていて、その点、岩倉に通じています。


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042_左京区静市市原町

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043_左京区静市市原町

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044_左京区静市市原町

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045_左京区静市市原町

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046_左京区静市市原町

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093_左京区静市野中町



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184_左京区静市市原町(2017/08/21追加)


045_が灯籠かといわれると微妙というか、これが何なのか正直よくわかりません。でも「愛宕」ではあるし、何より、その迫力が圧倒的です。
形で言えば093_も045_の系列かと思います。静原にも一つ、同じような形のものがありました。
一応、静市市原と静原静原ということでつながりはありますし、灯籠の形にも何らかの関係があるのでしょうか。興味深いです。





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by fdvegi | 2017-08-16 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

静原の愛宕灯籠

八瀬と同じく、静原もエリアが非常に限定しやすく、かつ総数が判明しています。9基。
ただし、ここは詳細な場所もしっかりわかってしまっているので、お好きな方はまずは静原の里マップも、ぼくの見取り図も使わずに探し始めるのがいいと思います。

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古風な町並みは驚くほど手付かずな感じで、ある意味、有名な美山よりもはるかに「千と千尋」的、タイムスリッパブルな空間です。町歩きだけでもかなり楽しめるし、道に迷ってもそうそう広くはないので、導入に好適です。

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020_左京区静市静原町

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021_左京区静市静原町

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022_左京区静市静原町

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023_左京区静市静原町

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024_左京区静市静原町

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025_左京区静市静原町

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026_左京区静市静原町

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027_左京区静市静原町

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028_左京区静市静原町

というわけで、住所はすべて同じでしたね。
山に沿った集落なので、お札箱がないのが個人的には意外な感じです。
しかし、逆にお札箱がないこと起点に考えると、集落の雰囲気が、一乗寺や八瀬や市原や岩倉とは一線を画してモダンな感じに思えてきます。
ぜひ、目視確認、体感してみていただきたい。

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by fdvegi | 2017-08-15 00:30 | 京都在住 | Comments(0)