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桂川沿い(東岸)の愛宕灯籠

四条通と五条通(国道9号)に挟まれた、嵯峨・太秦と西京極の中間地帯です。
カテゴライズしようがないというのが正直なところ。

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いずれも桂川沿いであることを考えると、川が線(例:街道)になって、嵯峨野の密集ディープな愛宕熱が伝わってきたという事かもしれません。
どちらも神社の中にありますが、元からそこにあったという風には見えず、そういう意味でも実態のつかみがたい一帯です。

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145_右京区梅津東溝口町

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146_右京区西京極東衣手町


灯籠探しで初めて行ったし、灯籠探しをしなければ未来永劫行く機会はなかっただろうと思われ、何だか不思議な気分です。

そこが過去に港だったからなのか、それとも別の理由でなのかも掴めていませんが、146_のある衣手神社付近のわずかな一帯に漂う濃密な空気感、栄華の名残、活況の痕跡は、市内でもわりと出色なのではないでしょうか。突き抜けるような好天だったこともあり、しびれました。
しかも、146_、どう考えても片方は破損していて、ここに仮置きされてるか、ここに置かれるという処分をされてます。謎だ。

145_は梅津大神宮です。「大神宮」の基準がまったく謎。




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by fdvegi | 2017-09-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

嵯峨・太秦の愛宕灯籠

嵯峨もまた、吉祥院のように広いです。
というか、どこからどこまでが嵯峨とか嵯峨野と呼ばれる場所なのか、ここもよくわかりません。
市内の西側は、東側に比べてエリアあたりの基本的な面積が大きいのかもしれません。何かと歴史的な影響があるのでしょう。

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ウィキペディアによると、吉祥院は菅原道真の曽祖父・土師古人が、平安遷都に際して天皇からもらった土地だそう。嵯峨はそれよりも古くて、太秦を根拠としていた秦氏によって開発が進められていて、平安遷都後には天皇や皇族たちの遊猟や行楽の地だったとのこと。
でもって、土師と秦という2つの家の間にも何かしら縁があるようで、いやはや、やんごとなき華麗なるネットワークが渦巻いていたようです。

ま、愛宕灯籠は、それよりずっと時代が下って、せいぜい江戸時代の話ですけどね。
愛宕山の登山口ともいえる裾野部分なだけあって、数も多いし、彫られているのも「愛宕神社」「愛宕大権現」ではなく、「愛宕山」というのが多いですね。

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159_右京区嵯峨亀山町

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158_右京区嵯峨二尊院門前神長町

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128_右京区嵯峨大覚寺門前井頭町

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129_右京区嵯峨大覚寺門前井頭町

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049_右京区嵯峨大覚寺門前六道町

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130_右京区嵯峨大覚寺門前宮ノ下町

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048_右京区山越中町

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050_右京区嵯峨甲塚町

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057_右京区嵯峨天龍寺角倉町

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127_右京区嵯峨中山町

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055_右京区嵯峨中山町

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056_右京区嵯峨北堀町

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054_右京区嵯峨五島町

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053_右京区嵯峨朝日町

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126_右京区嵯峨明星町

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052_右京区嵯峨朝日町

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051_右京区嵯峨野宮ノ元町


一休み。ここから太秦。太秦映画村で有名なうずまさです。
上述の通り、太古の昔は秦氏が治めていたそうで、秦氏が太い商売をしていたから太秦という説もあるようです。

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125_右京区太秦石垣町

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124_右京区太秦桂木町

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123_右京区太秦辻ヶ丘町



051_から056_にかけての捜索に妻と娘が付き合ってくれたのが、個人的には思い出深いです。
車で走っているといきなり古めかしい一帯になって、けれどファミレスがあって、普段はめったと行かないのに何となく入ってスパゲッティのお子様ランチを食べ、口の周りを赤くして、酷暑の中で灯籠を探し終えた後、ミニストップで命からがらソフトクリームを食べました。楽しかったなぁ。




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by fdvegi | 2017-09-08 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

西京極の愛宕灯籠

西京極競技場で有名な西京極です。
競技場の南と北とに、ぎゅっと時間を凝縮したようなエリアが残っていて、今回はその南側。

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実はわりと早い段階で灯籠自体は見つかっていたんですが、なかなか腰が上がらずにおりました。
というのも、これまで灯籠の分布を一定のエリア(面)ごとに区分するという作業をしてきました。
鴨川以東・左京区ではそれが可能かつ有効な方法だったと思うのですが、桂川周辺まで来るとちょっと難しくなってきます。
恐らくですが、ここらの灯籠は面で分布していると同時に、むしろそれより強固に、線でつながっています。
線というのは道路・旧街道のことで、例えば、ここ西京極南側は旧山陰道の系譜になるでしょう。

西京極という意味では北側にも灯籠があるのに、今回のように南側でしか紹介をしづらいのは、そのためです。
異なる二つの文脈を一つにまとめて紹介するというのをどうすれば自然か、というか出来るのか、難しいな、という風にじくじく考えておりました。
結論として無理なので、やっぱり分けて紹介させていただきます。

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149_右京区西京極河原町

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150_右京区西京極東側町

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152_右京区西京極東側町

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151_右京区西京極徳大寺団子田町

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154_右京区西京極中町

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154_右京区西京極中町


今回紹介した灯籠のうちほとんどは「旧街道を歩こう」的なブログなどで取り上げられています。
かろうじて152_で、愛宕灯籠に特化しているこのブログ(の愛宕企画)の面目躍如というところでしょう。
こういうのを見つけた時の高揚感がたまりません。

高揚といいますと、見取り図には名前が出ていませんが、154_からまっすぐ北には松尾三宮社という神社があります。といより、三宮社の参道の延長上に154_がある感じです。
出ました、三宮。





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by fdvegi | 2017-09-05 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

妙心寺周りの愛宕灯籠

さぁ、グッと西へシフトしました。妙心寺の周辺です。

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妙心寺というところは、ウィキペディアによると、京都市民からは西の御所と呼ばれて親しまれているそうです。
全然知りませんでした。


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118_右京区花園妙心寺町

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117_右京区谷口唐田ノ内町

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120_右京区花園宮ノ上町
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119_右京区花園寺ノ内町

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063_右京区花園寺ノ内町

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122_右京区花園寺ノ前町

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121_右京区花園寺ノ前町

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061_中京区西ノ京中保町

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062_右京区花園坤南町

062_は愛宕が文字はないものの、橋のたもとにあるのです。
この密集環境にあって、かつ橋のたもと・川のほとりと来ては、愛宕灯籠であると期待せずにはおれません。

そして、注目すべきは、地味に061_です。愛宕灯籠界唯一の中京区なのです。
愛宕灯籠が街中には見つからないという話は「市内北寄り」でしました。
市内北寄りの4基が形成する線が(ある意味)愛宕勢力の南限、つまり愛宕砂漠の北限ですが、この062_は愛宕勢力の東限。つまり愛宕砂漠の西の果てということになります。
そのフロンティアスピリットを心に感じつつ見上げる灯籠は、凛として強いように思えました。たぶん。



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by fdvegi | 2017-09-02 00:30 | 京都在住 | Comments(0)