ものすごいスピードで

立派な、たぶん誇るべきポジションに配属されて早1か月が過ぎた。
ほとんど何も仕事をしていない。
季節労働的な性格がある以上やむを得ないのかもしれないけど、まったく腑に落ちない。
自分のペースがつかめてません、なんて穏当で謙虚な表現をしてきたけれど、真実、腑に落ちていないのだ、いろんなことが。
わけがわからいない。

まぁ仕事の話はおくとして、これまでに式布団2つ、掛布団1つ、ホットカーペットのラグ、カーテン2つ、実印、こたつ、こたつ布団、テレビ台、靴箱、壁一面の棚、風呂の蓋、ガスファンヒーター、携帯電話、電灯1つを購入。
住民登録と実印登録をし、電気、水道、ガス、電話、インターネット、NHKの自動引き落としの手続きをした。
調味料やら掃除道具やら洗剤やら何やら、細々としたもの無間地獄的に調達している。
段ボールとプラスチック容器がただただ無防備に増えていく。
了えるべき手続きがまだ一通り済んでおらず、部屋は備わっていてしかるべき機能がいまだにまとも機能しない。
貯金を引き出す、それもやたらと頻繁に、という以外の行為が自分の経済や財産というものに対して何もできていない。
いただく給料は手続き上の関係で、なみのアルバイトよりも少ない。
あともう一月か二月、年内は確実に少ない。少ないというより家賃にしかならない。

暮らすというのはこんなにもモノゴトを一から整えたり、モノを買い揃えていかなくてはできないことなんだろうか。
無駄と無意味と、徒労と疲労ばかりが蓄積している。
そんな気持ちでいっぱいになる。

すこし落ちついてきた昨日と今日わかったことは、
・死ぬほど愛しみ大切にしていたミャンマー布がなくなっている
・しかもその布の存在すら妻とは共有できていないことが判明した
・世界民族衣装展やアイヌ民芸品展、それに日本の土偶展といった、魂を揺さぶられた展覧会のプログラムブックたちが軒並みなくなっている
・誰もその経緯を知らない。自分さえ知らない。

大切なものはなにも残っていない。
ただただ失われ続けている。お肌の潤いみたいに。

こんなのってあるだろうか。
ここは俺のホームじゃないのか。
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# by fdvegi | 2012-11-04 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

このビールが最後

今日、バンコク生活最終日を終える。
明日はもう朝起きて清算をしてタクシーに乗って空港へ行くだけ。
何もしない。ほんとにもうこの夜が最後。
このビールが最後。

当たり前でおなじみの感傷にさいなまれながら、けれどそれと同居している、明日は直接空港か、8時出なら楽なもんやな、という極めて日常的な、それも今回は楽できるという安堵に似た感覚。
どうもおかしい。

2010年7月26日から始まって、今日が2012年9月25日、まさに2年と2ヶ月。
あの頃はまだ31歳だったのか。なるほど若い。
それなりにそれなりのつもりだったけれど、何だかちゃんちゃらおかしい、今となっては。
重力の違う国か、時間の早さの違う国へ行っていたみたい。
そんな風に思う。

こうして何度目かの外国滞在をして、「たくさん勉強しました」「いろんなこと経験できました」ではなくて、「仕事をしてきました」と言えるのはこれが初めてで、それがちょっと誇らしい。

初めてと言えば、妻にとってはまったく初めての外国滞在だった。
外国にいることで受ける苦しみの大きさは、外国にいることに慣れないことに比例する。
一般的な、ごく普通の、日本人の感覚として、そう思う。
今回のタイ滞在で、一番の慣れなさ、よって弱さを発揮していたのは妻だった。
あるいは、パートナーであるぼくとの差があった。
その点、ぼくはちゃんとフォローできなかったんではないかと思う。
言葉の勉強歴を過信していた節もあるし、自分がハタチだった頃の感覚はリアルではなくなっている。
後半になってようやく、そういうことに気がついた。
彼女の消耗は計り知れない。申し訳ない。
最後の晩、今晩、メールで「楽しかった」と言ってもらえて、この救われた感はいかばかりか。

さんざ通ったテイラーのおっさんは13年前からバンコクにいる、民族的にはネパール人の、国籍はミャンマー人。
世界にはそういう人がいる。
優雅に、あるいはクールに、または多忙を極めて世界を股にかける国際人だけではない。
国籍の異なる父母をもつ国際人だけではない。
国際的であること自体に縁のない悠然たる人だけでも、縁がないだけに必死になってそれを求める人だけでもない。
運命的にそうならざるを得ない国際人がいる。
彼らのたたえる悲しみは、地味にとてつもなく深い。
世界は広いだけでなく、深いだけでなく、多層的だ。
断絶は実は常に隣接している。

どうしようもなくとりとめがない。
圧倒的な時間が終わるのだから、それも仕方あるまい。
にもかかわらず、明日で無理ならまぁ次でいいや、となんだか本気でその意識が抜けていない自分もいて、いやはや、おそろしい。
タイ化したんだな、間違いない。
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# by fdvegi | 2012-09-25 00:30 | 東南アジアなん | Comments(0)

最終回 バンコクで読んでみた

帰国直前、バンコクで読んでみた。
前回が5月ということは、あれから約5カ月か。
長かったような、短かったような。
うまく感想が見い出せません。
明日が最終日だし。

もうちょっと早くタイやアジアについてまじめに勉強しておくべきだった。
ぼくはぜいたくな時間を過ごしたな。
無駄ほど気持ちのいいものはない。生きてるんだもの。
ぜいたくな時間を過ごした、2年2ヶ月、バンコクで、夫婦で。
これはきっとこの先大きな出来事になるだろう。

以下、バンコクで読んでみた。出張・旅先でも読んでみた。

 捨てる神より拾う鬼 縮尻鏡三郎
 浜町河岸の生き神様 縮尻鏡三郎
 日本の景観
 官僚川路聖謨の生涯
 大江戸観光
 花がたみ
 ダンス・ダンス・ダンス(上)(下)
 百日紅(上)(下)
 風の瞑想ヒマラヤ
 蒲田戦記 政官財暴との死闘2500日
 大学激動 転機の高等教育
 物書同心居眠り紋蔵
 眠れる美女
 羊をめぐる冒険(上)(下)
 69 シックスティナイン
 呪う天皇の暗号
 タイ 開発と民主主義
 タイ 中進国の模索
 おまえさん(上)(下)
 お尋者 物書同心居眠り紋蔵
 老いてゆくアジア 繁栄の構図が変わるとき

特別な時間が終わる。
そんな感じがする。

以上、バンコクで読んでみた。
さよならバンコク。
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# by fdvegi | 2012-09-24 00:30 | 本を読んでみた | Comments(0)

おのぼせさん

お久しぶりです。
そちら世紀の災厄には収束は見えてきているでしょうか?

こちら最後のご奉公バングラ出張を終えてすっかり風邪を引きこんでおります(空気ですよね、やっぱり。まず喉、そして風邪という流れ)。
東京から来ていた研修生が明日帰国で、今日、近くで用事を済ませるというので家によってもらいました。
そこで彼女の会社に提出する研修終了の報告と所感の写しを手渡しました(秘密)。
2人にまたがった上司たちの目は通しておりますが、案文はぼくがすべて書きました。
部下でも直接の後輩でもないですが、初めて自分で評価した相手というのは、なんというか感慨深いものがありますね。

そこで、すっかり失念していた自分の人事希望書き。
もうじき締め切りです。
忘れてた。
というわけでファイルを開いてみたところ、今年から自己評価の項目と基準が新しくなって階級ごとに細かくなったのですね。
ぼくの階級が該当する評価基準がこちら(任意抜粋)。

 ○軽率な行動、発言を控え、自らが行う業務について常に責任を持つ。
 ○与えられた業務、課題に対して、やり遂げる意思がある。
 ○適切なタイミングで正確に報告、連絡、相談を行う。
 ○組織の一員としての自覚を持ち、チームプレーを心掛ける。
 ○難題に対してあえて挑戦する気持ちを持つ。
 ○多様な業務に関心を持ち、積極的に携わることで知識、技能の向上を図る。

以下、我ながら終わりを迎えて舞い上がっている部分もありますし、偉そうなことを言っている自覚も重々あります。

けれど、この間の仕事って、この基準で自己評価しうるものか?と、思わず絶句してしまったんです。本当に。
現に、ぼくの後任はぼくの2つも上役さん。評価基準も圧倒的に違います。うちの会社が彼を推薦したのです。
にもかかわらず、同じ仕事をして、俺はこの基準で自己評価させられるのか。
そう思うと、何ともやりきれない思いに襲われるのです。
お膳立てをした仕事について、彼のために引継ぎ書を書きながら。

そして、すでに人事部署からは「主任以下の人事は来週頃なんで連絡します」とお達しが来ています。
最近導入されたと噂を耳にしている昇任試験を受ける機会のなかったぼくは、引き続き今のままで、どこかに配置されるのでしょう。

自己評価は子供だまし。
外部評価は実質的に行われない。
あぁ。

いや、偉そうなこと言っているのはわかっているのです。
昔はもっとひどかったんでしょうし。

すいません、のぼせて愚痴りました。
帰国は9月26日になりました。
27日に荷物がやってきます。

これからまたよろしくお願いします。
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# by fdvegi | 2012-09-16 00:30 | 東南アジアなん | Comments(0)

隣国へ22 バングラデシュ万感

バングラデシュへ行って、ノーベル平和賞の受賞者とおしゃべりし、肩を組んで写真を撮ってもらった。
これってすごいな、と思っていたけど、帰って写真を開いてみたら、こっちの方が好きだった。
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ダッカの茶店で再会をことほぐ小おっさんと大おっさん。


偉そうだったり無礼な様子をしている自分の姿を写真で見るのは必ず嫌な気持ちになるけれど、世話になった年配の人を向こうに回してちょっとも遠慮のなさそうなこの写真に限っては、我ながらなんだか嫌いじゃない。

俺、えらくなった。
写真を見てそう思った。あえてそう形容しておきたい。
「偉く」なったわけではない。
田舎のおっさんが久しぶりに見た親戚の子に向かって言ってしまうような、あの「えらくなった」。わかるかな。
老けたというのでもない、疲れたとか年食ったというのでもない、成長したとか、まんま大人になったとか、そういうことでもない。
あえていうなら「幼さを減らした」かな。

そんな感じがするのよ。
自分で言ってりゃ世話ないけどさ。
まぁここは勘弁して。
今回ばかりはそこそこやれた気がして戻ってきたかと思ったら、毎度のことながら病院の世話になって今もうまく眠れずにいるし、大事に大事に使っていたリュックサックには意味不明の落書き汚れが付いてるし、特に何もせずに過ごしたはずの上司からは「まぁまぁの出張だった」の一言で総括されちゃうし、今回は今回でやっぱり色々と損なわれたのですよ。

でもね、いやーなタイミングのバングラだな、鬼門だな、と思っていたその不安だけは免れた。的をそらした。
今一番損ないたくないものは損なわずに済んだ。
それで充分いいよ。
おっさんは順調におっさんの階段を上るんだと思う。
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facebookのプロフィールに使いたくなる一枚

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# by fdvegi | 2012-09-15 00:30 | 東南アジアなん | Comments(0)

君にはできない

ぼくが抱えていた黒い思いは、たぶん後任者への嫉妬なんだろう。
きっとそうなんだろう。
新しい上司のもと、自由にできすぎることへの嫉妬心。

それと、そもそも侮った態度から始まる感じ。
今もうまくやっている人が、この先さらにうまく行っちゃう予感に目いっぱい舞い上がっちゃって、自分じゃそれに気がついていないから、とにかくもうひどくめんどくさい。
手に取るようなそういう気配。

いや。いや。いや。いや。あー、いや!
とも声に出して言い切れない、その正体とか真の実力とか、そういうところにちょっとおびえていたりもする自分。
そんな自分も嫌だった。

フェアじゃない。
整い過ぎてる。ていうか俺が整えた。
この際あれを言わずにいるか、あれは見せずに去ってしまおうか。
そんなことを正直ちらと考えた瞬間もあって。
それでもう心底ほんとに嫌になった。

何もしなさすぎるおっさんと、
何から何までアピールアピールで得意満面のおっさんと。
そんなことをぐだぐだぐだぐだ考えに考えに考え続けてたら、もう疲れた。
体までなんかおかしくなって。
こういうのってだいたい突然それも複合的にやってくるしさ。
もういいよ。

この何日か、つまり最後の最後の局面で、やりたかった企画を間に合わせたし、次に残していく青写真も描いた。
それらのおいしいところは結局全部持っていかれるわけだけど、そもそも間に合わせたり描いたりするその技量や器量を、ぼくは最初から持ってここに来たのではなくて、ここでいろんな人に作ってもらったんだと、少し満足したことで至った落着きの中で、アァ、不意に思い出した。

だからもうでしゃばるな俺。我を張るな。
愛するいろんな人たちにそっと小さく呪文を唱えて、宣言して、それで終えたい。
あなたが作ったぼくは、たぶんそれはそれで誰にも劣らずに、じつはひそかに、あちこちにけっこう普遍に。
だからここではすべてをここに、次に残します。引き継ぎますよ。

うん。
そう。

きみは気持ちよく行け。
きみにはできない。
だから全部残してやる。

思う存分、得意になれ。
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# by fdvegi | 2012-09-06 00:30 | 東南アジアなん | Comments(0)

送別される

妻も駐在奥様友だちに開いてもらったように、別れや異動には送別会がつきものです。

今月末に異動および帰国が確実となったぼくにもまた送別会が開かれます。
正直そういうのは苦手なので、お声がけいただいた方々には丁重にお断りを申し上げ、特にお世話になった方々には極めて日常的な集まり程度の場、つまり普段よりはちょっと豪華なランチくらいの席で感謝の意をお伝えしたい旨申し上げてきました。

が、7月に代わった新上司が突如として主体的に動きだし、
何人かの関係者に連絡を取って○日の晩ということで調整をつけてしまいました。
はぁ。
まぁ、それはそれでありがたいことで。
ちなみにその日は後任者が引き継ぎ出張で来タイしている日です。

そして、当の上司から一言。

「じゃあ、好きなところでいいのでお店決めて予約を入れておいてもらえますか。
後任者さんにもお伝えして」

・・・・はぁ?
自分の送別会、自分で段取り?

ていうか、日本からの出張者がいるってことは、そらもう当然タイ料理ですわな。
日本食はまずあり得ないし、イタリアンなんかの洋食にしたって彼にしてみれば意味不明ですから。

タイ料理。
正直、別にもう食べたい気もしないというのは100歩譲って、楽しみましょう。
実際食べればおいしいしね。

けど、その場で誰が注文するの?
あなた(上司)できないよね。ていうか、まだ料理知らんでしょう。
前回お客さんを迎えた時も完全無能力化、自力で帰るもことかなわず。

じゃ俺?
しかいないよね。部下ですから。
なるほど。

・・・それ何の会?

というわけで、開催とりやめ。
決定。独断ですが決定。
週明け発表。
送別会なし。

お世話になった方々と個人的にランチに行こうと思います。
お世話になった方々と。
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# by fdvegi | 2012-09-02 00:30 | 東南アジアなん | Comments(0)

お先です

22箱で届いた荷物たちが15箱になって出て行った。
これから約一ヶ月、船に揺られて日本を目指す。

日通タイからやってきたおっちゃんとおばちゃんは”梱包Top2”だそうで、
怒涛の勢い及び繊細さ、そして箱作りの職人魂を遺憾なく発揮。
わずか1時間ほどで仕事を終わらせると、ついでのサービスで、
自力で持ち帰る予定の砂絵と鹿人形まで上手に梱包してくれた。
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梱包Top2と荷物たち


日本を発つ時に担当してくれた兄ちゃんたちもすごかったけど、
今回のタイ人たちもすごかった。感嘆した。
聞けばもう10年もこの仕事をしているそう。
この国にあって驚異の勤続年数。

日本の兄ちゃんたちも今回のおっちゃんおばちゃんも、
こういう人たちをこそ誰か顕彰してもらえないものだろうか。

とにかくそういうわけで、明後日には妻が、一月後にはぼくが、
荷物をおいかけて帰国します。
畳の部屋で再開する時、アジアの雑貨の山たちはどんな風に映るだろう。

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多国籍軍

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# by fdvegi | 2012-08-25 00:30 | 東南アジアなん | Comments(0)

テムプレエト

帰国の時期が着々と近づいてきて、最近、自分の後任となる人と連絡を取り合うことが多い。
その人も今は日本にいるので、引継ぎは僅かな出張でしないといけない。
驚いたことに丸一日しかない。
こちらとしては最低1日半あるいは2日間を提案したのだけど、ご本人の希望により日程決定。お忙しいらしい。
すごい勇気だな、と思っていた。

けど、メールを重ねていくうちに何となく事情が読めてきて、単にバンコクをなめているっぽい。
そして、前任者よりは自分の方が「できる」というのが基本的な認識として備わっているっぽい。
あー、めんどくさ。

めんどくさいけど、確かにそれはまぁ一理ある。
実は出向元が同じで、彼はぼくの先輩に当たる。
きっと間違いなくぼくより大変よくできるだろう。そう思う。

それ以上に、後輩の後任になるなんて懐の大きな人だ、と思っていた。
思っていたけど、なんだ、ふたを開けてみたら、どうもそういうことでもないらしい。
そういうわけで、最近ちょっとがっかりしている。

別の大陸・地域にある、バンコクよりも規模の大きな海外支所に「行ったことがある」らしい。あるいは、そこで補佐員をしていた人とはよくお話しするそうな。

それに限らず、同業同ランクの知り合いがあちこち無数にいるようで、「○○さんとは知り合いだ」とか「会ったことがある」とか、メールに占めるそういう話の割合が恐ろしく高い。

あと、同業者の中で自分たちより上のランク、いわゆる偉い人やすごい人にも「会ったことがある」とか、その人に「誰々を紹介してもらう」とか、その人が「今のバンコクについて●●と言ってる」とか、そういう話がポンポンと出てくる。

はぁ。そうですか。

すごいですね。
期待しています。

いい加減めんどくさいので、そろそろ自動変換に登録しようかなと思っている。
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# by fdvegi | 2012-08-18 00:30 | 東南アジアなん | Comments(0)

隣国へ21 深いよアジア

仕事でベトナムのユネスコ協会連盟を訪れた。
ユネスコというのは世界遺産とか識字教育をする国連機関です。ユニセフじゃないよ。
格的には、「国連の補助機関」ユニセフより、「国連の専門機関」ユネスコの方が上っぽいのです。影薄いけど。
その存在理念というか目的は、教育や文化の振興を通じて戦争の悲劇を繰り返さない、というもので、それでついつい「文化や教育」に気が行っちゃうけど、実のところ根本の根本は、平和への祈りなのです。
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緑の美しいベ・ユ教連本部。


さて、そんなユネスコ。日本で一番盛んだったのは全共闘世代ではないでしょうか。
今の60才台くらいですね。
逆に言うと、今は関係者が揃いもそろって高齢化してしまって、国内でのユネスコにはまったくと言っていいほど勢いがありません。
(ESDというのを広げようとする動きはあるかも知れないですが、実はそれは、ESDというのの言いだしっぺが日本政府だからなのです)

それをしり目に、ベトナムでのユネスコの勢いのあることあること。
具体的な事例を上げてしまうとそれはそれで細かすぎて指標にりづらいんですが、例えば一つのユネスコ的イベントに1万人が集まるくらいすごいのです。1万人て。ベトナムの全人口8500万人ですよ。

で、昔ちょびっとだけユネスコ関係者だったぼくとしては何でかなー、どうしてかなー、と考えていました。
Q1. そもそも何でこの日本で昔はユネスコが流行ったのか?
Q2. このご時世にユネスコなんぞがベトナムで流行ってるのは何故なのか?

A1. 昔の中心人物は大学関係者だった。
→戦争における無力を痛感した学者たちが深く反省し、教育という武器で、平和を作ろうとした。それがユネスコだった。

実はこれは先日知りました。恥ずかしながら先日まで知りませんでした。
なるほど、非常にもっともらしいというか、確かにそうなんだろうなと、うならずにおれない解説です。
でもって、Q2の解答にもちょっとつながる感じといいますか、、

8月15日を迎えようとする夜、ベトナム・ユネスコの偉いさんと話していて、ぼくは思わず度肝を抜かれました。
「ベトナムの歴史的・伝統的建築物の90パーセント以上がアメリカ軍の爆撃によって破壊されたんですよ」と。

あー!!
ベトナム戦争!
終戦は、、、驚きのたった30年前!
そう、今「このご時世」は、ベトナムにとってはまさにユネスコの時代だったのです。
(実際のところ、少しずつ高齢化が始まりつつあるようですが)
かつ、ベトナムの場合は単に戦争だけでなく、社会主義とか共産主義といった、正直よくわからない複雑怪奇な変遷もあります。

人々の心に確かな平和を築かなくてはいけない時代に、今、ベトナムはあるのです。

今経済面で熱い国(最近ちょっとミャンマーに話題を奪われ気味だけど)だけでは済まない、というか、今は何だが世界中が「よーいドン」で競争や共存を図っているものから、みんなが同じ競技場で同じ勝負をしているような気がするけど、そもそも競技場に入る・押し込まれる前の条件が違いすぎるんだってことを、今さらながら改めて思い知ったような気がしました。

深い。深いよ、アジア。
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食べ物はほんと最高ですよね。お酒も。コストパフォーマンスもいいし。ベトナム。

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# by fdvegi | 2012-08-15 00:30 | 東南アジアなん | Comments(0)