市原の愛宕灯籠

市原は、賀茂川を上流へ上流へと上がって行くといつの間にかたどり着く、最終的に獲得する距離や高度に比してお得感の高いランニングコースです。

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と同時に、
・美人で有名な小野小町の老いた姿が残されていたり、
・クリーンセンター沿いのバイパスから一本地元に入れば(下りれば)、まんま江戸的な景観が残っている
という地味に歴史深い場所でもあって、ここも訪ねてみると面白いです。

さらに、市原には川島織物セルコン社がありまして、一説では、日本の緞帳で大型のもののほとんどはここの工場で作られているそうです。
テキスタイル(織物)の学校も併設していて、スウェーデン人の友人が留学して通っていた、という話を20年位前に聞かせてくれたんですが、その頃は京都に住んでいなかったし織物に興味もなかったしで、本当にさっぱり意味が分かりませんでした。
北欧から左京区の山の中へ織物留学に来るわけですから、すごい引力です。

そして、そんな京都が世界に誇る立派な企業である川島セルコンですが、不思議と、京都マラソンなどの京都挙げてのイベントにスポンサーとして入っているイメージがありません。だいたいいつも京セラや島津やワコールです。
街ではなく鄙・市原にある技術集団としての矜持のようなものを、そんなところに感じます。

ここでもお札箱が必ずあります。
そして箱には立派な装飾もなされていて、その点、岩倉に通じています。


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042_左京区静市市原町

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043_左京区静市市原町

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044_左京区静市市原町

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045_左京区静市市原町

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046_左京区静市市原町

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093_左京区静市野中町



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184_左京区静市市原町(2017/08/21追加)


045_が灯籠かといわれると微妙というか、これが何なのか正直よくわかりません。でも「愛宕」ではあるし、何より、その迫力が圧倒的です。
形で言えば093_も045_の系列かと思います。静原にも一つ、同じような形のものがありました。
一応、静市市原と静原静原ということでつながりはありますし、灯籠の形にも何らかの関係があるのでしょうか。興味深いです。





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# by fdvegi | 2017-08-16 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

静原の愛宕灯籠

八瀬と同じく、静原もエリアが非常に限定しやすく、かつ総数が判明しています。9基。
ただし、ここは詳細な場所もしっかりわかってしまっているので、お好きな方はまずは静原の里マップも、ぼくの見取り図も使わずに探し始めるのがいいと思います。

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古風な町並みは驚くほど手付かずな感じで、ある意味、有名な美山よりもはるかに「千と千尋」的、タイムスリッパブルな空間です。町歩きだけでもかなり楽しめるし、道に迷ってもそうそう広くはないので、導入に好適です。

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020_左京区静市静原町

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021_左京区静市静原町

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022_左京区静市静原町

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023_左京区静市静原町

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024_左京区静市静原町

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025_左京区静市静原町

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026_左京区静市静原町

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027_左京区静市静原町

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028_左京区静市静原町

というわけで、住所はすべて同じでしたね。
山に沿った集落なので、お札箱がないのが個人的には意外な感じです。
しかし、逆にお札箱がないこと起点に考えると、集落の雰囲気が、一乗寺や八瀬や市原や岩倉とは一線を画してモダンな感じに思えてきます。
ぜひ、目視確認、体感してみていただきたい。

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# by fdvegi | 2017-08-15 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

八瀬の愛宕灯籠

八瀬です。
一乗寺に続いてここもランニングのコースで、今日は調子がいい、という時に一乗寺から上高野を抜けてここまでやって来ます。

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農道をかねる八瀬天満宮の参道は、お日様のスポットライトを浴びながらまっすぐに山に迫っていく感じが一種荘厳で、気持ち良いです。
平日に走りに行くと、近所の保育園児が散歩に来ていて、石段をよちよち登ったりしています。白いトレーナーは地域のテーマカラーでしょうか。

灯籠については、八瀬の集落全体で8基あるということが本に書いてあって、宝探しゲーム的には、そういう風に限定しやすいエリアで総数が示されている状態が一番楽しいです。全部で3回通いました。
そして、ここもまたお札箱が必ずセットで立っています。



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018_左京区八瀬秋元町

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017_左京区八瀬近衛町

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016_左京区八瀬近衛町

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019_左京区八瀬秋元町

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039_左京区八瀬近衛町

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040_左京区八瀬秋元町

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099_左京区八瀬秋元町

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098_左京区八瀬近衛町

ちなみに、写真の下の通し番号の順番がバラバラなことには何の意味もないです。

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# by fdvegi | 2017-08-14 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

一乗寺の愛宕灯籠

一乗寺は山ふところという言葉そのままのような場所です。
毎週のランニングコースですが、灯籠探しを始めたことで、いかに古い町並みの残る場所かということがわかりました。石垣、白壁、黒い塀。あまりも普通すぎて気が付きませんでした。貴重なんですね。静かでいいところです。

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灯籠もまだまだ眠っていそうだし、どんどん見つけ出したいところなのですが、いざ走りだすと脇目を振る余裕がありません。なかなかの葛藤です。
ちなみに、修学院エリアと隣り合ってはいますが、このエリアの灯籠には必ずお札を納める箱がセットされています。音羽川という環境的な分岐線に加えて、このお札箱の有無を、エリアを分ける目印にしています。

この「お札を納める箱」について、佛教大学の教授で「京都愛宕研究会」の会長の八木透という人が解説をしています。
近世以降、村々では愛宕講を組織して愛宕へ代参月参りを行ないました。代参者は祈祷済みの護符と樒を受けて帰村すると、まず村の氏神境内の愛宕社や愛宕灯籠などへ護符を納め、村全戸へ護符と樒を配ります。愛宕の護符は、家々では竈神である三宝荒神や台所の柱や壁に貼り、樒は竈の上などに置いて火難除けを願いました。
とのこと。要するに、
・愛宕山へのお参りは個人で行くのではなくコミュニティを代表して行く
・お参りに行ったら、行った人は一枚だけではなく大量のお札をもらって帰る
・コミュニティに戻ると、まず灯籠の箱にお札を納め、そして村中の人々にお札を配る
という事で、この箱の有無とコミュニティのあり方には連関があると思っていいのでしょう。

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004_左京区一乗寺門口町

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003_左京区一乗寺稲荷町

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100_左京区一乗寺稲荷町

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041_左京区一乗寺葉山町

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101_左京区一乗寺葉山町

101_は灯籠なきお札箱です。
全景を撮れていませんが、ここは石段の上で石段には階段も備えられています。つまり、人の出入り・立ち入りが想定されているわけで、元々は灯籠もあったのではなかろうかと推測しています。他の灯籠とお札箱のセットと同じように、左にお札箱、右に灯籠という風に。
であれば、今は葉山馬頭観音の石柱になっているその場所に、元は灯籠があったのでは、と思いは巡ります。(何の関係もない木箱だという恐れもあります)

それと、004_も100_も041_も「愛宕」の文字を確認することはできません。ただ、状況的に(?)愛宕灯籠と思わずにおれません。
そういうわけで、「愛宕」があってはじめて愛宕灯籠、とする説もある中で、ぼくとしては、それにこだわりすぎるのはどうかと思っています。長らく実用に供している内に建て替えが必要になって、その時に何らかの理由で「愛宕」」を彫らなかっただけではないのかな、と。節約かな。
・長らく実際に使っていたからいたみが激しいし、
・実際に使うからこそ僅かないたみでも安全重視で建て替えに至った
ということではないでしょうか。




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# by fdvegi | 2017-08-13 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

上高野・修学院の愛宕灯籠

最初に灯籠の存在に気がついた記念として、001_のある上高野・修学院を最初に紹介したいと思います。
毎週のランニングコースでもあり、一時期、地域の歴史的なことを必死になって調べてもいました。遣隋使で有名な小野妹子の息子の毛人(えみし)の墓もこのエリアにあって、崇道神社の背後の山肌にあるその墓碑から眺める里の風景には、平成の世にあってなお平安以前の古の趣きが漂います。

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そんなある日、道の角で不意にこの灯籠に目が留まりました。
大権現? 大権現って誰? どこ? 愛宕? 愛宕って愛宕神社の愛宕? それって嵐山の方やろ。
と、ずいぶんと混乱したのを覚えています。
というのも、ここは叡山電鉄三宅八幡駅のすぐ近く、つまり左京区で、比叡山の目の前というか、ほぼほぼ比叡山のテリトリーです。
そんな場所に遥か西方の愛宕山の名前があるわけですから、ほんとに不思議です。


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001_左京区上高野木ノ下町

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006_左京区上高野植ノ町

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002_左京区修学院仏者町

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005_左京区上高野水車町

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007_左京区山端川端町

007_は、ちゃんと撮れていませんが、左側の壁は地域の自衛消防団の建物です。そして奥は川。そう、
・川のそば、橋のたもとに愛宕灯籠。
・自衛消防関係に愛宕灯籠。
という位置関係にあります。この時は、上手に使っているな!という感じでしたが、灯籠を追いかけていくにつれ、それがわりと普遍的な構図だということを知りました。特に橋のたもと。
やはり火伏の神だからでしょう。最初に川があって、その水に沿って防火の灯籠を立て、その灯籠に寄り添うように地域の消防施設を作った、という自然と宗教と社会の変遷を追えるロマンが凝縮しています。





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# by fdvegi | 2017-08-12 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

愛宕灯籠の旅へ 目次

これまでに見つかっている愛宕灯籠をエリアごとの配置図とあわせてアップしていきます。
アップ済のエリア内にもまだまだ見つけられていない灯籠があるはずで、しかし、本当にあるかないかは不明なところが、また魅力です。
情報提供のほどお願いします。

大原

(以下、予定。順不同)
向日市
長岡京市
大阪府高槻市
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 ・
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# by fdvegi | 2017-08-11 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

愛宕灯籠の旅へ

ここ一月ばかり、愛宕灯籠を追いかけ回していた。
愛宕灯籠というのはその名の通り愛宕神社を祀る灯籠で、たいてい石でできている。
そこここの道ばたに不意に立っていて、特に規則性もないものだから普段あまり気に留まらない。
まさに路傍の石という感じで、亀岡市では「愛宕灯籠 私たちの身近にある石造物を訪ねて」という本をまとめたりもしている。

愛宕の読みはアタゴで、京都市右京区にある愛宕山と、その愛宕山にある愛宕神社を意味している。
愛宕神社は防火の神様で、京都を中心に「阿多古祀符 火迺要慎」と書かれたお札が台所に貼ってある様子は、“関西あるある”とか“台所あるある”の領域に近く、意味や由来は知らないけど気がつくと昔からあった、というくらい馴染みが深い。

そういうわけで、愛宕灯籠も基本的には防火の祈りを込めて建てられている。
分社とか摂社とか小ぶりな祠のたぐいとか、その手のものよりさらに手ごろな “わが町の愛宕”ということになる。

灯籠なので当然、火を灯す。(a) 一つ小さな火を灯すたびに、手に負えない大きな火、つまり火災への戒めを思い出すということだろう。(b) 実際、上記のお札を納める箱が隣接されている。

と同時に、町の灯りとして集落に穏やかな光をもたらす。そのため、(c) 多くの愛宕灯籠が常夜灯としての役割も果たしていた(一部は現役)。

火をつけたりする役割は村内・町内で持ち回りの当番制で、(d) 結果的にコミュニティの結束を高める装置として機能していただろう。

(e) 愛宕神社への案内板だったという説明がなされている場合もあり、愛宕街道など、実際に神社への途上ではそういう役割も負っていたのだと思う。

以上、灯籠には(a)~(e)の5つの機能があったと思われる。時代や地域によって、その組合せや役割を変えて、そこに立ち続けていたのだ、きっと。
最近では(?)、上述した亀岡市以外でも各自治体がちょいちょいと愛宕灯籠や「愛宕常夜灯」に言及していて、行政による扱い方の様子を追いかけるのも、それはそれでわりと面白い。

静原の里マップ(左京区)
文化遺産を探す(和束町)
高槻まちかど遺産(大阪府高槻市)

行政ではなく市井の人々にも、愛宕灯籠を愛宕灯籠として熱心に追いかけたり、あるいは、お地蔵さんや道しるべと一緒に歴史的なものの一つとして取り扱ったり、はたまた、散歩やサイクリングのついでに写真に収めたりする人がたくさんいて、すごい。
その情報量たるやすさまじく、確かにそこに存在していることの確認や写真で姿を見ることだけならば、そういう人たちのブログだけでほとんどカバーできてしまうかもしれない。

その中にあって、ぼくは3つのことをしたかった(現在進行形)。
・宝探し感を楽しむ(ドラゴンボール的な、あるいはオリエンテーリング的な)
・全愛宕灯籠を一つの平面上にマッピングする
・愛宕勢力圏を割出しつつ、勢力圏のでき方、文化・情報の伝わり方を見出す
(と言いながら、設置年月や設置者を記録していない。読めないのだ。これは追々大いなる課題になるんだろうな)

行政情報や一般の人たちによるブログ情報は極めて有力ながら、それでもやっぱり自分で行って探して見つけることの面白さや気持ちの良さは格別だ。灯籠をひとつ見つけるたびに本当にうれしい。
それは基本的には保証のない出会いであり、己の感覚・嗅覚への賭けでもある。そして、一つの発見するたびに、同時に、次の灯籠がふっと気配を表すような気がしてくる。なので、同じエリアへ何度も足を運んでは、次の灯籠、次の灯籠と追いかけて、本当に見つけたり(嗅覚の勝利!)。あるいは、別のエリアに思いを馳せて、ネット上を物色したり。

それはもう何だか旅するような心地だ。
あちこちへと空間をまたぎ、写真を撮る今世と石に刻まれた過去との時間を超える旅。
時間と空間?
思わず「モーガン・フリーマン 時空を超えて」の名前が、吹き替えの渋い声で頭の中にナレーションされる。

科学も、歴史も、知見をもたらすだけのものじゃない。
こんなにもトランスとリフレッシュ。すなわち冒険、遠くへの旅なんだ。
そんな気持ちにしびれる。
楽しい!

以下、ぼくが実際に見つけた灯籠たちを順不同でアップしていきたい。
まだまだ見つけられていないものがあると思うので、ご存知の方にはぜひ情報提供をお願いしたい。




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# by fdvegi | 2017-08-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

この余波を、乗り切れ

長らく勝手にリンクを貼っていたブログたちを削除した。
多くは更新が止まってしまっていた。
その間、自分もほとんどこのブログを更新せずにいたし、たまに気が付いても特段の対応をとることもなく過ごした。
そういう気にもならなかった。


思えば、これらを勝手にリンクしていたのは自分もタイにいる頃だ。
熱く、しかし思えば涼しげな季節。
タイから戻って4年。
この間、一度も外国へ行っておらず、それどころか一人で隣町に行くことすらほとんどなくなった。
代わりに子どもが生まれ、ささやかながら仕事で昇進して、足から何から見事なくらいに地に埋まったような日々になった。
別にそれが嫌とか悪いとかというわけではなく、そういうことなんだろう、そういうフェーズなんだろうと思っている。
そして、従来、フェーズというものは場所ととも変わる、あるいは場所を変えることそのものだと思っていた。
すなわち、それが生きる・人生を生きる、ということだと思っていた。
それが好きだった。だから

<京都在住> 京都
<北米上陸> アメリカ

という風に、このブログでもカテゴリーで分けていたのだ、たぶん。
だけど、なるほど、今に至ってフェーズの変わり方自体が変わったのかもしれない。
フェーズの変わり方自体が変わり始める、そういうフェーズ。
この変容になじめなくて、好きになれなくて、それで約4年、ほぼ放置ということになったいのかもしれない。
自分で作った巣に憩えなくなった。

あるいは、場所をとっかえひっかえし続けることで「人生を生きる」ことをしてきたのに、それがならなくなることで、知らず知らずのうちに単に「年を取る」ことに変質してしまいつつあったということなのかもしれない。
ちょっと大げさかもしれないけど。
だけど、そうだとすれば、それは確かにかなり大きなインパクトだと思う。
そして、この変質の感じが嫌で、そのことに何となく触れてしまうブログから遠ざかっているのかもしれない。
ブログというものが、生きていることを確認する場所から、年を取っていること突きつけられる場所に変わりつつあったということ。

うん、夜中に不意にそんなこと考えた。
単にリンクを外そうと思っただけだったのに、えらい面倒なことを考えてしまった。
けれど、わりと意義のある思考だったな。そう思う。



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# by fdvegi | 2017-08-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

親贈りの儀

うちの保育園は保護者会がやたら熱心で、年がら年中、何かしらの集まりが開かれている。
大きいものでは夏祭りがあるし、小さいものではその打合わせや作業会が、それぞれの分科会で営々と行われている。
卒園式すら保護者会の主催か、少なくとも保育園との共催のようである。
そして当たり前のように、親同士が積極的に仲良くなることを奨励しているし、実際、仲がよさそうな小集団がたくさんある。
入園したての頃、ひどく面食らったのをよく覚えている。

親同士が仲良くなることは子どもにとって・保育にとっていいことだ、という強い信念がある。
これは本当に信念のようで、底意地が悪いぼくは過去、夏ごろに開かれた保護者会の集会の場で

親同士が仲良くなることが子どもにとってもいい、というのは感覚的にわかるが、実証的なデータというか、それを裏付けるような研究結果があるのでしょうか?(←保護者の参加が熱心な保育園とそうでない保育園の卒園児を長年にわたって追跡調査し、その後の人間的な成長や社会的な成功等を比較する、みたいな研究があるわけない、という大前提で)

という質問をしたことがある。
保護者会への参加と保護者会としての業務負担はぶっちゃけた話、義務でもあって、共働きで忙しいから子ども預けているのに、その預け先で用務を増やすなんて本末転倒としか思えない。
実際、とても疲れたり消耗したりする。
それをあえてやるというのなら、それなりの根拠がほしい。

ところが答えは、何のてらいもなく「知らない」というものだった。でもやる。
そして、「実際のところ楽しいし」とかいうおちゃらけたとしか思えないコメントで流されてしまった。ガーン。
別に徹底的に嫌というわけじゃない。
ただ、真顔の正義面で正当性を語られるのが嫌なのだ。
なので、最後を「楽しいし」という気持ちの表現や感想で終えられたのは、不肖化ではあったけど、ぼくにとってはぎりぎりの線で正解だったと思う。

そんな保護者会と、つかず離れずやってきた。
で、昨夜、初めての父親飲み会に行ってきた。
何の大義名分もない、ただ、保育園の同じクラスの父親たちだけで飲み会をやろう、という趣旨の集まり。
内心、strava友だちかPolar友だちを見つけたっかったのだけど、結局、それは見つけられなかった。
3人の担任の先生も参加していて、夜中の12時まで楽しく飲めた。

で翌朝。
娘に飲み会の写真を見せたところ、「○○ちゃんのお父さん!」と一番仲良しの子の父親に目を輝かせ、さらに背後に写っている数人についても「○○ちゃんのお父さん」「○○君のお父さん」「○○先生!」と、それはもう活き活きと、興奮と喜びに打ち震えているかのようだった。

その様子を見て、ぼくはすぅっと合点がいった。
あぁ、親同士が仲良くなることは子どもにとって非常にいいことだ、と。
正直うまく説明できないというか、もしそれがそれだとして、ではそれのどこがいいことなのか、はよくわからない。
でも感覚として直観として、それは子どもにっていいことなんだ、と思えた。

子どもにとって、世界は大まかに二つに分かれていて、それは「子どもらの世界」と「大人との世界」だと思う。
子どもらの世界では、子と子が遊ぶ。
「遊ぶ」というか、保育園児くらいの子どもらにとって、「遊ぶ」は「生きる」とか「存在する」とか、非常に根本的な概念になっていると思う。
「お父さん、遊ぼう」というとき、娘は父と遊戯をしたり楽しく過ごすということより「お父さんと存在する」「世界をお父さんを含めたものとする」ことを選んだような感じがする。

子と子の遊びの中で、それぞれの家族や親に言及することもあるだろう。
自分の好きな存在(親)を共有しようとする、価値交換とか価値の贈与の意味合いがあるのも知れない。
しかし、好きなものがなまじ親であるばかりに、単純にきれいな石とかおもちゃとか「価値のあるもの」にはなり切れない。
親と子である時点で他人同士の子と子と関係より強固なので、子と子との関係にくさびを打ってしまうのだ。

(子ー子) :子ども同士
  ↓
(子ー{子)=親} :片方の子どもが親に言及 
{親=(子}ー{子)=親} :両方の親が子どもに言及

今言って初めて思ったけど、4歳児同士の会話の中で、片方が親に言及したとき、もう片方も親に言及するかどうか慎重に調べてみてもらいたい。
上の適当な図によれば、両方の子どもが親に言及すると、子と子と間のくさびがより強く(多く)なってしまう。
自然発生的に賢明というか社交という生きる知恵を先天的に身につけているはずの子という生き物は、片方が親に言及しているときは、自分は親への言及を控える、という行動をとってはいないだろうか。
じつに興味深い。

それがである。
親と親につながりが生じ、そのつながりを子と子が認識すれば、親という子にとって「かなり高い価値のあるもの」の交換が可能になる。
「かなり高い価値のあるもの」の交換を通じて、子と子はより一層の強固で緊密な関係を築けるだろう。
つまり友情を結ぶことになるのではなかろうか。

友情を結ぶことの成長や成功における価値がそもそもわかっていないので、「だから有価値だ!」と断言することができないのは残念だけど、けれどやはりそう思う。
なんとなく確信している。

また、子と子の関係だけではなく、子と先生の関係でも、そこに親が含まれ、子と先生と親が循環するような環境になれば、子は一層先生に強く求めることができるかもしれないし、一層いろいろなものを表現できるようになるかもしれない。
それはいいことだと思う。

それに、親と親や、親と先生が知り合いまくることで、一種のバーチャルな大家族的コミュニティ、村落的コミュニティになるのかもしれない。
それがいいか悪いかは、特に昨今、個人の好みによるところが大だとは思うけど、一般に、非行に走りにくいとか、そういう効果はあるやに思われる。

そういうわけだ。
やってみて初めてわかった。
子どもの成長というのは、子らの場所で子らに任せるより、親たちもいろんな時間と場所を使ってみるといい。
と、真顔の正義面で正当性を語りたい。



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# by fdvegi | 2017-07-02 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

空なんて

小林麻央さんが亡くなった。
例のごとく、実際にそうなるまではすっかり忘れていた。
お昼に知って、思いがけないくらいショックを受けた自分がいて、思わず戸惑ってしまうほどだった。

それにしても、なんだかよくわからないけど自分が舞台で空を飛べばお母さんは何とかなるんじゃないか、少なくともそれまでは今のままいてくれるだろうって、4歳の長男がもしそう信じていたとしたら、彼の喪失は、後々きれいごとに昇華できないくらいに深いんじゃなかろうか。

歌舞伎、続けられるかな。
海老蔵さんにそれができたとして、そういうことをバネにできたとして、4歳児に同じことができるだろうか。

俺なら無理だな。
地獄に向かってしまいそうだ。


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# by fdvegi | 2017-06-23 00:30 | 京都在住 | Comments(0)