大原野・沓掛の愛宕灯籠

灯籠を追いかけ回しているうちに、あっさりと秋になってしまいました。
先日は十五夜の月がまぶしく、取り囲む雲には鈍い虹色が反映されていました。幽玄丸出しです。
冷えた夜気を感じながら熱燗を飲んでいると、炎天下の嵯峨・太秦がますます懐かしく、愛おしく思えてきます。秋の郷愁ですね。

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さて、大原野です。
長岡京市と京都市西京区洛西タウンの間に広がる、まさに大きな原野ともいうべき一帯。
長い間、長岡京市に出入りしていましたし、洛西タカシマヤにもよく行っていたので通過はしていたのですが、驚くほど意識に上がってこない構造になっていると思います。この大原野という場所。不思議です。

奈良に有名な春日大社がありますが、奈良平城京から京都長岡京へと都を移した際に、その春日大社を小さくして京都へ持ってきていました。
それが大原野神社といいまして、この大原野の奥の奥、京都盆地の西端、小塩山の山すそにあります。
夏場のジョギングで走りに行って初めて知りました。
歴史の古さとしては、左京区よりも西京区の圧勝なのかもしれません。

灯籠はその大原野神社の周辺と、よくわからないけど東側の一極に集中している感じでした。
小集落をひとつひとつ丹念に探せばもっと出てくるような気もします。
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090_西京区大原野南春日町


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015_西京区大原野南春日町

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010_西京区大原野北春日町

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089_西京区大原野北春日町

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014_西京区大原野南春日町


小休止。ここまでが地図の左側。大原野神社周辺です。
010_が一番わかりやすいところに立っていて、ジョギングのコース上です。
それまで左京区でしか意識していなかった愛宕灯籠を、京都市内の西側で初めて、しかも不意に見つけたものですから、頭では何となくわかっていたものの、改めて、分布の広域さに感心したのを覚えています。


この先は地図の右側。
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243_西京区大原野上里南ノ町

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242_西京区大原野上里北ノ町

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241_西京区大原野上里北ノ町

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238_西京区大原野石見町

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237_西京区大原野上里南ノ町


ここまでが地図の右側。大原野には江戸時代みたいな小さな集落が散在していて、そのいくつかに灯籠が残っていました。
家の軒先で明らかに崩れつつある238_とか、我ながらよく見つけたなと思います。
242_は愛宕かどうか少し迷いはあるものの、小集落での密集感や位置関係からすると、そうであってもよかろうと思われます。確かなことは、はい、わかりませんが。


最後に沓掛に一つ。地図の左上の一つです。

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009_西京区大枝沓掛町


亀岡市との境界で、山陰街道の玄関口です。
亀岡市には市内だけで203基の愛宕灯籠が確認されています(「愛宕灯籠 私たちの身近にある石造物を訪ねて(平成6年)」より)。
一大集積地である亀岡から山陰街道を経由して京都市内へ流入して来たのか、それとも京都市と亀岡市それぞれで拡散・分布した灯籠が、この場所で面と向いて向き合ったのか。
どういう展開だったのだろう。




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# by fdvegi | 2017-10-07 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

山科の更新

山科で新たに一つ見つかりました。
勧修寺という大きなお寺の入り口に何気なく立っていて、どうして見過ごしたかな、というのが正直なところです。

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254_山科区勧修寺仁王堂町


火袋(火をつける四角い部分)も笠石(火袋の上に載っているふた的な部分)も宝珠(笠石の上に載ってるつまみみたいな部分)もなく、もはや灯籠の体をなしてません。
さすがにこれは「各地に残る愛宕常夜灯」に載っていなくても仕方がない気がします。
ちなみに、この左隣には別の種類の灯籠が3つくらい並んで建っていて、全体として移設されてきた感がありありとしています。


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# by fdvegi | 2017-09-25 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

物集女周辺の愛宕灯籠

桂駅から西に漸進すると南北に通っている道があります。
それが物集女(もずめ)街道で、東西に走る山陰街道と西国街道を、京都盆地全体のほぼ西端でバイパスする役割を果たしています。
物集女周辺というのは、より正しくは物集女街道沿いの、ということになるでしょう。
物集女という名前ですから、有名な大原女と同じように、そういう女の人たちがいて、それが地名に変わっていったのかと何となく思っていたのですが、どうも全然違うようです。

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※網かけ部分は既出です(桂周辺)


「もずめ」の「もず」は、大阪府堺市百舌鳥(もず)が元になっているとのこと。
大阪南部に住んでいた人たちがここへ移り住んできて、そのために地名も「もず」関係になったというのです。
その「もず」の人々が何者かというと、土師氏(はじし)といって土木造営集団だったそうです。有名な仁徳天皇陵など、大阪南部に大きな前方後円墳がありますが、そういうのを作る人たち。
物集女のある京都盆地の西側一帯もまた古墳の宝庫になっており(乙訓古墳群)、このことが「もず」の人々がここにいたことの有力な根拠になっているようです。

さて、ここで気になるのは、吉祥院で紹介した菅原道真のひい爺さんです。そう、土師古人でした。もろに土師ですね。平安京遷都に際して奈良から京都に引っ越してきて、吉祥院の地をもらったという話でした。

どこかに8世紀末の記録が残っているそうで、それによると、土師さんという一族(土師氏)には4つの大きな分家的なもの(氏族)があったそうです。
今の奈良市内の菅原町と秋篠町あたりに居住した二氏族、大阪府堺市百舌鳥と南河内の古市あたりを本拠とした2グループ。
彼らが相次いで改姓願いを提出し、新しく菅原氏、秋篠氏、大枝氏が誕生したんだそうです。
8世紀末ということですから800年頃、ちょうど794年ウグイス平安京ができたばかりの頃ですね。

つまり何かというと、同じ土師さんという親戚筋の人々がいて、奈良と大阪南部に分かれて住んでいた。
奈良の土師さんは吉祥院に来て菅原さんに改姓した。
それよりも前から大阪南部の土師さんは京都盆地の西側に来ていて、土地の名前を故郷である「もず」に変えていた。
ということのようです。
大枝という名前も、物集女の北にある山や地名に残っています。

さらにさらに、京都盆地西部「もず」の土師さんに土師真妹という女性がいました。この人が高野新笠という娘を産みました。そして、高野新笠は息子を産み、それが後の桓武天皇になりました(ここのサイト にいろいろ教わりました)。
桓武天皇が何をしたかというと、奈良の平城京を引き払って京都西部の長岡京を作り、さらに長岡京を引き払って平安京を作ったのです。

そうなるとですよ、桓武天皇は大阪南部系の土師氏の流れなので、最初は、大阪南部系の土師氏の作った京都盆地西部に都を移した。それが長岡京。
→しかし、いろいろ失敗した。
→それでは、と今度は京都盆地中心部に都を移そうと思った。それが平安京。
→長岡京は、大阪南部系の土師氏関係で失敗したので、今度は奈良系の土師氏を呼び寄せた。それが土師古人さんだった。
→せっかく来てくれた遠縁の土師古人さんに、お礼として吉祥院の土地をあげた。古人さんは苗字を菅原に変え、菅原道真が生まれた。
と、まぁそういう話になるのでしょう。

そもそもどうして大阪南部の土師さんたちが京都西部にやって来たかはわからぬままですが、とにかく京都盆地西部(乙訓地域)と京都市内南部(吉祥院)は、親族関係にあったということのようですね。

いや、長くなりました。
愛宕灯籠とは全然関係ないんですけど、とにかく歴史が古くて因縁深い土地のようです。

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073_西京区山田上ノ町

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074_西京区松尾上ノ山町

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160_西京区山田上ノ町

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088_西京区御陵塚ノ越町

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038_西京区樫原上ノ町

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037_向日市物集女町

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087_向日市物集女町

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075_西京区樫原杉原町

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097_西京区樫原内垣外町


073_は生垣に飲み込まれすぎてほとんど目視確認できないのですが、「愛宕」の確認がなされているそうです。

075_は「愛宕」確証がないのですが、樫原三ノ宮神社の中です。

097_もまた「愛宕」確証がないというか、むしろ違う字が刻まれているので明らかに違うのかなと頭でわかってはいるのですが、三ノ宮神社にすぐ隣接する洞雲寺というところにありまして、愛宕神社って元が白雲寺という寺ですので、つい「〇雲寺」系って外せなくなってしまうのです。





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# by fdvegi | 2017-09-23 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

久世周辺の愛宕灯籠

桂駅から少し南下し、桂川に沿って東に寄ったエリアです。
桂川の向こうは吉祥院です。

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国道171号線と東海道新幹線が並行して南北を貫いており、感覚的には、生活の息吹なんてあり得ない場所だと思っていました。
が、ここでもだいぶ驚きました。いざ行ってみると、生活感がありありとしています。すごい。

有名な西国街道が通っている場所ですから、交通の要衝だったのですね。
橋のたもとには今も(元は)川魚料理屋(だったと思しき店)が残っていて、興味をそそられます。
渡し船を待つ人が近くに宿をとって、腹ごしらえをしたり、何かお楽しみを見つけたり、そういう場所でもあったのかもしれません。

新幹線の線路と大きな国道に挟まれた一帯にいたっては、ほとんどデッドスペース的な先入観的がありましたが、ここにも、南北垂直の線路・道路作りの横暴を暴くような、南西から北東に抜ける旧街道の痕跡が残っていました。
大きな農家が軒を連ねていたのだと思います。

京都郊外は、昔から近郊農業によってわりと裕福だったという話を聞いたことがあり、話自体は長岡京市を例に出してのものではありましたが、久世周辺もそうであって何ら不思議はありません。

面白い場所です。

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170_西京区牛ケ瀬青柳町

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171_西京区牛ケ瀬弥生町

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174_南区久世上久世町

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173_南区久世上久世町

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172_南区久世上久世町

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176_南区久世川原町

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175_南区久世殿城町

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180_南区久世上久世町


180_が愛宕灯籠だったと主張する理由は正直ないんですが、元は灯籠だったのではないかと思われる石柱の上に、後になって街灯が設置されている様子が、土地に灯籠の系譜が息づいているようで面白いです。


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# by fdvegi | 2017-09-22 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

桂周辺の愛宕灯籠

さぁ、いよいよ桂川を渡ります。
橋を渡るといえば、(少なくとも初期の)ドラゴンクエストでは橋を渡ると途端に敵が強くなりました。
北斗の拳では、橋ではないけど小舟で渡った修羅の国で、それまで相当強かった人がいきなり脚を一本もがれて登場し、次いで、煙の先からその片脚を手に仮面の男が現れました。

どういうわけか、それらの印象がやたらと強く残っていて、大きな水を渡るのは今もいたずらに緊張を強いられます。
この言い知れぬ恐怖は、三途の川の話とか、因幡の白兎の話とか、意外と生命原初の記憶なのかもしれません。
閑話休題。

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桂は別に恐怖の場所ではありません。
有名な桂離宮があったり山陰街道が通っていたりと、歴史の趣き深い場所でした。
桂川をはさんで西京極と隣り合っています。

それまでほとんど行ったことがなく、行ってもせいぜい桂駅でしたので、驚いたというのが正直なところです。それも心底驚きました。ものすごい古い。

しかし考えてみれば、なるほど、東に京都市街、北に嵯峨・嵐山を擁しており、交通の要衝にならないわけがありません。

灯籠もかなりたくさん見つかりました。
まずは、桂駅の東側(右側)から。

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147_西京区桂徳大寺町

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148_西京区桂徳大寺町

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163_西京区桂久方町

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162_西京区桂春日町

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091_西京区桂朝日町

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164_西京区川島北裏町

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168_西京区下津林楠町

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169_西京区下津林楠町

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157_西京区桂徳大寺町

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167_西京区下津林楠町

ここで小休止。
162_が吉祥院で言及した春日神社の対になっている愛宕灯籠です。かなり珍しい例だと思います。
遊び心があるか、特にこだわりのない神主さんが設置(を許可)したのでしょうか。

167_は、パッと見は非常に愛宕灯籠的で、この近くにも愛宕灯籠があって、しかも明治元年の設置です。
なのに、「愛宕」の文字が見えない。
非常に微妙なところなのですが、確証なし例としておきます。

次から、桂駅の西側(左側)です。

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064_西京区上桂東居町

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008_西京区上桂西居町

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161_西京区桂乾町

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092_西京区桂巽町

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166_西京区川島玉頭町

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165_西京区川島玉頭町


以上、右京区が出所の愛宕灯籠を、西京区にて、あえて東側から紹介しました。
西京区は、地味に、京都市内のどの区よりも数が多そうです。





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# by fdvegi | 2017-09-21 00:30 | 京都在住 | Comments(2)

左京区の愛宕灯籠 まとめ

左京区全図とともに。
右京区の山の上の愛宕神社の灯籠が左京区にもある。何と不思議なことだ。
そう思って捜索を始めましたが、いやはや、

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全部で80基もありました。

一部「愛宕」の確証のないものもありますが規模感としては力強いですし、網羅性という点では完ぺきに近いと思われます。

都市部を除けば集落は基本的に山沿いにあって、本当に山間部的な場所を除けば、愛宕灯籠のない山あいの集落はおよそ見当たらないわけです。

「愛宕(おたぎ)郡」という名前は平安京の前後からあって、現存する灯籠や常夜灯が建てられるはるか前のことではあるのだけど、それでもやっぱり、「愛宕郡」の名前の背景には、当の愛宕山からはるかに離れているにも関わらず、なおこの地に「愛宕山」の何かが網羅的に・一大勢力として存在していた、その驚きや畏敬の念が込められているのだと、そう思いたくなります。




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# by fdvegi | 2017-09-20 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市南船路の愛宕灯籠と湖西のまとめ

南船路という場所があること自体が不思議じゃないでしょうか。
北側に隣接するのは北船路で、南北に「船の道」がある、と。
大きな湖があるし、実際、漁港もあるので船がたくさんあるのはわかるとしても、それにしたって「船路」なんて名前にするほどでしょううか。
同じことばっかり言ってますが、不思議です。

見取り図は、湖西一帯のものにしました。
上から、荒川3、木戸6、南船路1、和邇5+1です。
こうしてみると、なるほど西近江路に沿って点在しているのがわかりますが、和邇だけが群を抜いて水辺で、それ以外は水から離れているというか、気分的に山に沿っているという気がします。
意外と、全然違う文化圏なのかもしれません。

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南船路で見つかったのは一つだけです。
いくつかあると、そのうち一つ二つで「愛宕」を確認できなくても類推認定できますが、一つだけだとそうもいきません。
特に、この近辺には「秋葉灯籠」もちらほらと立っているので注意が必要です。
幸いにも、うっすらと「愛」が確認できます。

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232_大津市南船路


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# by fdvegi | 2017-09-16 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市荒川の愛宕灯籠

滋賀県大津市の木戸から、西近江路に沿ってさらに北上するとあるのが荒川というところです。
ただし、木戸市民センターや木戸小学校が、この荒川の領内と思しき一帯にあります。
ということは、荒川自体が木戸の一部なのでしょうか。ものすごくよくわかりません。
ネット検索だけしている分には全然情報も拾えないし、とりあえず謎を謎として受け入れておこうと思います。

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ちなみに、愛宕灯籠のあり方は木戸のそれとは異なっています。
信仰のあり方が違うというのは、精神面が全然違っているということでしょうから、やはり根本的には違う地域というのが正しいような気がします。
町村合併とか行政的な都合で、こういう蚕食気味の配置になっているんじゃないかな。
それはそれで不思議というか、どうしてわざわざ? という気がしますが、行政的には行政的な都合も色々あるんでしょうね。
昔のことを知っている人がいる内に何かの形で残してほしいものです。

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231_大津市荒川

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230_大津市荒川

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229_大津市荒川


次は、西近江路を少し南に戻ります。




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# by fdvegi | 2017-09-15 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市木戸の愛宕灯籠

またまた滋賀県湖西地方です。大津市木戸。
和邇よりも少し北にあって、西近江路という旧街道でここもつながっています。
相撲の行司の始祖だという志賀清林の出身地でもあり、清林パークという、密かに趣向の凝らされた大きな公園もあります。

お話し好きなおじさんに色々教えてもらったところ、昔は辺り一帯全部が茅葺屋根の家だったそうで、毎日、隣近所の葺き替え作業の手伝いだったそう。そして町内に一つ愛宕さんがある、と。こういう時の「町内」をどういう風に解釈すればいいのかは戸惑うところですが、町村合併なんかで木戸一町になったけど、それ以前は複数の小さな町たちでエリアとしての木戸を形成していたのでしょうね。

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なるほど、さほど大きくもない木戸エリアで灯籠は6基もあり、数は限られてはいますが今でも立派な茅葺屋根もあり、比良山系に沿うような集落ですので見事な石垣も残っています。集落の精神的支柱をなしていると思われる樹下神社はいかんともしがたい懐深さを感じさせ、一エリアの鎮守でありながら、湖西全体のランドマークでありソウル・アイコンである白髭神社にも引けを取らない静かな押しの強さを感じさせます。全体的に素敵郷愁エリア間違いなし。

ウィキペディアによると、上述の志賀清林さんは奈良時代に近江国から朝廷に出仕し、相撲の技四十八手と礼法と「突く・殴る・蹴る」の三手の禁じ手を制定する事を聖武天皇に奏上したといいますから、そんな人物を輩出する木戸という土地もまた、元々ただの湖畔の田舎というわけではなかったのでしょう。
謎深き湖西です。

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224_大津市木戸

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225_大津市木戸

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223_大津市木戸

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226_大津市木戸

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227_大津市木戸

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228_大津市木戸


お札箱併設の灯籠は各地に多いですが、ここでは、お札箱が祠というか神殿扱いされ、その神殿の奉灯として愛宕灯籠がセットされているという、かなり独自色の強いミニ愛宕が形成されていました。

西近江路でつながっているとはいえ、和邇での愛宕灯籠とのあり方とは根本的に違っています。この違いは一体何なんだろう。
そして、比叡山すら越えて右京区の愛宕山へ行っていた、その動力の源泉は何だったのだろう。
箱は南面しているものが2つありましたが、灯籠は6基すべて西を向いています。


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# by fdvegi | 2017-09-11 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

桂川沿い(東岸)の愛宕灯籠

四条通と五条通(国道9号)に挟まれた、嵯峨・太秦と西京極の中間地帯です。
カテゴライズしようがないというのが正直なところ。

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いずれも桂川沿いであることを考えると、川が線(例:街道)になって、嵯峨野の密集ディープな愛宕熱が伝わってきたという事かもしれません。
どちらも神社の中にありますが、元からそこにあったという風には見えず、そういう意味でも実態のつかみがたい一帯です。

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145_右京区梅津東溝口町

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146_右京区西京極東衣手町


灯籠探しで初めて行ったし、灯籠探しをしなければ未来永劫行く機会はなかっただろうと思われ、何だか不思議な気分です。

そこが過去に港だったからなのか、それとも別の理由でなのかも掴めていませんが、146_のある衣手神社付近のわずかな一帯に漂う濃密な空気感、栄華の名残、活況の痕跡は、市内でもわりと出色なのではないでしょうか。突き抜けるような好天だったこともあり、しびれました。
しかも、146_、どう考えても片方は破損していて、ここに仮置きされてるか、ここに置かれるという処分をされてます。謎だ。

145_は梅津大神宮です。「大神宮」の基準がまったく謎。




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# by fdvegi | 2017-09-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)