西京極の愛宕灯籠

西京極競技場で有名な西京極です。
競技場の南と北とに、ぎゅっと時間を凝縮したようなエリアが残っていて、今回はその南側。

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実はわりと早い段階で灯籠自体は見つかっていたんですが、なかなか腰が上がらずにおりました。
というのも、これまで灯籠の分布を一定のエリア(面)ごとに区分するという作業をしてきました。
鴨川以東・左京区ではそれが可能かつ有効な方法だったと思うのですが、桂川周辺まで来るとちょっと難しくなってきます。
恐らくですが、ここらの灯籠は面で分布していると同時に、むしろそれより強固に、線でつながっています。
線というのは道路・旧街道のことで、例えば、ここ西京極南側は旧山陰道の系譜になるでしょう。

西京極という意味では北側にも灯籠があるのに、今回のように南側でしか紹介をしづらいのは、そのためです。
異なる二つの文脈を一つにまとめて紹介するというのをどうすれば自然か、というか出来るのか、難しいな、という風にじくじく考えておりました。
結論として無理なので、やっぱり分けて紹介させていただきます。

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149_右京区西京極河原町

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150_右京区西京極東側町

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152_右京区西京極東側町

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151_右京区西京極徳大寺団子田町

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154_右京区西京極中町

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154_右京区西京極中町


今回紹介した灯籠のうちほとんどは「旧街道を歩こう」的なブログなどで取り上げられています。
かろうじて152_で、愛宕灯籠に特化しているこのブログ(の愛宕企画)の面目躍如というところでしょう。
こういうのを見つけた時の高揚感がたまりません。

高揚といいますと、見取り図には名前が出ていませんが、154_からまっすぐ北には松尾三宮社という神社があります。といより、三宮社の参道の延長上に154_がある感じです。
出ました、三宮。





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# by fdvegi | 2017-09-05 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市和邇北浜の愛宕灯籠

このまま京都の西寄りへシフトしていくのも芸がないので、変わり種(?)を。

滋賀県大津市の湖西地方、住みたい街ナンバーワンの和邇です。ワニと読みます。
琵琶湖にもクロコダイルのワニがいたのか、いや、因幡の白兎に出てくるワニとの関係があるのでは、ということは、奈良のワニ氏の分家さんか、などと古代史愛好家にはたまらない情報発信地となっています。たぶん。

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ちなみに、和邇の南側は小野です。我々にとっては小野宮惟喬親王でもはやなじみ深い、あの小野です。
老いさらばえた小野小町の木像が市原にある言いましたが、あの小野家の超有名な太祖、奈良平城京の超高級官僚であった小野妹子が活躍した土地ともいわれています。
妹子の息子、小野毛人(えみし)の墓は京都市内の上高野にあるんです、これがまた。
閑話休題。


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113_滋賀県大津市和邇北浜

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109_滋賀県大津市和邇北浜

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112_滋賀県大津市和邇北浜

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111_滋賀県大津市和邇北浜

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110_滋賀県大津市和邇北浜

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108_滋賀県大津市和邇中浜


琵琶湖岸の地域とはいえ愛宕灯籠があるとすれば山寄りかなと思っていたら、意外や意外、がっつり水際でした。
113_はおそらく愛宕灯籠業界でもっとも水辺の存在でしょう。背景の水色はすでに琵琶湖です。
この辺りは今でも漁港がある、いわば港町・漁師町でもあり、水上安全の信仰と山の火伏信仰が、どういう経緯をたどったか、融合していったのかもしれません。ロマン以外の何物でもありません。





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# by fdvegi | 2017-09-03 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

妙心寺周りの愛宕灯籠

さぁ、グッと西へシフトしました。妙心寺の周辺です。

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妙心寺というところは、ウィキペディアによると、京都市民からは西の御所と呼ばれて親しまれているそうです。
全然知りませんでした。


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118_右京区花園妙心寺町

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117_右京区谷口唐田ノ内町

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120_右京区花園宮ノ上町
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119_右京区花園寺ノ内町

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063_右京区花園寺ノ内町

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122_右京区花園寺ノ前町

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121_右京区花園寺ノ前町

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061_中京区西ノ京中保町

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062_右京区花園坤南町

062_は愛宕が文字はないものの、橋のたもとにあるのです。
この密集環境にあって、かつ橋のたもと・川のほとりと来ては、愛宕灯籠であると期待せずにはおれません。

そして、注目すべきは、地味に061_です。愛宕灯籠界唯一の中京区なのです。
愛宕灯籠が街中には見つからないという話は「市内北寄り」でしました。
市内北寄りの4基が形成する線が(ある意味)愛宕勢力の南限、つまり愛宕砂漠の北限ですが、この062_は愛宕勢力の東限。つまり愛宕砂漠の西の果てということになります。
そのフロンティアスピリットを心に感じつつ見上げる灯籠は、凛として強いように思えました。たぶん。



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# by fdvegi | 2017-09-02 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

山科の愛宕灯籠

灯籠を求めて彷徨っているうちに、いよいよ知らない土地へやって来ました。山科。

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各地に残る愛宕常夜灯を頼りに6基発見です。ただし、発見したうち104_は掲載外でした。
掲載から漏れた理由は謎ですが、想像するに「公募区民などからなる ″山科魅力発見プロジェクト″ において募集,選定」したものを列記することが冊子の趣旨のようなので、そこにあることがもし分かっていても市民から寄せられていないなら掲載しないのが行政的正しさになるのでしょう。たぶん。

ちなみに、掲載されていた6基のうち1基(便宜上、182_とさせてください)はすでに撤去されていました。山科検定で確認。東野百拍子町のもので、新しい薬局があったのでその関係かと思われます。立地としては山科三之宮神社からすぐ東よりの十字路。うーん。
ここでも三宮神社と愛宕灯籠は親密な関係にあったようですね。

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102_山科区御陵鳥ノ向町

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107_山科区北花山中道町

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103_山科区大塚西浦町

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104_山科区大宅飛鳥井脇町

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105_山科区小野御所ノ内町

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106_山科区勧修寺御所内町

自らは発せず。
無辜たろうとする姿勢。
自ら発しようとして、結果、最近ボロボロですが、それでもなお自戒としたいと思う。
初動には気を付けよう。



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# by fdvegi | 2017-08-31 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

京都市内北寄りの愛宕灯籠

遂に左京区を離れました。

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京都を中心に点在したり密集したりしている愛宕灯籠ですが、どういうわけか京都の町の中、いわゆる洛中にはありません。
いや、洛中よりもうちょっと広い範囲に渡って ”愛宕砂漠” が広がっています。
お地蔵さんのパレードかというほど濃密な一帯に出くわすこともありますが、こと愛宕灯籠に至っては皆無、無音地帯です。

何らかの政策的な取り決めがあったのかと想像する一方で、お上の政策ならむしろ法の網をくぐった例外的なものがポコポコ出てくるように思います。
であれば、町の中には軒先の明かりなどがあって常夜灯へのニーズが低く、むしろ住宅密集地での火の不始末への恐怖が勝ったのか。
あるいは、後世になって開発の波に飲み込まれていったのか。でも、お地蔵さんは残ってますしね。


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059_北区上賀茂深泥池町

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060_北区大宮南林町

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047_北区鷹峯千束町

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183_左京区上賀茂深泥池町


もっとちゃんと探せば町の中にも出てくるのでしょうか。
例えば、お寺や神社の中なんかに。
情報を乞うております。





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# by fdvegi | 2017-08-29 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

鞍馬の岩神灯籠?

天狗と牛若丸で有名な鞍馬です。
鞍馬の火祭でも有名ですが、そんな鞍馬に火伏の神様である愛宕灯籠があるのはなんだか不思議です。
1基は二ノ瀬と同じ木製でした。

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鞍馬というと、駅からそのまま鞍馬寺に行って、頑張って歩いて貴船に回って電車で帰る、あるいはその逆、というコースが一般的に浮かびます。
貴船が、駅から貴船神社までほぼ一貫して観光的意志に貫かれているので、それと同じように鞍馬も駅から寺までの世界がいわゆる鞍馬かと思ってしまうのですが、なかなかどうして、鞍馬には駅とか寺とは異なる、古い細道に沿った静かな町並み、ローカル鞍馬がわりときれいに残っています。
灯籠はその細道に沿って残っていました。

いずれもお札箱があるので、お札を納めていたということでしょう。
鞍馬寺から愛宕神社まで、試しにグーグルマップで調べたところ25.2km 、徒歩で6時間17分と出ます。往復すれば単純計算で12時間。
同じルートが過去にもきれいに整備されていたとは考え難く、山あり谷あり、いくら早くても1泊2日の強行軍ではなかったかと思われます。
持ち帰ったお札をお札箱に収める恍惚感や達成感、そして各家に配られた「阿多古祀符・火迺要慎」のありがたみたるや、とてつもないものだったに違いありません。


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211_左京区鞍馬本町

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212_左京区鞍馬本町

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213_左京区鞍馬本町

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214_左京区鞍馬本町


いや待て、ん?
212_に「岩神大明神」とあります。灯籠の形といい、お札箱といい、どれも見た目があまりにも愛宕灯籠っぽいので思い込んで写真を撮っていました。
家に帰って初めて気が付いたんですが、ひょっとして愛宕灯籠じゃない?
そう思ってよくよく見てみると、213_にも最初の文字として「石」が見えます。「愛」より「岩」に近い。
実は、鞍馬にいる間にも「岩神」に気が付いて撮らなかった灯籠が一つありました(こうなってくると撮り直しに行かねば)。

つまり、ここにあるのはすべて愛宕灯籠ではなく、いわば「岩神灯籠」ということでしょうか。
そして、211_も岩神灯籠の一つとしてここにあるとすれば、まったく同じ形状の二ノ瀬の木製灯籠たちも愛宕灯籠ではなく岩神灯籠という可能性が浮上してきます!むむむー!

巻頭言に書きました「したかった事」その3に照らすと、愛宕勢力圏のまさに境界部分ということになります。ミステリアスです。
岩神神社ってイマイチ聞いてことないし、確認できてません。
誰か何か教えてください。
左京区、最後の最後になってスリリングになってまいりました。ドキドキ。




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# by fdvegi | 2017-08-28 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大原の愛宕灯籠

「京都ぉ~、大ぉ~原 三千院♪」というフレーズを、35歳と30歳の知り合いは、もはや知りませんでした。最近ではむしろ、自然、里山、田舎暮らし、癒しの風景のイメージなのかもしれません。

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三千院の向かいの山には寂光院というお寺もあり、これは聖徳太子が建てた(6世紀頃)という話もあれば、源平合戦の頃(12世紀頃)の皇后かつ天皇の母という、やんごとない人が住まわれたところでもあります。
近くには二ノ瀬に出てきた惟喬親王(9世紀頃)のお墓もあって、京都の果てでありながら、もはや異様なまでの歴史的・文化的密度を誇ります。

灯籠は、三千院付近と寂光院付近に集中しつつ、大原という広い盆地全体をカバーしている状態で、その数20基(2017/08観測)。
一乗寺も岩倉も八瀬も静原も他のところも、それぞれ小ぶりながら奥行を感じさせる興味深い場所です。しかし、大原捜索の帰路、自然とわきあがってきた感慨は、「左京区のボスは大原」というものでした。あっぱれなほどに、それはもう段違いというか圧倒的というか次元違いの大物が一番背後に控えている。
それが京都の左京区なんだなと思いました。

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189_左京区大原井出町

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190_左京区大原井出町

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191_左京区大原野村町

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192_左京区大原野村町

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193_左京区大原野村町

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194_左京区大原草生町

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195_左京区大原草生町

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196_左京区大原草生町

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196_左京区大原草生町

ちょっと一休み。
ここまで高野川の北側(左側)で、ここからは南側(右側)です。
北側の方がもっぱら駐車場の料金は安めです。


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199_左京区大原来迎院町

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200_左京区大原大長瀬町

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201_左京区大原来迎院町

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202_左京区大原来迎院町

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203_左京区大原来迎院町



また少し一休み。ここまでが高野川南側でも、特に三千院周り。ここから先は高野川南側で三千院までは行かない京都の街寄り。


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205_左京区大原大長瀬町

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206_左京区大原上野町

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207_左京区大原上野町

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208_左京区大原上野町

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209_左京区大原戸寺町

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210_左京区大原戸寺町


はたと思いが出しました。そういえば、左京区って昔は「愛宕郡」だったな、と。
そうなのです。
平安の昔から明治くらいまで、今の左京区の大半は愛宕(おたぎ)郡であり、愛宕郡の中の小野郷に属していたそうなのです。
さらに、再々登場し、この地に眠っている惟喬親王の別名がまた小野宮というそう(秋篠宮文仁親王と同じように、小野宮惟喬親王ということでしょう)。

何だかもう色んなものが入り組みすぎです。


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# by fdvegi | 2017-08-27 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

二ノ瀬の愛宕灯籠?

※鞍馬の調査(8/28)により、二ノ瀬の灯籠がいずれも「愛宕灯籠」ではない可能性が浮上してきました。なのでタイトルに「?」を追加しています※

二ノ瀬です。京都でも、それがどこなのか明確に知っている人は少ないんではないでしょうか。
何となく聞いたことはある。あの辺かなって気はする。だけど全然自信ない。
そんなところで、まだ平均点高めなのではなかろうかと。

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鞍馬・貴船へ行く間にある最後の駅で、市原と鞍馬・貴船の間にある小さな集落なのですが、最近トンネルができたので今後は車で通ることすら稀になっていくのだろうと思われます。トンネルにその名が残る、という展開をリアルタイムで目にしているのかもしれません。

ただ、ウィキペディアによると、惟喬親王が雲ケ畑にある市ノ瀬(≒一ノ瀬)の次に暮らした場所なので二ノ瀬というとのこと。歴史の深さはシャレにならないレベルです。9世紀とか、そういう話ですから。

静原や八瀬と同様にかなり限定可能な集落です。その中に5基見つかっており、探せばもう1つ2つはありそうな雰囲気もありますが、とりあえず5つは確定。同じく手つかずとはいえ、どことなく瀟洒感のある静原とは完全に一線を画した "朽ち" 感を味わいに、今のうちに訪ねておきたい場所だと思います。


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188_左京区鞍馬二ノ瀬町

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094_左京区鞍馬二ノ瀬町

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187_左京区鞍馬二ノ瀬町

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186_左京区鞍馬二ノ瀬町

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185_左京区鞍馬二ノ瀬町

いずれも木製。石製はひとつもありません。
ここよりさらに山奥である鞍馬にも木製があるようなので二ノ瀬限定の奇習というわけではないのだとは思いますが、はて、石がなかったからなのか、重たすぎたりして都合が悪かったのか。それとも、木でないといけない何か理由があるのか。
惟喬親王には、えぇ、隠棲の身にあって周辺の杣人(流れの林業従事者)に木工技術を伝授し、結果、お椀やお盆などの加工・製造が日本各地に伝わったとの伝説があり、一部では「木地師の祖」とも呼ばわれているようではありますが。。。




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# by fdvegi | 2017-08-22 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

北白川の愛宕灯籠

北白川。近所なわりに妙にごちゃごちゃしていて謎深い印象があるこのあたり。
エリアのすぐ南隣には銀閣寺や哲学の道がありますが、まったくもって一線を画しています。
道もいまいちスムースにはつながっていません。なんだか徹底されています。

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灯籠は有名な志賀越道に沿って残っていました。
志賀越道に沿ってはいるけど、このあたりに至るまでの(荒神口からの)志賀越道には、大きなお地蔵さんはあるのに灯籠は何も見つからないわけで、いやはや不思議というか何というか。


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116_左京区北白川下池田町

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115_左京区北白川下池田町

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114_左京区北白川下別当町

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058_左京区北白川東小倉町

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131_左京区北白川下池田町

白川通という幹線道路に面した状態で114_が立派に残っていることも驚きですが、北白川天神宮という(個人的に)市内屈指の謎というか混沌スポットに、「愛宕」の文字がほぼほぼ消えかけながらも、116_がグッと黙して立ち佇んでいる様子には、言い知れぬ凄味すら漂います。

131_はかなり微妙かなとは思いつつ、お札箱もあるのは珍しいなと念のため。

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# by fdvegi | 2017-08-18 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

岩倉の愛宕灯籠

岩倉といえば実相院。
と相場が決まっていますが、意外と、愛宕灯籠は実相院の周りにはありません。実相院から東側の長谷町に密集しています。

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東に長谷八幡宮という神社があるのでの影響かもしれませんが、それよりむしろ、瓢箪崩れ山の山ふところに灯籠がある、という印象が強いです。一乗寺や市原との共通性を感じます。

お札箱も必ずセットされていて、やはり、山に近い→木に近い→林業関係者が多い地域では、愛宕が単なる常夜灯としてだけでなく、より原型に近い、火伏の信仰として息づいていたということでしょうか(静原は林業の郷ではないのだろうか)。

なお、このエリアのお札箱には愛宕灯籠業界でもっとも雄大で優美な飾りがついています。
その威容には、思わず信心というか畏怖の念を抱かずにおれません。そして何より、地域の人々の継続的な営みに頭が下がります。



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133_左京区岩倉長谷町

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030_左京区岩倉長谷町

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031_左京区岩倉長谷町

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033_左京区岩倉中町

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034_左京区岩倉下在地町

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032_左京区岩倉長谷町

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095_左京区岩倉花園町

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096_左京区岩倉花園町

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035_左京区岩倉三宅町

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132_左京区上高野三宅町

最後の132‗は三宅八幡宮の中です。
お札箱がないので岩倉ではなく上高野エリアに入れるべきかとも思います。
あるいは、そもそも愛宕灯籠ではないのかもしれません。
が、この佇まい、境内のいかなる文脈にもなじみません。
だからつい愛宕灯籠であって欲しいなと願いを込めてしまいます。

ただ、この三宅八幡宮自体がもともとは近くにある伊多太神社の摂社だったという説もあり、であれば、ここらの地域全体が伊多太神社の境内だったということになって、それだけ大きな神社であれば別の神社由来の灯籠が境内に置かれることは許さないかなぁ、やっぱり違うのかなぁ、とも思ってみたり。
大人しい顔して謎の多い上高野、元は高野、大昔の小野郷です。

ちなみに、三宅八幡宮の「三」をひっぱり出してきて、「三宮神社」と関連付けるという荒業もできなくはない、のかもしれません。
愛宕灯籠と三宮神社はとかく相性がよいのですが、それはまた別の機会に。



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# by fdvegi | 2017-08-17 00:30 | 京都在住 | Comments(0)