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鳥羽街道沿いの愛宕灯籠

市内南寄りで紹介した羅城門が平安京の南の玄関口というのは有名な話ですが、その羅城門から南へ向けて敷設された幹線道路が鳥羽街道です。

その頃はまだ別の名前の別の道のようですが、豊臣秀吉とか江戸時代とか、そういう固有名詞が登場する頃に、鴨川に次に桂川に沿って大阪方面へ向かう街道として整備されたようです。
古い道ですね。

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平安後期の羅城門付近は、南の正門とか玄関口とかいう威勢のいい体面とは裏腹に、結構荒れていたそうです。というか、南の方は基本的に荒れていたらしいです。

門前には浮浪者やら乱暴狼藉を働く者がたむろしていたほか、門の中にさえ鬼の類が神出鬼没に現れたという記録が残っているようです。そういう連中がどこから湧いて出たかは定かではないですが、せっかく道があるならその道を通って北上してきたとしても不思議ではなく、(旧)鳥羽街道は鬼の通り道だったのかもしれません。

時代が下ってなお鬼や悪党どもが闊歩していたかはわかりませんが、例えば月のない夜の桂川は広大な闇に閉ざされていたに違いなく、ともすれば大いに荒みかねない街道筋を、灯籠の明かりが静かに慰撫していたのでしょう。

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328_南区上鳥羽八王神町

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311_伏見区中島御所ノ内町

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312_伏見区中島樋ノ上町

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316_伏見区下鳥羽前田町

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317_伏見区下鳥羽前田町

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318_伏見区下鳥羽北三町

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319_伏見区下鳥羽南町前町

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313_伏見区横大路草津町


線ではなく面での愛宕灯籠マッピングを標榜しているこの愛宕灯籠企画ですが、ここはもう鳥羽街道とする以外に方法がありませんでした。ご容赦あれ。




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by fdvegi | 2017-12-31 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

岩倉の愛宕灯籠、度重なる追加

すいません、まだありました。
岩倉

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369_左京区岩倉忠在地町

さすがにもうないんではないでしょうか。
どうだろう。。


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by fdvegi | 2017-12-29 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

京都市内南寄りの愛宕灯籠

けっこう早い段階で見つけていたのに、長らく放置状態になっておりました。ようやく日の目を見ることに。
京都市内南寄りの愛宕灯籠。

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南区や伏見区のことを考えるとこの表現はかなり微妙なのですが、羅城門を南限とする平安京の街区を想定していただけると幸いです。

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307_下京区西七条北東野町

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134_下京区七条御所ノ内本町

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179_南区唐橋羅城門町



179_は、まさにその羅城門跡のすぐそば、矢取地蔵です。鳥羽街道の北端でもあります。

134_は若一神社。貴重な下京区です。といっても、吉祥院の果てという整理の方がふさわしいのかもしれません。

307_は正真正銘の下京区という感じがします。七条通りと八条通の間で、古めかしい一帯なのに見つからないな、と思っていたら、綱敷行衛天満宮という神社の中にありました。

この勢いで、やはり小さな寺社仏閣関係をつぶしていけば、あといくつかは見つかるのでしょうか。

とりあえず、市内北寄りで言及した「愛宕砂漠」の南限が、ここということになります。




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by fdvegi | 2017-12-25 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

高槻市樫田地区の愛宕灯籠

基本的に高槻駅前くらいしか知らない高槻経験者にとっては原という地域ですらその存在が驚愕でしたが、さらにその奥地がありました。
田能(たのう)・中畑・二料(にりょう)・出灰(いずりは)・杉生(すぎお)の5つの集落で構成される樫田(かしだ)地区です。

昔は亀岡だったようです。さもありなんと思う一方で、亀岡と言われても亀岡でもないような、もうどこでもなく樫田でしかない、そういう場所なのでしょう。

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原(高槻)から行く場合、左右を採石場に囲まれて白んだ悲壮感の溢れるグネグネ道を蛇行に蛇行を重ねて行くことになるので、本当にもう、この世の果てに入っていくような不穏な胸騒ぎすら起こります(←初めてだったし)。

その割に、たどり着いた田能の集落は、高槻市のHPが言うような「今もなお清らかな水と空気の中で美味しい野菜や米、椎茸などが栽培され、四季の彩が美しいところ」を思わせる、穏やかな場所でした。
正直、不思議に魅力的です。住んでるわけじゃないし。

亀岡からのルートは過日の台風の影響で通行止めらしく、冬を越えて春になったら、いずれ一度挑戦してみたいです。

5つのうち、杉生を除く4集落を調べてきました。杉生は時間が足りなかった。無念。
で、2基発見。すごい発見、我ながら。田能と二料です。

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336_高槻市田能

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337_高槻市二料



中畑は妙音寺という寺の境内にそれっぽいのがあったのですが「愛宕」の文字はなく、話を聞こうにも人もいませんでした。
出灰にいたっては、これは一体全体集落と呼べるものなのかすら覚束ないまま、運転に気を取られている内に抜けてしまった感があります(驚いたことに、クロネコの普通のトラックが走ってました。プロです)。

あと、確証のないのが一つと、いかにも番犬らしい番犬に吠えたてられて近づけなかったのが一つ。
春になったらまた行きたい。晩秋の夢のようなひと時でした。

なお、中畑のさらに東側はいきなり京都市西京区で、その先は小塩山や金蔵寺を越えて向日市につながっているようです。
灯籠が中畑や出灰という比較的東側にはなく、西側の田能と二料にあることを考えると、樫田地区の愛宕灯籠たちは、この地点からさらに東方へ広がることはなかったのだと思われます。

さらに、昔は地区自体が亀岡領内だったことを踏まえると、亀岡発の大阪・高槻行きの途上でもないのかもしれず、というか、いったんそう考えるとむしろその方が自然に思えてきます(亀岡の南の果て)。

いやしかし、そうなると原に愛宕分社があるのが謎ですね。んー。どうなんでしょう。
昔は今の車道よりも合理的な山道(人道)があったのだろうか。ロマンです。

いずれにしても、杉生は調べないわけにいきません。うん。




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by fdvegi | 2017-12-23 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

高槻の愛宕灯籠、追加

高槻のええとこを紹介するブログで紹介されていた愛宕神社の分社を見に行ってきました。

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原というところ。市街地から出発して延々北上します。
えらい山の上まで住宅街があるな、と思っていたら、いきなり田園風景が広がるという異次元感でした。
東西(左右)を山に挟まれ、中央に芥川という川が流れ、川を中心に結構広い平地が田畑になり、左右の山肌に沿うようにギュッと人家があるという、巨大なハーフパイプのような里です。
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335_高槻市原

東側の集落にありました。愛宕神社にある灯籠なので愛宕灯籠ということでギリギリセーフでしょう。
小さな集落全体といっていいのだろうか、その辺りが島本町の追加で言及した本山寺や神峰山寺(かぶさんじ)への西側の登山口になっていて、田舎らしいとろけるような眺めでありながら、内側に入ると何とも言えない妙な張り詰め感のようなものを感じます。

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370_高槻市原

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334_高槻市原


上述のええとこブログのコメントで言及されていた、もう一つの愛宕分社を求めて西側の集落にも行ってきました。370_です。
これだとは思いますが、いかんせん確証はありません。柵で囲われているのです。
柵の隙間から覗くことはできましたが、さすがに色々控えておきました。

片方があれだけオープンなのに対して、こちらはクローズド。東西の集落ごとの性格を反映しているのでしょうか。それとも他に理由があるのでしょうか。気になります。

そして、334_は疑いようもなく愛宕灯籠です。西側。
「愛宕山御寶前」という見たことのない銘が刻まれていました。
おそらく移設だとは思うのですが、風吹き抜ける田畑と緑雄々しい神峰山を見渡す眼前の眺めには、なるほど、これこそ宝、とうなるにふさわしい爽快感がありました。


さらに、当ブログで情報提供を受けた真上(まかみ)のもう一つ。
市街地にありました。ネットサーフィンをし倒していたら紹介しているブログもありました(名前がよくわからない)。皆さん色々よくご存知ですね。
市街地中心部のほんのごく周縁部分に、前近代です、みたいな風景がポツンと残っていること自体が驚愕でした。バリバリの住宅街に包囲されています。

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338_高槻市真上


ただし、「愛宕」の文字はありません。
情報提供と上述のブログにもある通り、過去にあった愛宕社の奉灯だったのかもしれませんが、わかりません。
いずれにしても、突然ポツンと石灯籠が残っている脈絡不明さが心地よく、引き続き末永く、その文脈不明感で静かな住宅街に謎めく深みを与えてもらいたいと思います。




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by fdvegi | 2017-12-21 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

右京区京北地域の愛宕灯籠

これまで基本的に愛宕山の東側で捜索をしてきました。
西側は亀岡市で、そこはすでに「私たちの身近にある石造物を訪ねて」でカバーされています。203基。

ぼくが主に亀岡以東で見つけたのが約300基で、つまり、愛宕山から南に向かって扇状地状に愛宕灯籠が分布し、分布地域が上(北)にも拡大している様子(ただし時系列は不明)が確かにわかってきたわけですが、今回、愛宕山から真北の地点にも灯籠が見つかりました。
旧京北町です。現在は右京区の京北地域。

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旧京北町は2005年3月に京都市と合併しました。

その旧京北町も、もとは旧々北桑田郡内の5つの町村(旧々周山町←もともとは村、旧々細野村、旧々宇津村、旧々黒田村、旧々山国村、旧々弓削村)が合併してできた行政単位でした。

今回見つけた3基は、旧々北桑田郡の中の旧々周山町の2基と旧々弓削村の1基です。

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304_右京区京北周山町

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330_右京区京北周山町

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329_右京区京北伊崎町


何の気なしに旧京北町といいましたが、それが正しいのか、それとも旧々北桑田郡というべきなのか、とにかくこの地域は全域が基本的に山林です。それも広大な山林。

どう広大かというと、京北といえば、神護寺や高山寺で有名な高雄(すごい左上)のさらに奥なのですが、イメージ的に高雄の反対側にあるのが三千院で有名な大原(すごい右上)で、大原のさらに奥に行ったところに花脊というところがあります。
この京北(右京区)と花脊(左京区)が道でつながっているのです。つまり、山林で隣り合っているわけです。

わかるでしょうか。ミッキーマウスの、向かって左側の耳が【高雄・愛宕山】で、右側の耳が【大原・比叡山】です。

ミッキーマウスの両耳が隣り合うことはあり得ないし、片耳から片耳へ行くには、ミッキーの額や眉毛や、さらには目といった人物の主要部分を経なくてはいけないはずなのに、実は耳は外延部を取り込んで一体化し、ちゃっかりと耳と耳とで隣り合っていた、という話です。
何だかちょっと哲学的な響きになってきましたね。

とにかく、わずかに3基とはいえ、愛宕山の北側それも真北にも灯籠はありました。
右京と左京にまたがる広大な山林の中にはきっとまだまだあるのでしょう。うまく見つけられる気はしませんが。

これまで「扇状地的な広がりとその拡大」を想定してきましたが、視野を最初から「放射線状の広がり」に広げる必要があるようです。

ミッションは果て知らず。




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by fdvegi | 2017-12-11 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

大津市湖西山側の愛宕灯籠

琵琶湖岸の地域とはいえ愛宕灯籠があるとすれば山寄りかなと思っていたら、意外や意外、がっつり水際でした。
と、和邇で書きましたが、山寄りにもやっぱりありました。湖側にも追加で発見。

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※網かけ部分は既出です(和邇、堅田)


平地からフォーク並び的に行かなくてはいけないこともあり、灯籠探しというより、そもそも集落にたどり着くのが大変でした。
でもあった。だからなおさら嬉しいです。


どの集落も由来などの細かいことはわからないのですが、真野については、「真野のむらのきろく」という小学校文集が昭和40年に作成され、今はネット上に復刻されています。驚きです。

「遠野物語」で有名な遠野の里を連想させるような(←遠野をよく知りませんが)、実に豊かな土着の文明が確かにあったことが、当時の小学生の視線で伝えられています。あるいは、「となりのトトロ」的な場所があったというべきでしょうか。

学校の先生の手がかなり厳しく入っているのがにじんでいる点も、当時の小学校の様子に思いが馳せられて楽しいです。

この文集で触れられているのは真野地区内の別の集落の愛宕講で、その集落では灯籠を探し出すことはできなかったのですが、ただ、こういう記録が残されている場所に灯籠も多く残っていることには、やはり一定の正の関係があるのでしょうね。


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320_大津市栗原



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322_大津市伊香立下龍華町

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323_大津市小野

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325_大津市真野佐川町

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289_大津市仰木

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290_大津市仰木

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326_大津市千野

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324_大津市真野



和邇以北の湖西と堅田では愛宕山と秋葉山への信仰が入り混じり、灯籠も混在していました。いずれも火伏の信仰で、方や京都発、方や東海浜松発です。その間にある滋賀。
湖西と堅田に挟まれたこの一帯も当然そうで(というか、ここも湖西です)、320_はまさにそうです。

愛宕灯籠だと思ったら「秋葉山」と刻まれているケースが間々あったりと、堅田など湖サイドも含めると、秋葉山の灯籠の数自体がかなりのもので、ちゃんと記録していないのが悔やまれます。

324_にいたっては、左が秋葉山の灯籠だから右側の文字がない方は愛宕灯籠だろうと推測するという、かなり高度(?)な類推テクが用いられています。

和邇以北の湖西でも文字がないものが結構たくさんありました(写真撮ってないけど)。
324_は320_に倣って愛宕という推理をしていますが、単独無記名の灯籠って、もちろん明かりという意味はありますが、思わせぶりですよね。

灯籠一つにきりきり舞いです。




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by fdvegi | 2017-12-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

島本町の愛宕灯籠、追加

島本町を高槻から分けました。
高浜一つかと思っていたら結構出てきたので、太秦に続いて独立。

絶対にあるはずだ!と思ってはいたけど捜索に行けてなかった場所に、ええ、やっぱりありましたよ。
この気持ちよさ。これこそが宝探しの醍醐味です。

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※網かけ部分は既出です。長岡京市。


最低でも月に一度は家族して通っている柳谷観音。
ここを目指すかのように長岡京や高槻で愛宕灯籠が群れなして立っていることがわかっております。
山の下にあるなら、山の中腹の集落にもあるだろうと踏んでいて、実際、浄土谷には見つかっています。
西側にもあると踏んでいたのが、この大沢と川久保で、はい、大沢にありました。
しかし、川久保にはなかった。不思議。(ちなみに、尺代でも見つけられていません)

川久保は本山寺という、大阪高槻と京都の間の山の上にある、何だかものすごくて一言二言では言い表しようのない修験道の寺への入り口のようで、平成11(1999年)までは小学校の分校もあったという、高槻市の東側の山間部の中心的な集落だったと思われます。
卒業生の方々はどうしておられるのでしょうね。
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333_島本町大沢

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310_三島郡島本町広瀬


水無瀬にもありました。
最初にないないと言っていた西国街道(山崎街道)です。
西国街道、さすが!




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by fdvegi | 2017-12-02 00:30 | 京都在住 | Comments(0)