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あのシーンはなんだか知らないが泣ける

高槻児童公園といって、広いわりに人の少ない公園が近所にある。
先日通りかかったら、人だかりができていた。
みんなスマートフォンを心もち高めに構えている。
なるほど、「ポケモンGo」だ。
テレビでは見ていたものの、実物に遭遇すると、なるほど、これはけっこう気持ち悪い。

まず、公園全体が人で埋まるわけではない。
公園内の外縁がやたらと混んで、中心部は空っぽになっている。
(なんで? ポケモンが公園中心部に出るから? それとも単に中心部に出ていくのは恥ずかしいから?)
このコントラストがなんとなく気持ち悪い。

次に、たくさん人がいるのに基本的に全員が電話しか見ていない。
電話しか見ていないわりに、電話に集中的に取り組んでいる、という感じが高くない。
昔、大型家電量販店の近くでダウンロード版のドラゴンクエストをやっている集団を見たことがあって、それはそれで非日常な感じではあった。
けれど、場所が大型家電量販店のすぐ近くで一定のスポットに密集しているのと、手に持っているのがゲーム機で圧倒的に男子の割合が高いのとで、あぁゲーム好きの男子が必死になってゲームをしに来ているのだ、という妙な安心感というか既視感のようなものがあった。

しかし、ポケモンGoは公園だし、男女入り混じっているし、「そこにゲームをしに来ている!」という決然としたものを感じがたい。
何だか、行くあてのない人々が浮遊している感じ。
近未来映画で、若者が新興宗教にはまっていて、ゾンビが集団で動いてて。
その感じが何となく得体が知れなくて気持ち悪い。

屋外で電話を掲げるというと、つい「ジャージの二人」という小説で、畑の真ん中だけ電波が三本立つという有名な(?)シーンを連想してしまう。
あのシーンはなんだか知らないが泣けるのだ。
だから印象深い大事なシーンなのだけど、同じ屋外での電話なのに、今回はずいぶんと様子が異なる。
文字によるフィクションと、生身で見る現実の違いなのかも知れない。

そんなことを言いながら、ぼくはぼくで家のWi-fi環境で夜な夜なGodusというゲームに夢中になっている。
神になって人を導いている。
うむ、我ながら気持ち悪い。
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by fdvegi | 2016-07-31 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

子どもに何をしてやれるのか

3連休の間、東子は恐らく非常にハッピーに過ごした。
父と自転車でお出かけし、グランマに会いに行ってお泊りし、和邇公園で遊具を一人占めして、川に入って足を濡らし、ご飯をたくさん食べた。
母と図書館へ本の返却に行き、散歩がてらパンを買い、たっぷり眠って、牧場でミルクアイスを食べ、また父と自転車で買い物に行った。
この休みの間は、意識して写真をたくさん撮るようにした。
好天にも恵まれて、なかなかいい写真が撮れたと思う。

考えてみると、今回の休みは抱っこの時間が少し減っていた。そんな気がする。
抱っこ離れの遅い子で、いまだにちょっとした距離、ちょっとしたハプニングで抱っこ抱っこの嵐だが、母が腰を痛めて腰痛アピールして以来、母への抱っこ頻度や執着は減ってきており(簡単に父に移譲される)、その父が、先日、御蔭神社でまさに抱っこ中に足をくじいてのたうち回って悶絶している姿を見てからは、抱っこ自体への熱が減退している気がする。
3歳児なりにわきまえというものを覚えてきているのかもしれない。

そんな折、ミャンマーのパコックが思い出される、と去年の日記に書いてあるのが目についた。3年日記というのは、そういうのが面白い。

砂岸という言葉があるか知らないが、ほとんど浜砂のみでできたような岸辺の船着き場に、それを取り囲むように見下ろす高い砂の堤防。
浜風に似た風がびゅうびゅうと吹き抜けていき、砂がわさわさと飛んでくる。
吹きっさらしの砂の上に子どもらがいて、何をするでもなく、乗船客や外国人を見ている。
ぼくが掘立小屋のような茶店に入るや、その子らが寄ってきて、嬉しそうに照れくさそうに給仕を始める。

エーヤワディー河に中国資本の橋が架かる直前だった。
橋が架かって、船の需要はきっと根本的に減っていると思う。
基本的に船着き場の人間だけを頼りに商売しているだろうああいう茶店の子らはどうしているんだろう。
思えばそれももう10年近く昔の話であって、当時10歳だった子は当たり前に独立の歳になっている。

ぼくはぼくで若者ならでは、旅行者ならではの一過性でヒューマンな憐みや親しみの入り混じった感情で彼らに接する。
できることがあればしたやりたいと思い、笑顔になるなら変な外国人として振る舞うことも楽しかった。が、突き詰めれば何もしてやらない。船が動き出す時間になれば、じゃあね、といって立ち去った。
あの子らがぼくを目で追い続けたか、次なる乗船客に目を移したかも知らない。

あの子らにはしてやらなったことを、東子にはしてやれる。放っておいてもすることになる。
連休明けの朝っぱら、お弁当屋さんごっこでガラクタの入ったタッパーとスプーンを紙袋に入れて、熱心にあっちへ行ったりこっちへ行ったり、よく意味の分からないことを言っている自分の娘を見ながら、一体何をするのがいいんだろうと考える。

親がしたいようにするのが一番と聞いた気がする。
自分は何をどうしたいのか、自分に何ができるのか。
結局また同じ所に帰ってくる(笑

朝から腹がおかしい。
痛いような気持ち悪いようなしくしくするような。すっきりしないで力が入らない。
そういう日には遠い日の事ばかり考える。

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by fdvegi | 2016-07-19 00:30 | 京都在住 | Comments(0)