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王子駅

妻に言わせれば、自分の誕生月にそんなはずがない、ということになるんだが、
昔から何故か2月は調子がよくない。
突発的に、何かが乱れる。

昔はとにかく劇的な金欠に襲われてぐうも音も出なかったし、
去年なんかは夜は5時間も寝れば御の字なんて具合だった。
そして今年も今年で、ここ数年では断トツに落ち着いて迎えていたにも関わらず
昨日今日と突然激しい疲労感と徒労感に襲われている。

こういう時は、とにかく大量の緑茶とアルコールの出番になるわけで、(安直というか愚か)
週の初めからガブガブと夜更かしの連続である。

そんでもってここ数年、こういう症状が出た時は、常備薬のように
堀江敏幸の「河岸忘日抄」に手が伸びる。
理由は知らない。

今年もそろそろかなぁ、と虫の知らせを感じて、しかしはたと思いついた。
あれだ。「いつか王子駅で」。
名前だけは知っていたけれど、読んでいなかった一冊。

朝樹から場所の指定をされた時もまずはこの本を思いついたものです。
うん。王子駅。
彼と10年ぶりの再会を果たした今、まさにこの本を手に取るべき時が来たってことでしょう。
俺はここへ来たってことでしょう。
ホップホップホップ!
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by fdvegi | 2010-02-23 00:30 | 君は関東が好きか | Comments(0)

水を換える

大学5回生の1月に、サークルの後輩たちとタイムカプセルを埋めました。
10年後に掘り起こそうね、という絵空事めいた約束をつけ添えて。
それから10年、一月おくれで今日、万博公園へ行ってきました。

ここいらだったよね、と10年前に撮った写真と記憶だけを頼りにやみくもに掘り返すも、
一向に出てこないタイムカプセル。それでも諦めずに掘り続けるみんな。

あぁ、熱い。みんな熱い。

そんなみんなをよそに、ぼくは密かに心暗いのでした。
みんな、そんなに頑張って一体何を埋めたっていうの。
みんなはそんなにいいものを埋めたのかい。

5回生の夏に留学先から戻って以降、ぼくは就職先もない。進学先もない。正直いって特にやりたいこともない。ないない尽くしで、焦りと不安にじりじりじりじりあぶり焼き状態で、卒業を間近に控えた1月、もはや人間らしい言葉を思い浮かべることすらできず、仔細を覚えてはいないけど、とにかく我ながらおぞましいほど下らなくて面白くなくて下賤なことを書き連ねた激しい後悔の念だけが鮮明に残っているのです。

それはもはや呪符。呪いの札でしかないのです。
お願い、もう出てこないで!

そんな後ろめたい祈りが通じたのか、2時間の努力もむなしく、みんなの愛と希望に満ちたタイムカプセルは地中のどこかに埋まったまま、掘り出されることはありませんでした。

あたたかい場所でランチを食べていざ帰途についた時、ぼくはまた愕然とした。
ぼくを除く全員が9人中8人までもがモノレールの万博記念公園駅に向かうのです。
え、東口、俺だけ・・・。

一人、歩を進めていくほどに、ぼくは消耗した。
いやもう本当に憔悴した。
乾いた冷たい風にほほの肉をもぎ取られるようだった。

万博公園。
中学生の頃から陸上部の練習で足しげく通い、
大学生の時は児童文学館を利用した愛すべき親しみ深い場所。
だけどそれゆえに、人生にあぶれた頃はバイクを無暗に駆って訪れては、
平日、人気のない東の広場で、だだっ広い野原で、ただ呆然と、ぽつねんと
不安と虚しさをまぶした時間をむさぼった場所。

茨木市。
奨学生の頃は塾に通い、大学生の頃はバイトに精を出した町。
愛すべき町。
だけどそれだからこそ、人生にあぶれた頃、当時大学院生の友だちと、
夜な夜なうらぶれて酒を飲んでは自分を痛めつけてばかりいた場所。

あーもう。
こんなにも愛しいのにね。
ずっと同じ場所に住んでいる人ってすごいなぁ。
ぼくはだめだ。
水を換えたい。
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by fdvegi | 2010-02-21 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

ぼくと友だち

先日、東京に行って10年ぶりの友人に会ってきた。
10年も行方をくらまして、ひょっこり王子に現れた彼は実は終始ちょっと緊張していて遠慮がちな節があったけど、こちらとしてはしばらく離れていたって友だちは友だちなものだから、裏も表もなく嬉しかった。
翌日は10年来の友人と相変わらず昼から酒を飲んだ。
そんな最中に、同じく10年来の友人が7年付き合ってきた彼氏と別れたというホットなニュースが舞い込んだ。
そうこうしていると、これも長い付き合いの友人が東京からやってきて、ライン制を装った実質スタッフ制の職場の悲喜劇を分かち合ったりして大いにわめきあった。

総じて、東京と京都のそば屋にばかりいた。しあわせだった。

ここで「曲げられな女」だ。
菅野美穂の出ているこのドラマを観ていて、なんだかすごく興味深いのだ。
真っ向から友だち友だちと言っている今の展開が。

恋愛、結婚、仕事、家族という贅沢な素材を、うまい具合に(とぼくは思う)デフォルメさせて織り交ぜながら、物語は登場人物たちの人生を展開させている(っぽい)。
そんな人生の一線級のテーマをちりばめておきながら、しかし少なくとも今のところ主人公たちの一番の価値は友だちに置かれている。
昔からの友だちでも、仕事の仲間でもない、何の係累もないか、あるかないかのつながりしかなかった、最近の新しい友だち。

そこが非常に興味深い。
これは、どういうことなんだろう。

友だちというのが所与のものではなくなくなった、ということだろうか。
恋愛や仕事や家族について考えるとき、友だちというのはいつも無条件に寄り添ってくれていたり、逆に反発しあったりするために存在していた。
だけど時代は変わりつつあって、友だちは恋愛や仕事や結婚のはしためにあらず。
同じ重みを持つ目的であり課題なのだと、そういうことなのかもしれない。

これを、友だちの価値の上昇、恋愛・仕事・家族の相対的な価値の低下とみるべきか、それとも、マネイジしなくてはならないものの増加という意味で、人生の複雑困難化ととるべきか、そのあたり自分でも何を言ってるのかさっぱりよくわからないけど、後者ととるのが優勢なように思える。
それはそのまま、人生の多様豊潤化とも言えるような気もするから。

そんなわけで、ドラマの行方に注視している。
友だちについて考えることは、自分の人生について考えることなのだ。
折々、特に実のない手紙を無作為の友人に宛ててしたためながら、ぼくはそんな風にしっかりと考えたことはなかったけれど、思えば、結局のところ今も昔もずっと物事というのはそういうものだったのかもしれない。
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by fdvegi | 2010-02-20 00:30 | 京都在住 | Comments(0)