<   2009年 12月 ( 10 )   > この月の画像一覧

ボウモアを飲んでいた二人

「容疑者Xの献身」を観て、いつになく心を震わされました。
いい映画ですね、あれ。

二人が十何年ぶりに会ってウィスキーを酌み交わすシーン。
いつの間にか店屋物の大きな寿司桶があったり、
それが巻き物をいくつか残して空っぽになっていたり、
胸が熱くなってしまった。

 君を送りて、思うことあり 蚊帳に泣く

これもテレビで「坂の上の雲」をみて覚えた正岡子規だけど、
この句とレミオロメンの「3月9日」が一度にどっとにじんで来るようで、
ぼくは思わず、タイの地にも行けずぬくぬくと顔に肉を付けている自分への
言いようもない羞恥と不安を再認識し、苦しくなりました。

 開けた戸の まぶしいほどの 松雪泰子

堤真一の慟哭。

テレビCMのせいで、もはや柴崎コウが歌おうとも福山雅治の歌にしか聞こえない
エンディングの歌。
この映画の後に聞いてこそだったんですね。

もっと泣けばよかった。
[PR]
by fdvegi | 2009-12-30 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

ムムリク・ザ・スヌース

誕生日にもらったチケットでライブに行ってきました。
ハシケン@磔磔。
久しぶりだなー、生の音楽。

昔、好きな人が、崇拝は自由を対価にするんだぜ、みたいなこをと言ったのを、
うさんくさい照明の中で歌うハシケンと、歌うハシケンを見ているお客さんの背中を見ながら、
なんだかしみじみと思い出しました。
物事に対する誰かにとっての適切な距離と、自分のそれとが違うことを
いちいち気に病んではいけない。

しかし寒いですね。
ジョギング後のシャワーでまたもや右肩がピキッといき、のど痛も昂進中。
こうなるともはや体中が痛いです。
このくそ忙しい時期に。(精神的に)
まったくもう。
[PR]
by fdvegi | 2009-12-23 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

滅んでしまったわけでもない

今年は、住所教えて、というメールが増えたと思う。
自分でも受けたり出したりした。
郵便局のCMが確実に功を奏しているんだろう。
自分が尋ねる段になって、その背中を押す力の強さに気がつく。

小栗旬の自然でまっとうなスーツ姿がとてもいい。
[PR]
by fdvegi | 2009-12-20 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

ゆらぐ

中国の副主席の天皇陛下への面会希望に関する小沢幹事長率いる民主党政府の言動と、ネットで見る限りの世間の反応が日々白熱している。
(ワイドショーなんかでも取り上げているんだろうか。)

なんだか大統領選挙後の混乱するイランをニューズウィークで読んでいた頃の感慨がよみがえってくる。

アハマディネジャド大統領、ハメネイ師、国民
小沢幹事長、天皇陛下、世間

プレイヤーの役割というか権能や、置かれている環境も関係も全然違うのだけど、なんだか少しドキドキしてしまう。
[PR]
by fdvegi | 2009-12-15 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

柚子に水

オフィスのデスクに小さなサボテンがある。
(ここ数日は小さな柚子も乗っている)

今年の1月頃、昔使っていたDHLが宣伝用に送ってくれたのだ。
その時、水はあんまり要らないので次は3月にやってくれ、という説明書きが入っていた。
なので、3月か4月に水をやった。

以来、毎日目にしているにもかかわらず、ぼくはまったく水をやってこなかった。
実に9ヶ月。

サボテンは今も元気(そう)に生きている。
今日、ティースプーン1杯の水をやった。
[PR]
by fdvegi | 2009-12-14 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

最近のいただきもの

c0072352_22595716.jpgc0072352_2302893.jpg
ありがたし。ありがたし。皆様に生かされております。早31年。
[PR]
by fdvegi | 2009-12-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

沖縄と

まぁ、放っておけばいつか落ち着くさ、他にないし、向こうもそれを求めてんだし。

正直な話、完全な思考停止でおりました。米軍基地の話。
これまでどんな闘争が繰り広げられて60年間やってきたのかさえほとんど知らないのは、それは確かに罪だなって、やつれ上がっていく岡田外相の様子を見ているうちに、最近ようやく感じてきました。

それだけでも、新政権による捨て身の注意喚起は重要な意味があるんじゃないかしら。

でもって、これまで巧妙に「彼らの話」に仕立てていたものを、「我々の話」として俎上に上げたのは、これは確かに友愛的所業なのかも知れません。

さらに、そんなわれわれの重要な話をゆっくり慎重に考えるという態度に対し、切れて顔を真っ赤にして、大声を張り上げたというルース駐日大使。

この人の怒りぶりこそが予定調和の破たんを如実に示しているわけで、いわゆるトカゲの尻尾切りのシッポ状態だった沖縄が、今度はいよいよ「我々の問題」のみならず「米国の問題」にまでなってきているというのは、それは単純に「相手が怒ったから外交の失敗」というものなんだろか。

当然よくわからないんだけど、単純にそうでもないって気がしないでもないんですよね。
[PR]
by fdvegi | 2009-12-08 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

水に石

あっという間に年末シーズンが来ましたね。ぼくはこの雰囲気、好きです。
そして年末といえば毎年恒例、誕生日がやってきて、31才のほまれをさずかった次第です。いやいや、どうもありがとう。

思えば30才の一年間はゆっくりさせてもらったな、と。そんな感慨が湧いてきます。
仕事ではぎゅうぎゅう絞られた感が強いですが、その分、憩いくつろぐ時間を与えられたような気がします。一日単位だとひどいマイナスが続いたけど、一年単位だとプラスな感じ。
これを心の余裕と言うのか、気の緩みと言うのか。

毎年、誕生日になると、俺はこうするぞ!俺はこうなんだぞ!的なことを必死になって言っていたものですが、去年30才の時から何となくそれが浮かばなくなりました。

今思えば、去年はあれこれ追われて心も頭も追いついていなかたんでしょう。
結婚というのは水底にゆくっりと落ちていく石のようなもので、それそのものの些事的インパクトもありますが、着地の衝撃で舞い上がる砂や芥、そして砂や芥に覆われていた地面の様子など、関連事象の豊富さ・終わらなさこそが本分のように思えます。

侮っていましたね。そろそろ一年になりますが、これが落ち着いて余裕が出てくる時というのが果たして来るんでしょうか。興味深いものです。

と同時に、今年になって感じるのは、変な落ち着きです。
特に4月からは仕事が2巡目になった余裕もあるんでしょうが、アピッてないといけない不安、張りを保てない不安、一度失くすともうダメなんだって不安、そんなようなものが薄れた気がします。

単純明快に、誰が何と言ったってパートナーが認めてくれているからね、的なまとめ方をしてしまえばハッピー&ステディな一件落着なんですが、何というかそれとはまた違うんだよね。誰もが何となく知っているはずの既婚者たちの間。ようようぼくもそれを感じ取りつつあるのかもしれません。

この小さな三畳間(?)では、黙って自分のすべきことをしている余裕があります。あるいは、この三畳間にこそ人は入ってはいけないんだ。とクリエイティブなピープルなんかは主張するのかもしれませんが。

何だかんだ言って、やっています。そういう報告でした。31才のほまれ。
引き続きよろしくお願いします。
[PR]
by fdvegi | 2009-12-07 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

懲りない

すこぶる評判のいい「十五夜」という店に行ってきた。
ところが、これがもう本当にヒドくて驚いた。

10人程度のカウンターと奥に座敷があって、
板前と舞妓さんか芸妓さんあがりの若女将風の女性がカウンターの中にいて、
バイトの若い女の子が座敷や客の出入りをカバーしている。

不幸だったのは、「先生」と呼ばれる常連さんがいたことで、
板前も他の二人も基本的に「先生」のために仕事をし、
「先生」のための接客をしている。

昔、料理屋さんで働いていた頃、確かに金使いのいい常連さんはいて、
気前のいい注文をしまくったり、新しい上客を連れてきたりと、
店がそういう人に気を使わずにはいられない感覚はよくわかる。

それにしても、先だっての十五夜さんに至っては、95%が先生対応で、
残りの5%がどうにか、カウンターにいた別の3組と座敷に向けられている有様だった。
カウンターの内側と外側でのぼくの僅かな経験上、そういう例は一度としてなく、
驚くというか呆れすぎてしまって、次第にものの味すらわからなくなってしまったのでした。

この店の問題点:
基本的に板前が司令塔で、女性二人は忠実に彼の指示に従うことを是としている。
よって、この人の注意が一点に向けられると、店全体の注意がそこに向けられる。
そうはいっても、お座敷を仕事場としていた経歴からして、客あしらいはすごい、
なんてことを期待せずにはいられない肝心の若女将も、客が使い終えたメニューを
片付けることすらできないほど気が回らない。

とはいえ、最初に出てきたいくつかの品はとびきりおいしく、
その味だけで考えるとコストパフォーマンスはかなりのもののように思われます。
次回はぜひ、今日は先生はいますか?などと確認の上、訪れたいと思うのでした。
[PR]
by fdvegi | 2009-12-06 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

仕分けの後で

あれやこれやと意見や声明が出されています。
ノーベル賞級の研究者たちによる批判の次は、大手大学の学長陣による共同声明。ノーベル賞クラスともなれば個人で傍聴するだけでもニュースに取り上げられるし、首相官邸に直談判すらできてしまいます。この先もまた、学者集団による共同の声明があるんじゃないでしょうか。
科学技術、重要ですからね。

一方で、いつまで続くんだか、とさめざめした気持ちにならずにもいられません。 ふと。

というのも、ノーベル賞や学長クラス、最先端研究者レベルの声はかまびすしいほど聞こえるのに、それ以外があんまり聞こえないんですよね。

これでほんとに最終的に科学技術関係費ばかりが復活するようなことがあれば、「声の大きな人の声だけ聞こえるのか」という印象を抱かないでいられません。
それじゃ経団連なんかの業界団体の声をよくよく聞いて行われたらしい規制改革とあんまり変わらないような気が。
もちろん、特定企業のぼろ儲けと、「資源のない国の発展の鍵」や「人類普遍の利益」が違うことはわかりますけれど。じゃあ「子どもゆめ基金」はどうなのさ。と。

いや、何も知らないんですけど。廃止を伝えるニュースでやってました。
町の公民館か開放された役所のオフィスの一室っぽいところで、子どもらが紙を貼り付けた大きな模型を作り、学生ボランティアか近所のお母さんかというような人たちが、その様子を監督している、そういう様子。
「あぁ、そういう取組みか」と納得してしまう、そんな感じ。

そういう人たちがそういう人たちであるという理由で声の大きな人とは差別されたという気持ちならざるを得ない、そういう世の中はよろしくねいよね。

そして、大きな人には大きな人ならではの大人げのようなものも知ってほしいなとも思うところです。
[PR]
by fdvegi | 2009-12-01 00:30 | 京都在住 | Comments(0)