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同期会

5年ぶりに同期会に行ってきました。
半数は家庭トーク。半数は仕事トーク。
そういう時代ですか。
家庭について何も語るべきことがなく、特に学ぶつもりもないぼくは
自然、仕事トーク組へ。

みなさん、それぞれに苦労をしているようで。
あの頃、こんなことをしたい!と高らかに語るか、あるいは密かに秘めていた人々は
思い思いに己の仕事を語るのでしたが、
幸か不幸か、外部資金関係についている人間は自分のほかにはいないのでした。
そして、彼らには、そういう世界があることすら見えていないようで。
あっぱれ!

この業界では、まだまだ予算が大事なのです。

はー。
お好きにどうぞ。
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by fdvegi | 2008-10-30 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

筋肉がついてきた

新生銀行の口座をチェックしたら給料が振り込まれていた。
社長の名前が変わっていた。
あー。そうか。
と、妙に納得。
何日か前に社長をはじめ副社長の顔ぶれがガラッと変わったのです。
社長と自分とのつながりって、これくらいしかないんですね。

2週間くらい前の世界同時株安の時、面白がってドルとユーロを3万円ずつ買ってみた。
今日見てみたらユーロが2万5千円ですって。
おいおい、どうした。
前へ進むレースではなくて、後ろへ下がるレースをしている感じですからね、
円に再び追い越してほしいのか、欲しくないのか、微妙なところです。

復職して半年が過ぎました。
ようやくようやく筋肉がついてきた感じです。
この程度の筋肉をつけるのに例外的に多くの時間を費やしてしまった気がしますが、
当座(の邪魔)をしのぎ過去を清算しつつの道のりでしたから、
その分なかなか強度のある、しまった筋肉じゃないかな、と期待しています。
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by fdvegi | 2008-10-26 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

コニクニーラ

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鶏にもハラミがあるんですね。
コニクという名前がキュートです。

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そして美味。
ちょいと脂が多いけど。

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ニラと一緒にちょちょいと刻み、

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余った脂で炒めたコニクニーラ。
そうめんも食べ納めだね。

昼過ぎから急に肩と背中がごりごり痛む。
風邪だな、こりゃ。
葛根湯と酒飲んで寝よ。
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by fdvegi | 2008-10-26 00:30 | 京都在住 | Comments(2)

愛の単独走、服を着ろ

銀行にはおれおれ詐欺に引っ掛かっていると思しき人を止めようとする担当の人がいるらしい。で、その人がいざ止めようとすると、今まさにおれおれに引っ掛からんとしている人は、その銀行の人を突き飛ばして怪我をさせてまで振り込みを遂行する、と前に新聞に書いてあった。

今日の京都新聞を読んでいたら、おれおれ詐欺について書いてあった。
とかく被害額がすごいらしい。1月から8月だけで214億円ですって。
(全額とは言わないまでも、このタンス貯金の何割かが市場で出回ってれば、それなりに経済効果が出てるんじゃなかろうか。おれおれ景気)
で、水際に警察官を投入しても止めようとしてもできないし、こうなったらもう

犯罪に使われないATMの開発とか、犯人の悪知恵に勝つ技術や制度を考えといけない時代になっている
と締めくくっていた。
え。

「技術立国日本」という呼び声が後か先かは知らんけど、このありようはいかがなものかと、さすがに最近は誰でも思ってるんじゃなかろうか。
立派な技術があれば、使う人間は何でもよし。
といった風潮が、何だか共通理解とも言えないような、根柢の起点みたいな、そんな状態になってるような気がしてしまう。

「何でもよし」な人間には、技術と同じくらい、次はちゃんとした(行政)サービス、非常にふんだんで痒いところに手が届くサービスが必要になる。
行政へのやたらと苛烈な、ちゃんとしない行政サービスは100パーセント悪、みたいなバッシングはちょっと度を越してる気がしないでもない。

「何でもよし」というのは、つまり「クオリティを求めない」ということだ。
技術や制度を重要視して重宝するのがいけないわけではなくて、問題は、「とりあえず人間のクオリティについてはおいといて」技術と制度をに目を向けることではなかろうか。
水を向ける。お鉢を回す。責任を転嫁する。丸投げする。放置する。荒廃させる。

「人間のクオリティ」なんていうと、また物凄く誤解がありありな感じだが、「人間として生きるにあたっての生活・環境・姿勢のクオリティ」とでもいいますか。
例えば、おれおれ詐欺って、突き詰めればとどのつまり、家族の話ではないのか。

おれおれ言ってる息子に後で電話で確認するのが難しいとしても、配偶者に相談してみる、おれおれ息子とは別の子どもに相談してみる、おれおれ息子に奥さんがいればその人に相談してみる、などなど、それだけでもある程度の抑止力にはなるまいか。

それがかなわない。
結果、おれおれ息子への愛情が圧勝。完勝。愛の勝利。
何たるアプリオリなるものの悲劇。
人間はこの丸裸の状態から服を着て、鎧をかぶって、武装しなくちゃいけない。

今のこの状態はあたかも、丸裸のままで、殺菌処理をし暖房をきかせた平野に一人で立っているようなものだ。

京都新聞の言っていることは、もっと徹底的な殺菌と暖房の強化、あるいは監守の増加ということになる。
ぼくはそれは違うと思う。
服を着ろ、と言ってほしい。
着衣を諦めるな。
たとえ今すぐ服を着ることがかなわなくても、5年10年かけて、「次の世代」はそれを学ぶ。
世の中はそういう風になっているとぼくは思う。

とてもセンシティブで触れようがないようにも思える家族の問題だって、行きつ戻りつしながらも、けれど結局、分散や孤立はこれ以上進まないとぼくは思う。
たとえば少年時代に父の単身赴任を経験したぼくは、この先どこへ転勤することになろうとも、地獄や宇宙の果てでない限り、家族がいれば家族を、なければ妻を連れていこうと決意している。

家族の維持と(行政)サービスの維持・利用を比べて、どっちもそれなりにしんどいが、後者の方が多少なりともロスが大きいと判断するようになれば、畢竟、人は家族へ帰るに違いない。
技術の向上と利用者の能力の向上を比べても、同じことになるだろう。
そっちの方がロスが少なそうだと思えば、人はそっちを取るように出来ている。
その方が楽だからだ。生きていくには楽な方がいい。

洗濯物を干しながら、そんなことを考えた。
天気が良くなってきて、うれしいな。
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by fdvegi | 2008-10-25 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

遊び心だね

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高野橋東詰のちょっと北。
床屋さんの近くです。
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by fdvegi | 2008-10-24 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

性格の違い

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by fdvegi | 2008-10-22 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

つまり二次会

高校時代、生徒たちから敬愛をこめて「和尚!」と呼ばれる教師がいた。
書道の先生だった。
噂によると、本当に坊さんらしいんだが、修業中に寺を抜け出して生レバーを食べ
それで破門になって教師になったという来歴の持ち主だった。
骨董品収集が趣味で、時々、馬鹿でかい鬼瓦なんかをわざわざ授業に持ってきては、
生徒たちから嘲笑に近い喝采を受けていたものだ。
いい先生だったと記憶している。

さて、2009年に結婚式をするものだから、何となく二次会もする。
彼女の友だちが幹事をしてくれるのだが、これが世事にたけた坊主、
いわゆるなまぐさ坊主、ぽいマッサージ師である。
バーにも勤務しているらしく、先だってそのバーへ行ってきた。
なまぐさ坊主、免許皆伝である。

そこが我らの二次会会場になるらしい。
つまるところ、下見と説明である。

広い!

どう考えても40人か50人はくらいはいなくてはさみしい。
閑散としてしまう。
値段的にもそのくらいいないと厳しいようだ。
彼女の方は20人や25人を集めるくらいできるそうだが、
その計算でいくとぼくも20人か15人を集めなくてはいけないことになる。

むむむ。

世の中の人はみんな20人や30人も友だちがいるんだろうか。
しかも「友だち」と称するのみでなく、数千円を費やして、新年の連休をつぶし、
浮かれた顔したふたりに「おめでとう」なんてやさしい言葉をかけてくれる、
そんな素晴らしき人的資産を、世間の人は一般的にどのくらい保持しているんだろう。
はなはだ疑問である。(切ない)

実のところ、するとは言っておきながら2次会についてまったく構想を描いておらず、
誰を呼ぼう、誰が来てくれるだろう、といったことを一秒も考えたことがなかった。

いや、今の強がり。
何時間考えても結果は同じで、
披露宴に来てもらう方々には自動的に声をかけようと思っているが、
それ以上・それ以外が思いつかないのです。
だって所詮、自分の結婚式だぜ。
となると10人から15人。

あぁ。

どなたか、これを読んでいるあなた、皆様、
自分が行ってやろう、そして「おめでとう」と言ってやろう、と思ったり、
あいついいんじゃない。お前のこと好きかどうか知らんが、2次会が趣味らしいぜ、
といった提案をお持ちの場合、どうかどうかわたくしまでご連絡をいただきたい。
清き一票を。どうか皆様のお力で。

般若心経盆踊、瞑想的妄想説話、座禅浮遊按摩、、
などが披露されるかも知れません。
どうだろう。

よろしくお願いします。
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by fdvegi | 2008-10-21 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

ネガうどん

はっちゃけとんなぁ。
と唸ってしまう言動をとっている友人がいる。
自己申告なので真偽は不明だが、外形標準課税の対象としては、
たぶんほんとにはっちゃけているに違いない。

それは、タトゥーが過剰とか、ピアスが多過ぎるとかに似て、
当事者ではない人間にしてみれば、もはや単に痛ましい。
少なくとも、そういうシーズンを終えた者にとっては痛悲しい。

場面に応じ、何食わぬ顔でシーズンオフ面を決め込む。
そういうことが出来るようになってきたぼくにも、しかし、
彼のはっちゃけレポートには一つシンパシーを感じてしまうことがある。

夜中に再々うどんを食べている!

これは身に覚えがある。
彼のうどんはポジのうどんなんだろう、という気がしないでもないけど。

先日、連休を利用して宇治へ散歩に行ったきた。(←この枯れぶり)
観光客のあふれかえる観光地丸出しの平等院山道が面倒くさくなってしまい、
これでもか、といわんばかりの食堂に入って、たまごそばを注文。
素うどん(ここでは一応、素茶そば)にとき卵がのっている代物です。

彼女の所へ来た卵そばとぼくのところに置かれた卵そばの、
卵の量も煮立て具合も明らかに異なっている姿に、ふと、
二人分を一度に同じ小鍋で煮たんだな、あの店は一人分で作ってくれたのに
と思いを致したのです。

しばらくして、そのうどん屋へ行く機会はほとんど皆無となり、
代わってそば鶴へ通うようになった。
そば鶴へ行く時は、いつも必ず、楽しい気持ちになりに行った。

宇治川の橋ふところで、そんなことを考えたのでした。
合掌。
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by fdvegi | 2008-10-14 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

アムリカ

「全部アメリカが教えてくれた」と昔、田辺マモルという歌手が歌っていた。
彼の書く歌詞がもっぱら好き。

初めての外国だったスウェーデンに行った時、若い人の常として、
ぼくは「日本ならざるもの」を探しては、ことさら喜んだり、考え事をしたりした。
それこそが外国体験の醍醐味であると、やたら強く意識していたな。

ほんの10年前とはいえ、今になって思えばスーパーにアナログだったあの頃、
非日本を探すのはわりと簡単な話だった。
だけど、日本にいるのとスーパーに違う状況を見出すのは、けっこう難しい。
アメリカがあったから。
生活のそこここに配置されたアメリカは、日本もスウェも、そう大しては違わない。

以来、幾度か外国を訪れ、非○○探しはそこそこ落ち着いてきてはいるものの
それでも密かに、もはや意識もしないレベルだが確実に、
ぼくは「ならざるもの」探しに勤しんでいるに違いない。
ただし、それは「日本ならざるもの」ではない。「アメリカならざるもの」なのだ。

アメリカが凋落するかもしれない。
世界の中心は移動するか分散するんだろう。
「デモクラシーの帝国」などを読んでは、借りてきた「一国中心主義」という言葉を
悪く言ったりしてたんだから、きっといいことなんだろう。

が。アメリカではない世界について、ぼくは確実に、少し怖がっている。
不幸なことに、フェミニストは女性の言葉で語ることが出来ないらしい。
フェミニストでありながら、その論理体系は男の言葉によって構築さている。
1978年の日本に生まれたぼくに、アメリカではない言葉を話すことができるだろうか。
なるほど、スウェーデンを少しかじった。
アジアにも中途半端ながら親しんだ。
わりと非アメリカ寄りに生きてきた。つもり。←アメリカってもっと深い気がするけど。
アメリカとアメリカ・ミックスの日本から逃れることに腐心した。
執着した。
それ自体がアメリカだった。

一個人の話に過ぎないのかしら。
世界はすでにアメリカではない言葉を知っているの?日本は?
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by fdvegi | 2008-10-06 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

帰り道はしあわせ

Akeboshiという人のPerunaという曲が頭の中で流れっぱなしです。
「ぐるりのこと。」という映画を観てきたから。
京都みなみ会館で。いい映画館だね、あそこ。

リリー・フランキーと木村多江が並んでいるポスターを金曜の夕刊で見つけたんです。
二人とも好きなもんだから何も調べずに行ったら、その沈鬱ぶりに、
一体何が言いたいのか、観るに連れてますますわかりませんでした。

でも心には残るんだよね。

八嶋智仁の高圧な人間ぶりは相変わらず迫真というか、真実味がありますね。
あのひと幕は重要なシーンのような気がする。
その相克を最後まで描かなかったのが、いただけないと思う。
ぼくらのリアルな日常は、丸めた紙を壁に投げつける、その後にこそ広がっている。

にもかかわらず、何故かいいイメージで印象に残っているんだよね。
けっこう残酷な話だと思うよ、実際。
そんな風に絵筆で昇華する、そういう術を持たない圧倒的多数のぼくは
かなりの精度で突き放された。

昔は詩人になりたかった。と昔、当時の彼女に冗談半分で言ってみたことがあって、
その時はあまりに反応がなくて面白くなかった。
けれどあの時、実は彼女はドン引きして、一瞬、機能が停止していたのかもしれない。
そういう地味なショックに弱い人だったから。

東寺の塔を見ながら帰る時、どういうわけかそんなことを考えていた。
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by fdvegi | 2008-10-05 00:30 | 京都在住 | Comments(0)