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充実10月

「号泣する準備はできていた」という本を読んだことはないけど、
そのタイトルは上質で、素敵な感じがする。

それを勝手にもじって、転がされる覚悟はできていた、のだけれど、
ここへきて、転がされるとかそんな軽薄な言葉では足らんというか、
なんだかんだ言っても結局は楽しげなバックグラウンドを感じさせる、
そういう軽妙な感じを決定的に欠いてしまった。
と村上春樹なら傍点をつけるかも知れない状況と気分に陥っている。

由々しき話だ。

今朝目が覚めると久しぶりにまた裸で、肩とのどがとてつもなく痛い。
これはただの馬鹿だ。

薄明るい程度の照明と、ボリュームが非常に適度な音楽とで、
ポップな内装がぐっと落ち着いて感じられる、客席の数とそれに対する店員さんの数も手頃な、
だけどそれゆえに雰囲気負けかと邪推せずにはいられなかったところが、
意外と本気でおいしい野菜中心のイタリア風料理を食べつつ、
(ルッコラのサラダとキノコたっぷりのピザがいい。いい香りだ)
あんまりうまくないけどまぁよしとする赤ワインをボトルで頼んで、(グラスがNG)
そういう由々しき話をそこそこ軽妙に聞いてくれる友人がいるというのは、
まぁ一重に彼女の人徳の致すところとも思えるが、とにかくぼくはラッキーだ。

この手の人徳というかラッキーがある以上、というか、その友人がいる以上、
うむ、真性マリオネット・ライフもさわりぐらいは試してみてもいいかと思えてくるのは、
これは人徳というより一重にマゾヒズムの境地かとも思うが、どうだろう、
「それなら前から知っていた」と、いつかそう告白するときが来たとしたら、
それは春琴ちゃんにメロメロの末、失明までした佐助くんばりの、
空前絶後のエゴイスムにも似たり、美談かな、なんてことにはならんだろうか。

馬鹿。

今日の夢にはなぜか高校時代の友人、高橋宏王くんが登場した。
懐かしかった。

生ジュディ・オングは、前にふられた彼女に激似だった。
懐かしかった。
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by fdvegi | 2005-10-31 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

無闇にプリプリ

何でそんなに腹が立つのかよくわからんが、
腹立たしさと意気阻喪がごだごだになって
ぐだぐだ。

駆込みで散髪し、
むくんでいるのか肉がついたのか不明の顔面に直面。
やっぱなー。などと。

友だちに電話して、
ステラ・アルトワを4本飲んで
寝た。

ピーナッツを食べ過ぎたら胃が痛い。
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by fdvegi | 2005-10-27 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

忘れまい

ここのところ腑抜けたことばかり書いてきたけど、
その間腑抜けたことばかり考えていたのかと問われれば、
いやはや、まったくその通りで、
もはや正真正銘の腑抜けでござんす。
アパ。

体の筋肉という筋肉がずくずく痛み、
それそれ、腑抜けめ、さぁ熱を出してやるぞい、ティヒヒヒヒ、
と誰かが余裕しゃらしゃら絶対優位の位置から
か弱いおっさんをびびらせようとほくそ笑んでいるようです。
確実に負けます。
明日か、明後日。

この金曜土曜は二日続けてライブに行きました。
金曜はHasikenのソロ、土曜は奄美のミュージシャンたちのイベント。
5月かそこらにも行ったんですが、
その時よりも声がしっとりしていたし、
特に「美しき島」がよい歌に聞こえて驚き感激してしまいました。

奄美のイベントのお客さんの中には、近畿在住の奄美の人が大勢いるほか、
遠路はるばるこの日のために飛行機に乗ってきた奄美の人々もいて、
横溢する仲間意識というか、どでかい家族ぶりにくらくらしながらも、
エイヤ、ホイサと一緒になって踊ってみればこれ極楽、
おいお前、全部許す、と神の声がして、
じゃ俺も、と喜色満面、意気むることなく意気投合。

許すことは心の部屋を一個増やすこと、てなことをば
私の頭の中の消しゴム、なる映画申して候。
なるへそ、許す数だけ人は広まり、けだし深まり。
秋に始まり。
もみじ色づき。
京の地冷えり。
冬気繚乱。
光彩陸離。
あな。
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by fdvegi | 2005-10-24 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

結論

愛しい人が自分の作った服を着ると悪魔よりも美しくなる。
ただし元々悪魔のように美しい。

記憶をなくして本性を丸出しにした(らしい)翌朝、
ごはんと味噌汁を出されるという、
幸福と恐怖。

別に付き合っているわけではない、という致命的欠落。
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by fdvegi | 2005-10-19 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

悲惨から遠く

友人に誘われて古い知り合いのお宅を訪ねた。
彼女はすっかり妊婦になっていて、マンションの玄関で手を振って迎えてくれる姿は
暗がりにもかかわらずどこか「天のテラス」を思わせて素敵だった。
新婚さんとは言わないが、若い夫婦のご家庭はこざっぱりとして趣味がよく、
質素だけどぬくもりがある。

ミシンを借用している間に出来上がっていた引越し祝い名目の鍋は、
作っておいてくれたかつおだしと鳥のスープがこの上なく上品で、
その上、カキとホタテから出たうまみがたまらない。
野菜は白菜やネギといった“いつでも誰でも手軽な”面々ばかりでなく、
ダイコンやゴボウ、謎のなっぱにニンジン、という風に色んなものが入っていて嬉しい。

ビールではなく沸かしておいたぬるいお茶を飲みつつ、
おいしいね、を連発する、高校時代からの親友である二人の、
かみ合ってるのか、勝手に喋っているのか知れない
途切れることのない会話を聞いているのは楽しい。

大学時代からの付き合いである友人もいつの間にかこんな風に、
毒やトゲがなくて、身の回りへの視線に根を張った、若い奥さんの会話をするのか、
と思うと、何だかほのぼのとしてしまった。

洗い物を終えた時の「あぁ、早く済んだ!」という一言は、
今まさに母親になりつつある彼女の声か、それとも
物心ついた時から年の離れた弟を上手にあやしてきたであろう彼女の声か、
いずれにしてもそこには、とうてい同じ年とは思えぬ年季があって、
言われた(聞いている)こちらとしては、やってよかった、と嬉しくなってしまう。

だんなさんは仕事の関係でいつも深夜に帰ってくるという。
それまで彼女が何をしているのか、もう寝ているのか知らないが、
24時過ぎの終電までその空白を埋め、にぎやかであることの一助でいた自分が嬉しく思えた。
帰るとき、マンションに着いた時とまったく同様に玄関先で手を振っている彼女は、
結局、フェンスで見えなくなるまでずっとそうしていた。

出来あがったミャンマースカートは明日、着てほしいと思っていた、
欲しいと言った人にあげることになっている。
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by fdvegi | 2005-10-17 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

悲惨な気持ち

最近は戦争というと今頃になって読んだ「ヒロシマ・ノート」の、
“原爆は(国際的・軍事的)威力でなく(人間としての)悲惨である”という、
他人としてつい忘れがちになってしまう大切な真実と、
“その悲惨は人間への期待によって初めて行われ得た(そして、それこそがさらに悲惨)”
という喝破、逆説、何より、それって真実だと思わずにはいられない他人とのたまった自分
よりむしろ、“ペストに苦しんだとは言ったって、中世の連中は、原爆に苦しむ僕たち、
例えばその絶望のあまり縊死した友人と、そうやって友人を失った僕に比べれば
まだ希望があってマシだったろうさ”という、あっぱれ、
あれこれいいこと言った風な真面目顔からふと何気なく極めて自然に発せられた
全力醜悪な自己中心さがものの見事に露見してしまい、
結局全てがドロドロになし崩しになるという、実はそれこそが戦争の本質というものかしら、
そのシュミレーションをやってのけているのかしら、とこうなったら
邪推せずにはいられない厚顔ぶり、恥ずかしい様が思い出されてくるので、
ニュースなんかでも戦争の話となると思わず無視せずにはおれなかったのだけど、
前々からその情報の少なさと、グルジアとの近接振りで気になっていたチェチェンの関連で
興味を引かれる本が日曜の読売新聞に紹介されていたものだから、さっそく買ってきた。

「アッラーの花嫁たち」

チェチェンてイスラム教らしく、その中でもバーブ教という人たちが怖い人だそうで
テロを起こすのだけど、その起こし方が最悪というか、もう何というか、
女の人を精神的に正常でなくして、体に爆弾巻いて目的のところまで行かして、
遠隔操作で爆破する、っていう非道そのものなわけです。
かつ、その親たちは、娘と引き換えに家をもらってるんだよね。

しかも、その正常でなくし方がもう。
まだ途中までしか読めてないけど。
夫の腹が切り裂かれ、その腹の中に妻が頭を突っ込まれ、夫が死んでいくのを、
その血とはらわたの中で感じていた。て。え?
まさに人間としての悲惨。

「ヒロシマ・ノート」の作者は果たしてその時、原爆以降に、原爆以外で、
これほどの悲惨を想像しえたんだろうかね。ペスト禍の恐怖を唾棄したその人に、
それができただろうか。少なくともぼくには出来なんだよ。全然。寝れん。

ちょっと前に「ジェノサイドの丘」というルワンダの虐殺のルポルタージュを読んだんだけど、
そこでは仲良しだった隣人を、隣りの村の全住人を、ひいては一つの民族を(ほぼ)根こそぎ、
でかい鉈でばったばったと振り回し、プチプチシートのプチプチを一気にまとめてではなく
一つ一つ丹念につぶしていくように、叩き切って殺しまくり(革をなめす、の、
なめすという表現が頭に浮かぶ)、乾いた大地のそこらじゅうに屍が屍のまま
堆積しているということだった。

何が言いたかったのか皆目わからんくなってしまったけど、とにかく
悲惨三書ということで紹介します。
ちなみに映画「シンデレラマン」も辛かった。
相当しばらく足に力が入らなかった。全然関係はないけどね。
要注意。

ただね、世の中に悲惨がある分、人はちゃんと愛しまんといかんと、
前に耳鼻咽喉科でだらだらと顔中から汁をたらしている時
痛くそう思ったのだよ。

だからこそ悲惨。
とか言うな。

寝る!
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by fdvegi | 2005-10-13 00:30 | 本を読んでみた | Comments(0)

この家

月曜日、新京極のキリンシティに行ってきました。

最近、キリンのブラウマイスターというビールが好きで、生が飲めるのはここらではキリンシティだけだと聞きつけたもので、気分のいい時を狙って探してきました。知らないところに一人で飲みに入るというのは、何度やってもそれなりに勢いが必要です。小心者です。
しかも、そこではイベリコ豚といううまい豚肉が食えるということも前に聞いていました。時代は今、うまい豚肉です。

ちなみに、このブラウマイスターは缶々がセブンイレブンに売っています。ラガーよりしっかりしているのに、妙な味の濃さや、嫌な重さがあるタイプではりません。うまいと思いますよ。

で結局、店は探すほど難しいところでもなく、半地下の店内はヨーロッパによくあったような、丸いカウンターがあって足元に棒があって、一人飲み対応というか一人で飲んでる人がけっこういる、落ち着きある賑わいを呈するいい空間でした。

で、いい具合の泡を鼻の下に感じつつ、いい感じに冷えたビールをゴクゴク。うまい。
香りのさわやかなイベリコ豚をつまみつつ、ゴクリ。チビリチビリ。ゴクリ。うまい。

一つ二つメールの返事を書き、楽しかった3連休を振り返りました。

ミャンマー語はやっぱり難しい。到底読めません。
だけど、習い始めの外国語というのは、ただそれだけで楽しいのです。

ふぅ。

しかしまずい。
素敵すぎる。チェコ以来、素敵すぎる。
難しいぞ、これは難しい。
と、日曜日の、鍋の、その人を思わずにはおれません。
そのせいですっかり色褪せて映ってしまった月曜日が、米仏を知るその人が、だけどそれゆえにとても好もしく思われました。あんなに素敵に思えてたのに、さっさと一人で飲むことを選んでしまったのはそのせいです。

まずいなぁ。
身に余る。あまりに身に余る。

ふぅ。

ま、いっか。とりあえず。ぼちぼちするさ。
次の約束はあるし、何も知らない、だけどとても効き目のある友だちもいる。
少しずつ肉をつけていくみたいなもんさ。
そういう作業だ。
丹念に誠実に、ただ取り組むだけさ。

しかしうまいな。おいしい味はするのにさわやかだ。
豚みたいに欲まみれ、だなんて誰が言った。

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by fdvegi | 2005-10-11 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

いいすぎ

毎日米ばかり食っております。
タラコとかサンマの刺身とか漬物の盛り合わせなどを買ってきて、なぜか半分意地になって毎食いつもの倍食べてます。

この、なぜか半分意地になって、というのが今日の曲者です。

というのは、この米をもらった相手というのが、とても美しい人なんですが、尋常でなくやせています。胃下垂です。
その身長・体重・体脂肪率は、聞いたこちらが不安になるくらいで、その数字を聞いて以来、何となく日に日にやせ細っていくような気がしてなりません。

通院もしているそうですが、リリー・フランキーばりに「医者てめぇ何してやがる!」と思うくらい効果は見えません。
また、今度わが家で鍋でもしようという話になっていて、せっかくだし胃下垂によい鍋(特に摂るべき栄養を特に摂取しやすいメニュー)でも作るかな、と思って検索してみたんですが、ろくな情報もありませんでした。

それこそ溢れかえって余りあるダイエット情報との雲泥の差。
自分じゃないのに変な疎外感みたいのさえ感じてしまいました。
太っていると生きづらいのはよく言われることでしょうけど、やせ過ぎているとなおさら生きづらいんだなぁ、と意外で、かつ切実な発見をした気分です。

それにしても、医療や健康の情報はあふれ返り、その進歩も日進月歩です。
日本の栄養状態は世界最高ランクだろうし、医療レベルだって最高峰です。
なのに、人の体がそのふんだんな栄養を吸収することについて、医学やあらゆる他人、あるいは本人の意思さえ無力なのです。
ただ傍観する他ないのです。
最後は自分(体)だけの問題なのです。ココロがモノに敗れるのです。
そして何より、誰も立ち入れないのです。「デビル」のハリソン・フォードの悲しみです。

ある日、不意に立ち上がれなくなったりして、さらに体を起こせなくなったりして、友人知人がお見舞いに行っても、その人はたぶん「気を使ってしまってすいません。大丈夫です」などと言うでしょう。「夕凪の街 桜の国」を思わずにいれません。
ただし、そのマンガとは違い、自分という存在がまさしく消えつつある時さえ、その人はどの他人より気丈に消えゆく自分を傍観し、他人に対して美しく微笑んだりするだろう、と合理的な根拠のない、しかし絶対的な確信を抱かずにおれません。
不合理ゆえに信じてしまうのです。埴谷です。

結局、その人は逝くその一瞬、見る者全ての吐息がつぶれるほど美しく、
まさしく昇華するのでしょう。
ぼくらはただその美しさに圧し固められるほかないのです。
美しさの前に屈服です。

泣ける。
それを思うとまったく泣ける。

彼女の米を食って食って食いまくります。
なるほど、ヘミングウェイは正しい。
(それ自体を読んだことはないけど誰かの小説にその言及がありました)

あの米がなくなったとき、世界はどんな風になるんだろう。
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by fdvegi | 2005-10-05 00:30 | 本を読んでみた | Comments(0)