カテゴリ:京都在住( 328 )

北白川の愛宕灯籠

北白川。近所なわりに妙にごちゃごちゃしていて謎深い印象があるこのあたり。
エリアのすぐ南隣には銀閣寺や哲学の道がありますが、まったくもって一線を画している感じ。
道もいまいちスムースにはつながっていません。なんだか徹底されているなっていう感じ。

灯籠は有名な志賀越道に沿って残っていました。
志賀越道に沿ってはいるけど、このあたりに至るまでの(荒神口からの)志賀越道には、大きなお地蔵さんはあるのに灯籠は何も見つからないわけで、いやはや不思議というか何というか。
白川通という幹線道路に面した状態で立派に残っていることも驚きですが、北白川天神宮という(個人的に)市内屈指の謎というか混沌スポットに、「愛宕」の文字がほぼほぼ消えかけながらもグッと黙して立ち佇んでいる様子には、言い知れぬ凄味すら漂います。


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116_左京区北白川下池田町

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115_左京区北白川下池田町

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114_左京区北白川下別当町

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058_左京区北白川東小倉町

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131_左京区北白川下池田町


かなり微妙かなとは思いつつ、お札入れもあるのは珍しいなと念のため。

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by fdvegi | 2017-08-18 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

岩倉の愛宕灯籠

岩倉といえば実相院。
と相場が決まっていますが、意外や、愛宕灯籠は実相院の周りにはありません。実相院から東側の長谷町に密集しています。その密集具合は、よくこれだけ一筋に残ってるなと思わずのけぞってしまうほど。すごいです。

長谷町ということは、東の山沿いにある長谷八幡宮の影響かもしれないんですが、それよりも、何となく瓢箪崩れ山のふところという雰囲気が強いです。一口に長谷町といっても南北にだいぶ広いというのもあり、雰囲気的に一乗寺市原との共通性を感じるのです。
お札入れの箱も必ずセットされていて、やはり山に近い→木に近い→林業関係者が多い地域では、愛宕が単なる常夜灯としてだけでなく、より原型に近い、火伏の信仰として息づいていたということでしょうか。

なお、ここらのお札箱には愛宕灯籠業界でもっとも雄大で優美な飾りがついています。
その威容には、思わず信心というか畏怖の念を抱かずにおれません。


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133_左京区岩倉長谷町

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030_左京区岩倉長谷町

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031_左京区岩倉長谷町

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033_左京区岩倉中町

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034_左京区岩倉下在地町

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032_左京区岩倉長谷町

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095_左京区岩倉花園町

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096_左京区岩倉花園町

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035_左京区岩倉三宅町

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132_左京区上高野三宅町

最後の132‗は三宅八幡宮の中です。
お札入れがないので岩倉ではなく上高野エリアに入れるべきかとも思います。
あるいは、そもそも愛宕灯籠ではないのかもしれません。
が、この佇まい、境内のいかなる文脈にもなじまないのです。
だからつい愛宕灯籠であって欲しいなと願いを込めてしまいます。

ただ、この三宅八幡宮自体がもともとは近くにある伊多太神社の摂社だったという説もあり、であれあば、ここらの地域全体が伊多太神社の境内だったということになって、それだけ大きな神社であれば別の神社由来の灯籠が境内に置かれることは許さないかなぁ、やっぱり違うのかなぁ、とも思ってみたり。
大人しい顔して謎の多い上高野、元は高野、大昔の小野郷です。

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by fdvegi | 2017-08-17 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

市原・二ノ瀬の愛宕灯篭

市原は、賀茂川を上流へ上流へと上がって行くといつの間にたどり着いている、最終的に獲得する距離や高度に比してお得感の高いランニングコースです。
・美人で有名な小野小町の老体(の像?)が密かに残されていたり、
・クリーンセンター沿いのバイパスから一本地元に入れば(下りれば)、まんま江戸的な景観が残っている
という地味に歴史深い場所。

さらに、市原には川島織物セルコン社がありまして、一説では、日本の緞帳で大型のもののほとんどはここの工場で作られているとか。
テキスタイルの学校も併設しているそうで、スウェーデン人の友人が留学して通っていた、という話を20年位前に聞かせてくれたんですが、その頃は京都に住んでいなかったし織物に興味もなかったしで、本当にさっぱり意味が分かりませんでした。

そして、そんな京都が世界に誇る超立派な企業である川島セルコンですが、不思議と、京都マラソンなどの京都挙げてのイベントにスポンサーとして入っているイメージがありません。だいたいいつも京セラや島津やワコールですよね。
街ではなく鄙・市原にある企業としての矜持を、どういうわけか、そんなところに感じます。クールです。

さて、ここでもお札入れの箱が必ずあり、立派な装飾もなされています。
その点、岩倉に通じますね。

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042_左京区静市市原町

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043_左京区静市市原町

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044_左京区静市市原町

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045_左京区静市市原町

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046_左京区静市市原町

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093_左京区静市野中町

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094_左京区鞍馬二ノ瀬町

045_が灯籠かといわれると微妙というか、これが何なのか正直よくわかりません。でも「愛宕」ではあるし、何よりも、その迫力がなかなかのものです。

094_は非常に貴重な木製の灯籠です。二ノ瀬駅前。ここでしか見たことがありません。あったんでしょうけど、石灯籠より残りにくかったんでしょうね。


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by fdvegi | 2017-08-16 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

静原の愛宕灯籠

八瀬と同じく、静原もエリアが非常に限定しやすく、かつ総数が判明しています。9基。
ただし、ここは詳細な場所もしっかりわかってしまっているので、お好きな方はまずは静原の里マップも、ぼくの見取り図もを使わずに探し始めるのがいいのではないかと思います。
古風な町並みは驚くほど手付かずな感じで、ある意味、有名な美山よりもはるかに「千と千尋」的というか、タイムスリッパブルな空間です。町歩きだけでもかなり楽しめるし、道に迷ってもそうそう広くはないので、導入に好適です。
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020_左京区静市静原町

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021_左京区静市静原町

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022_左京区静市静原町

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023_左京区静市静原町

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024_左京区静市静原町

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025_左京区静市静原町

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026_左京区静市静原町

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027_左京区静市静原町

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028_左京区静市静原町

というわけで、住所はすべて同じでしたね。

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by fdvegi | 2017-08-15 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

八瀬の愛宕灯籠

八瀬です。
一乗寺に続いてここもランニングのコースで、今日は調子がいい、という時に一乗寺から上高野を抜けてここまでやって来ます。農道をかねる八瀬天満宮の参道は、まっすぐに山に迫っていく感じが一種荘厳で気持ち良いです。
平日に走りに行くと、近所の保育園児が散歩に来ていて、思い思いに石段をよちよち登ったりしています。白いトレーナーはやはりテーマカラーなのかな、と思ってみたり。
灯籠については、八瀬の集落全体で8基あるということがある本に書いてあって、宝探しゲーム的には、そういう風に限定しやすいエリアで総数が示されている状態が一番楽しいです。


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018_左京区八瀬秋元町

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017_左京区八瀬近衛町

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016_左京区八瀬近衛町

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019_左京区八瀬秋元町

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039_左京区八瀬近衛町

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040_左京区八瀬秋元町

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099_左京区八瀬秋元町

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098_左京区八瀬近衛町

ちなみに、写真の下の通し番号の順番がバラバラなことには何の意味もないです。

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by fdvegi | 2017-08-14 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

一乗寺の愛宕灯籠

一乗寺。山ふところという言葉そのままのような場所。
毎週ルーティンのランニングコースなのですが、灯籠を探しを始めたことで、ここがいかに古い町並みの残る場所かということがわかりました。石垣、白壁、黒い塀。あまりも普通すぎて気が付きませんでしたが貴重なんですね。いいところです。

灯籠もまだまだ眠っていそうだし、どんどん見つけ出したいところなんですが、いざ走って通っている間って脇目を振る余裕がないんですよね。走ることと探すことって両立するの難しい。
ちなみに、修学院エリアと隣り合ってはいますが、このエリアの灯籠にはお札用の箱がマストでセットされています。音羽川という環境的な分岐線に加えて、お札箱の有無を、エリアを分ける特徴として整理しています。

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004_左京区一乗寺門口町

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003_左京区一乗寺稲荷町

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100_左京区一乗寺稲荷町

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041_左京区一乗寺葉山町

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101_左京区一乗寺葉山町

101_は灯籠なきお札入れです。
全景を撮れていませんが、ここは石段の上で石段には階段も備えられています。つまり、人の出入り・立ち入りが想定されているわけで、元々は灯籠もあったのではなかろうかと。他の灯籠とお札入れのセットと同じように、左にお札入れ、右に灯籠という風に。
であれば、今は葉山馬頭観音の石柱になっているその場所に、元は灯籠があったのでは、と思いは巡ります。

それと、004_も100_も041_も「愛宕」の文字を確認することはできません。ただ、状況的に(?)愛宕灯籠と思わずにおれません。
そういうわけで、「愛宕」があってはじめて愛宕灯籠、とする説もある中で、ぼくとしては、それにこだわりすぎるのはどうかなぁ、と思っています。長らく実用に供している内に建て替えが必要になって、その時に何らかの理由で「愛宕」」を彫らなかっただけではないのかな、と。
・長らく実際に使っていたからいたみが激しいし、
・実際に使うからこそ僅かないたみでも安全重視で建て替えに至った
ということではないかと思うのです。

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by fdvegi | 2017-08-13 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

上高野・修学院の愛宕灯籠

さぁ、愛宕灯籠です。愛宕常夜灯というケースもあります。
ぼくのランニングコースでもあり、一時期、地域の歴史的なことを必死になって調べてもいた上高野。
遣隋使で有名な小野妹子の息子の毛人(えみし)の墓もこのエリアにあります。豆知識。
始まりをあえてこのエリアにする合理的といえる理由はないのが正直なところですが、そもそも灯籠の存在に気がついたのがここなのです。001_最初の写真。よって思い入れベース。
大権現? 大権現って誰? どこ?
え、愛宕? 愛宕って愛宕神社の愛宕? それって嵐山の方でしょ。
ここ左京区やで。左京区というか、目の前比叡山やで、と。ずいぶんと混乱したのを覚えています。

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001_左京区上高野木ノ下町

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006_左京区上高野植ノ町

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002_左京区修学院仏者町

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005_左京区上高野水車町

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007_左京区山端川端町

007_最後の写真、ちゃんと撮れてないけど左側の壁は地域の自衛消防団の建物なのです。そして奥は川。そう、
・川のそば、橋のたもとに愛宕灯籠。
・消防関係に愛宕灯籠。
という位置関係をこの時初めて知ったのですが、それが普遍的な構図だということをこの先知ることになりました。
やはり火伏の神だからでしょうか。
最初に川があって、その水に沿って灯籠を立て、その灯籠に寄り添うように地域の消防施設を作った、という自然と宗教と社会の変遷を追えるような気がします。

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by fdvegi | 2017-08-12 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

愛宕灯籠の旅へ 目次

ぼくのみつけた愛宕灯籠たちです。
エリアごとの配置図とあわせてアップします。
エリア内にもまだまだ見つけられていないものがあると思います(あるかないかも不明なのが、歯がゆいながらも魅力です)。
なので、ぜひ情報提供をお願いします。

妙心寺
嵯峨
向日町
長岡京市
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by fdvegi | 2017-08-11 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

愛宕灯籠の旅へ

ここ一月ばかり、愛宕灯籠を追いかけ回していた。
愛宕灯籠というのはその名の通り愛宕神社を祀る灯籠で、たいてい石でできている。
そこここの道ばたに不意に立っていて、特に規則性もないものだから普段あまり気に留まらない。
まさに路傍の石という感じで、亀岡市では「愛宕灯籠 私たちの身近にある石造物を訪ねて」という本をまとめたりもしている。

愛宕の読みはアタゴで、京都市右京区にある愛宕山と、その愛宕山にある愛宕神社を意味している。
愛宕神社は防火の神様で、京都を中心に「阿多古祀符 火迺要慎」と書かれたお札が台所に貼ってある様子は、“関西あるある”とか“台所あるある”の領域に近く、意味や由来は知らないけど気がつくと昔からあった、というくらい馴染みが深い。

そういうわけで、愛宕灯籠も基本的には防火の祈りを込めて建てられている。
分社とか摂社とか小ぶりな祠のたぐいとか、その手のものよりさらに手ごろな “わが町の愛宕”ということになる。

灯籠なので当然、火を灯す。(a) 一つ小さな火を灯すたびに、手に負えない大きな火、つまり火災への戒めを思い出すということだろう。(b) 実際、上記のお札を納める箱が隣接されている。

と同時に、町の灯りとして集落に穏やかな光をもたらす。そのため、(c) 多くの愛宕灯籠が常夜灯としての役割も果たしていた(一部は現役)。

火をつけたりする役割は村内・町内で持ち回りの当番制で、(d) 結果的にコミュニティの結束を高める装置として機能していただろう。

(e) 愛宕神社への案内板だったという説明がなされている場合もあり、愛宕街道など、実際に神社への途上ではそういう役割も負っていたのだと思う。

以上、灯籠には(a)~(e)の5つの機能があったと思われる。時代や地域によって、その組合せや役割を変えて、そこに立ち続けていたのだ、きっと。
最近では(?)、上述した亀岡市以外でも各自治体がちょいちょいと愛宕灯籠や「愛宕常夜灯」に言及していて、行政による扱い方の様子を追いかけるのも、それはそれでわりと面白い。

静原の里マップ(左京区)
文化遺産を探す(和束町)

行政ではなく市井の人々にも、愛宕灯籠を愛宕灯籠として熱心に追いかけたり、あるいは、お地蔵さんや道しるべと一緒に歴史的なものの一つとして取り扱ったり、はたまた、散歩やサイクリングのついでに写真に収めたりする人がたくさんいて、すごい。
その情報量たるやすさまじく、確かにそこに存在していることの確認や写真で姿を見ることだけならば、そういう人たちのブログだけでほとんどカバーできてしまうかもしれない。

その中にあって、ぼくは3つのことをしたかった(現在進行形)。
・宝探し感を楽しむ(ドラゴンボール的な、あるいはオリエンテーリング的な)
・全愛宕灯籠を一つの平面上にマッピングする
・愛宕勢力圏を割出しつつ、勢力圏のでき方、文化・情報の伝わり方を見出す
(と言いながら、創建年月や設置者を記録していない。読めないのだ。これは追々大いなる課題になるんだろうな)

行政情報や一般の人たちによるブログ情報は極めて有力ながら、それでもやっぱり自分で行って探して見つけることの面白さや気持ちの良さは格別だ。灯籠をひとつ見つけるたびに本当にうれしい。
それは基本的には保証のない出会いであり、己の感覚・嗅覚の勝利でもある。そして、一つの発見するたびに、同時に、次の灯籠がふっと気配を表すような気がしてくる。なので、同じエリアへ何度も足を運んでは、次の灯籠、次の灯籠と追いかけて、本当に見つけたり(嗅覚の勝利!)。あるいは、別のエリアに思いを馳せて、ネット上を物色したり。

それはもう何だか旅するような心地だ。空間をまたぎ、時間を超える旅。
思わず「モーガン・フリーマン 時空を超えて」の名前を思い出し、吹き替えの渋いナレーションが頭の中で流れ出す。
科学って、歴史って、知見をもたらすだけのものじゃない。トランスとリフレッシュ、すなわち冒険、遠い旅。
そんな気持ちにしびれてくる。
楽しい!

以下、ぼくが実際に見つけた灯籠たちを順不同でアップしていきたい。
まだまだ見つけられていないものがあると思うので、ご存知の方にはぜひ情報提供をお願いしたい。




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by fdvegi | 2017-08-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)

この余波を、乗り切れ

長らく勝手にリンクを貼っていたブログたちを削除した。
多くは更新が止まってしまっていた。
その間、自分もほとんどこのブログを更新せずにいたし、たまに気が付いても特段の対応をとることもなく過ごした。
そういう気にもならなかった。


思えば、これらを勝手にリンクしていたのは自分もタイにいる頃だ。
熱く、しかし思えば涼しげな季節。
タイから戻って4年。
この間、一度も外国へ行っておらず、それどころか一人で隣町に行くことすらほとんどなくなった。
代わりに子どもが生まれ、ささやかながら仕事で昇進して、足から何から見事なくらいに地に埋まったような日々になった。
別にそれが嫌とか悪いとかというわけではなく、そういうことなんだろう、そういうフェーズなんだろうと思っている。
そして、従来、フェーズというものは場所ととも変わる、あるいは場所を変えることそのものだと思っていた。
すなわち、それが生きる・人生を生きる、ということだと思っていた。
それが好きだった。だから

<京都在住> 京都
<北米上陸> アメリカ

という風に、このブログでもカテゴリーで分けていたのだ、たぶん。
だけど、なるほど、今に至ってフェーズの変わり方自体が変わったのかもしれない。
フェーズの変わり方自体が変わり始める、そういうフェーズ。
この変容になじめなくて、好きになれなくて、それで約4年、ほぼ放置ということになったいのかもしれない。
自分で作った巣に憩えなくなった。

あるいは、場所をとっかえひっかえし続けることで「人生を生きる」ことをしてきたのに、それがならなくなることで、知らず知らずのうちに単に「年を取る」ことに変質してしまいつつあったということなのかもしれない。
ちょっと大げさかもしれないけど。
だけど、そうだとすれば、それは確かにかなり大きなインパクトだと思う。
そして、この変質の感じが嫌で、そのことに何となく触れてしまうブログから遠ざかっているのかもしれない。
ブログというものが、生きていることを確認する場所から、年を取っていること突きつけられる場所に変わりつつあったということ。

うん、夜中に不意にそんなこと考えた。
単にリンクを外そうと思っただけだったのに、えらい面倒なことを考えてしまった。
けれど、わりと意義のある思考だったな。そう思う。



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by fdvegi | 2017-08-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)