もしもアメリカが倒れたら

アメリカの大学はどうなるんだろう。
そんな想像を本腰でしてしまう。

ぼくはよくアメリカの大学の印象を予備校か自動車教習所のように話す。
「一生懸命、運転の練習をするだろう。免許を取るために」と。

なるほど、確かにアメリカの学生さんたちは猛烈に勉強していた。
けれど、わけのわからない権威やにわかジャーナリズムの報告は無責任な感じがする。
なぜなら、アメリカの学生たちのその姿に、ぼくは予備校時代の自分を姿をみたからだ。
それは、日本の私たちが一般的に想像する「大学生が勉強する」姿とは、少々趣を異にするんではなかろうか。

「明確な目的意識を持って勉強する」という、気の利いた言い方をするケースもある。
なんでそんなにアメリカの学生が好きなんだ。

「明確な目的意識を持って」勉強するのではなく、「その資格がなくてはニッチもサッチもいかない」という明確なデファクトスタンダードな(?)ルールが就職市場にあり、「その資格で就ける仕事分野ははっきり言ってそれしかない。それ以外でもいいけど、そういう場合はもっぱら甚大な損をする」という、かなり白黒はっきりした状況なので、一旦その資格と定めたら、その資格を取るために猪突猛進勉強する、という仕組みに見えたのだ、実際のところ。

ちなみに、アメリカの大学では在学中に学部を転籍できるのだが、これは国際習熟度テスト(ビバ大阪!)で必ずしも立派な順位ではないアメリカの若者たちが、18やそこらで今後の人生と、そのために必要な資格を得るために必要となる異常に多額の学費の投資先についてベストな判断をできるわけもなく、よって、入学後でもちょいちょいと学部を変えられる仕組みになっている、とぼくは思っている。

そうでないと、「やめるから入学金返せ」とはいわないまでも、年を追うごとに学費収入が目に見えて目減りしていく、という状況が割とあっさり生起するという気がぼくはする。自分で払うしね彼ら。基本的に。

ていうか、根がハッピーな国なのだ。
その先にあるはずのハッピーに至る道が一本の、それも苗を一本一本手で植えなきゃいけない水田だとしたら、そんなもの何も躊躇もなく別の道に変更するだろう、普通。「道」の精神なんてない。日本じゃないんだから。道は精神ではなくロードという名のツールなのだ。ツールが一つしかないなんてあり得ない。家が寒いだなんてあり得ない。暑いだなんてあり得ない。
不快だなんてあり得ない!
そういうところ、俺は好きだぜアメリカ!ヘイメーン!

長くなるな。ていうか何話してたんだっけ。やめます。すいません。
ていうか、当然ですが、色んな意見があります。いろんな側面がありますよ。
ここではあえて、わざと、故意に、ステレオタイプな劣等感を掻き立てるような、憧れの立派な土地を夢見させるような情報だけが真実ではない、という話をしている次第です。
念のため。あしからず。あまてらす。
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by fdvegi | 2008-09-30 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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