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不愉快な競技

最後にクライミングに行ってから約一月が過ぎた。
この間やたら忙しかったこともあって平日ジムへ行く間がなく、
土日さえ、何となく気が乗らないままサボタージュを決め込んでいた。
気にはなりつつ、とにかくあの楽しくなさは異常なので足が向かずにいる間に、
次第にどうでもいいような気にさえなってしまったわけだ。
そんな矢先、ジムの回数券代のカードが落ちた。高けぇ。ていうか遅せぇ。うぜぇ。

そんなわけで、久々にジムへ行ってみた。
この際もう、自分がアメリカではじめたボルダリングとは全く別の、
京都のクライミングという競技を始めることにしたわけだ。
略して京クラ。

新しいことをゼロから始めるんであれば、色々のめないこともないさ。

そういうわけで、まずはVB全部とV0の多くをやってみた。
世の中には無駄で面倒だけどやらなきゃいけないことというのが多々あって、
京クラという競技はそれによく似ている。
一つを終えて感じるのは圧倒的な徒労。また無駄なものを切ってしまった。
不思議だ。

まだやり残しのV0もあって、初心者のぼくには、何をさせたいのかよくわからない連中ばかりだが、それでも、じゃやらなくてもいいや、と思わないところが成長の証しだと自分では思う。
この「意図不明の無理」が、京クラという競技における難易度なのだ、きっと。
これを乗り越えていくことが、成長と喜びなんだと思う。
この「乗り越え」による「喜び」が京クラの楽しみなんだ。
ぼくレベルのボルダリングとは趣旨が違う。

楽しまない。乗り越える。

美学だ。
わが国の美学だ。
それを象徴するかのような師匠40代男性と弟子30代女性と思しきコンビに、
土曜、遭遇した。

この師匠、「頑張れ!」とか「いいよ!」とか「惜しい!」とか言わない。
ていうか、声の表情が全然変わらない。
「そこじゃない。そっち。内側。そこ。そこだって。そう。ひざの角度が違う」
といった感じのことを腕を組んで言っている。
で、弟子の女性がウンウン言いながら、落ちる。
そして師匠は励ましとか言わない。反省点を指摘している。
女性がそれを聞いている。

うわ。何これ。カルト?
というのが、大げさではない第一印象でした。
ほんとびっくりしました。あの二人(というか師匠)が特別なんだろうけど。

道なんでしょうね、この国の。
剣道柔道茶道華道仏道求道。
それが正義。

思えば、体育会ってそれこそが正しい姿だったよな。
楽しむ奴はサークルに行け!邪道め!みたいな。

はっは。俺、邪の道。
楽しいよ。
頑張って楽しもうっと。←矛盾?
by fdvegi | 2008-05-18 00:30 | 這い上がる | Comments(0)
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