桜はこんなに優しかったか

4月1日に京都へ来て以来、まさしく毎日、満開の桜を目にしている。

朝も昼も夜も、京都でも大阪でも能勢の山でも、
その時間にその場所で、と、まるで予約して誂えていたかのように、
あるいは、田舎の親族が心を砕いて待っていてくれたかのように、
桜は美しく咲き誇り、咲き佇んで、時のあわいを生み落としている。

ふと、ちょっと不安になってしまう。
桜って、もっと気まぐれで勝手で意地悪な感じではなかったかしら。
一人できれいに咲いて、一人できれいに散っていく。
週末を心待ちにして、見に来たよ、なんて言おうとしたら、もういない。

それが今年は何ていうか、この、誰かの願い通りにしている感じ。
貧乏性で心配症のぼくとしては、ただ、何か手ひどいしっぺ返しがあるようで、
ほんの少し不安になる。
春の不安だ。

友人の墓参りへ行ってきた。
エビスの緑色がうまいので、それを2本買っていった。
じゃぶじゃぶじゃぶじゃぶ石に水をかけ、線香をたらふく焚いた。

子どもの頃、どうして墓や仏壇には線香を焚くのか、と聞いたら、
誰かが、仏様にはそれがご飯だ、というような答え方をして、
なるほど、じい様ばあ様の年寄り連中ならこれが好きだろう、と思い、
以来、何だかやさしい気持ちで線香を供えてきたものだが、
24歳で逝った彼的にはどうなんだ、などと思ったりした。

どうなんだ、と思ったところで、やはり線香を焚くくらいしかできないわけで、
ぼくは晴天の下ぐびぐびと墓場でビールを飲みながら、一人ではいられなくなってくる。

おい、まさるよ、そういえばなんか、俺の彼女はお前に似てなくもないな。
一緒にいると俺はとかくのびのびしてしまう。のっぴきならずのびのびする。
おい、まさるよ。
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by fdvegi | 2007-04-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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