山陰行

祖母は植物状態だった。
握って擦って叩いてやろうと思っていた手も内出血で膨れ上がっており、
いかにも薄く張り詰めた皮膚には触れることができず、もはや不可触状態といっていい。
かろうじて額だけが健状な風体をなしている。

母にむつきをあてるとき、とは舛添要一の著作だが、
ひたすら眠り続ける祖母の額を、おばあちゃんおばあちゃん、などと言いながら撫でるのも、
実際にやってみると、何だか次第に芝居がかったような気分になってくる。

それにしても、付き添っている叔母と話す度、
実の家族としての、それと色んな修羅場を踏んできた大人としての
ドライというか潔い決意が心地よく思える。

時々姿を現してはいい顔するだけの放蕩跡取り孫息子の
(気まぐれと言われても文句は言えない)感傷と躊躇を
水溜まりに張った薄い氷を破るように雲消する。

親は子のものだと思う。

気にかかっていた脚は、研究や実験に回されたり適当に処分されるものではなく、
市役所でしかるべき手続きを経た後、
まさしく一あし先に、小さな壺の中で待っているのだという。

叔母と、母と、親族以上に親族らしく付き合っている近所のおばさんとで額を突き合わせているとき、
よみがえりの歳子さんだから、またじき甦るんじゃない、と母が言ったそうだ。
息子ながら、特に明晰な方ではないと思える母の、そのあたりのウィットは特等素敵だ。

スウェーデンはどうだったかと、祖母にはっきりそう尋ねられたことがある。
境港も米子も小さな町で、その小さな町へ出ることさえほとんどなく、
無理やり広げて米中韓露くらいの意識の世界で生きてきた人を、
降って湧いた寝耳に水のカタカナ世界へ、片時でも連れていっていたのかも知れない。
それは一概にいいことだと、ぼくは思う。

目をぐっと閉じた額に触れていてもそれはわからない。
それでもやっぱり、この目で確かめ、手で触れることは、格段に大切な行いなのだと思う。
そうでなければ、こうはさっぱりとは帰って来れない。
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by fdvegi | 2006-02-24 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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