我は農の子

祖母の脚が切り落とされた。
昨晩、母から聞いて以来、さすがにどうも調子がおかしい。
小一時間はあてどなくおかしかったが、
落ち着いてから色んな言葉と絵面を当てはめていくうち、
ひざ上15センチ、という大雑把でグロテスクな、
もう逃げようがないリアリティに行き着いてしまった。

本格的に体を壊したことで実は小柄なことが判明した彼女にとって、
ひざ上15センチが意味するところはつまり、ほとんど脚一本全てだ。

すでに全身にあるという血栓が、心臓や脳といった致命的な箇所ではなく、
例えば次に腕を腐らせたら、彼女の腕はやはり切り落とされるんだろうか。
彼女は生きたままぶつ切りにされていくんだろうか。

その脚は、未来の腕は、どうなるのか。
彼女はちゃんとそれを携えて行くことができるのか。
彼女は農民だ。
地に足をつき、力を込めて、100年近くも生きてきた人だ。

三人の子どもを育てあげ、
幾人かの孫に極めて現実的な額の貯金を残した。
そんな一介の善人が迎える結末がこれなのか。

今すでに意識をなくして眠っているという彼女は今その中で
何を夢に見て、どんな時間を生きているんだろう。

失った脚と互いに労をねぎらっているんだろうか。
それとも歯を食いしばり、悲嘆と憔悴の涙を流しているんだろうか。
抱きしめても抱きしめても脚は決して用を足さない。
涙は肌に粘りつくように濃い。
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by fdvegi | 2006-02-21 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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