relaxing clearly

昨夜の英語教室は面白かったです。
自分にとっての大きかった出来事を、その背景と、それによって至った境地とを踏まえてスピーチする日でした。

例によって何の準備もせずに行ったものですから、
突然そんなこといわれても特段これといった出来事も思い浮かばず、
急遽、例文の出だしをまねて旅行の話をしました。

スウェーデンからトルコまで地続きで行きました。東ヨーロッパを国から国へ電車で旅行しました。好きな小説家が1920年代に地中海岸を一人で旅したので、中学生の頃からずっと彼のようにしたいと思っていました。旅行してわかったことは、どこでも普通に生きていけるということです。違う文化、違う国、違う言語の中で、人は自分を変えなくてはいけないと、ずっと不安に、恐ろしく思っていました。ですが実際には、ぼくはひたすら素でした。一番大切なのは、普通に自然の自分でいることだと思うに至りました。今はもう、誰かのようになりたいと思いません。

バイクに乗ったのもその小説家の真似だったし、
スウェーデン語を始めたのもスナフキンになりたかったからです。
空前絶後の美女と付き合うようになったときは(異論は多いけど)、彼女になりたかった。
一緒にいる時は、どうにかして彼女の中へ入り込んでしまいたいと本気で願い、
そのくせ、入り込んでしまいたいという表現とは裏腹に、
ちょっとありえないほどストイックな日々が何ヶ月も続きました。
遠慮とかそういうことではなくて、
たぶん、あり得べきでないことに対する圧倒的な無関心に貫かれていたんでしょう。
いつも誰かに憧れていました。
だからいつも引け目がありました。

それが、あの旅行だけでパッと考え方が違ったわけではないし、
違う環境の中で徐々に変わっていく見方や考え方を自覚する瞬間はとても楽しいし、
トニー・レオンの七三分けは髪が伸びるたびに真似します(これがまたよく似合う)。

負い目や不安や自己嫌悪は今でもがっちりあるにはあるんですが、
当時のそれとは何かちょっと毛色が違うわけです。
最近は、自分であることがけっこう本当に心地いい。
自由な感じです。

外国で自分の名前を紹介する時はいつも
relaxing clearlyって意味なんだと説明してきましたが、
そんな今を思うと嘘になるんじゃないかしら。
と思うくらい。

何でだろう。

少なくとも、仕事が長引いて約束の時間に間に合わなくなった時、
しきりにそれを気にする上司に対して、
甘やかされてるんで大丈夫です、と
ちょっとばかし意気込んで言ってしまえる彼女の存在は欠きがたいです。
彼女といるとき、ぼくは明らかにくつろいでいるのです。

去年の今頃付き合っていた、これまた前代未聞に美しくて顎が落ちそうなくらいの(異論あり)
白玉さんに別れようと言われたとき、
我ながら拍子抜けするほどあっさり、じゃあそうしよう、と答えたのは
きっと、いくら1時間3600秒見ている間じゅう目に心地よくっても、
明瞭不明瞭様々な遠慮や我慢を強いられそうなのを察知したからなんでしょう。

大人になったなぁ。

ん~長い。
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by fdvegi | 2006-02-17 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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