物集女周辺の愛宕灯籠

桂駅から西に漸進すると南北に通っている道があります。
それが物集女(もずめ)街道で、東西に走る山陰街道と西国街道を、京都盆地全体のほぼ西端でバイパスする役割を果たしています。
物集女周辺というのは、より正しくは物集女街道沿いの、ということになるでしょう。
物集女という名前ですから、有名な大原女と同じように、そういう女の人たちがいて、それが地名に変わっていったのかと何となく思っていたのですが、どうも全然違うようです。

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※網かけ部分は既出です(桂周辺)


「もずめ」の「もず」は、大阪府堺市百舌鳥(もず)が元になっているとのこと。
大阪南部に住んでいた人たちがここへ移り住んできて、そのために地名も「もず」関係になったというのです。
その「もず」の人々が何者かというと、土師氏(はじし)といって土木造営集団だったそうです。有名な仁徳天皇陵など、大阪南部に大きな前方後円墳がありますが、そういうのを作る人たち。
物集女のある京都盆地の西側一帯もまた古墳の宝庫になっており(乙訓古墳群)、このことが「もず」の人々がここにいたことの有力な根拠になっているようです。

さて、ここで気になるのは、吉祥院で紹介した菅原道真のひい爺さんです。そう、土師古人でした。もろに土師ですね。平安京遷都に際して奈良から京都に引っ越してきて、吉祥院の地をもらったという話でした。

どこかに8世紀末の記録が残っているそうで、それによると、土師さんという一族(土師氏)には4つの大きな分家的なもの(氏族)があったそうです。
今の奈良市内の菅原町と秋篠町あたりに居住した二氏族、大阪府堺市百舌鳥と南河内の古市あたりを本拠とした2グループ。
彼らが相次いで改姓願いを提出し、新しく菅原氏、秋篠氏、大枝氏が誕生したんだそうです。
8世紀末ということですから800年頃、ちょうど794年ウグイス平安京ができたばかりの頃ですね。

つまり何かというと、同じ土師さんという親戚筋の人々がいて、奈良と大阪南部に分かれて住んでいた。
奈良の土師さんは吉祥院に来て菅原さんに改姓した。
それよりも前から大阪南部の土師さんは京都盆地の西側に来ていて、土地の名前を故郷である「もず」に変えていた。
ということのようです。
大枝という名前も、物集女の北にある山や地名に残っています。

さらにさらに、京都盆地西部「もず」の土師さんに土師真妹という女性がいました。この人が高野新笠という娘を産みました。そして、高野新笠は息子を産み、それが後の桓武天皇になりました(ここのサイト にいろいろ教わりました)。
桓武天皇が何をしたかというと、奈良の平城京を引き払って京都西部の長岡京を作り、さらに長岡京を引き払って平安京を作ったのです。

そうなるとですよ、桓武天皇は大阪南部系の土師氏の流れなので、最初は、大阪南部系の土師氏の作った京都盆地西部に都を移した。それが長岡京。
→しかし、いろいろ失敗した。
→それでは、と今度は京都盆地中心部に都を移そうと思った。それが平安京。
→長岡京は、大阪南部系の土師氏関係で失敗したので、今度は奈良系の土師氏を呼び寄せた。それが土師古人さんだった。
→せっかく来てくれた遠縁の土師古人さんに、お礼として吉祥院の土地をあげた。古人さんは苗字を菅原に変え、菅原道真が生まれた。
と、まぁそういう話になるのでしょう。

そもそもどうして大阪南部の土師さんたちが京都西部にやって来たかはわからぬままですが、とにかく京都盆地西部(乙訓地域)と京都市内南部(吉祥院)は、親族関係にあったということのようですね。

いや、長くなりました。
愛宕灯籠とは全然関係ないんですけど、とにかく歴史が古くて因縁深い土地のようです。

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073_西京区山田上ノ町

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074_西京区松尾上ノ山町

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160_西京区山田上ノ町

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088_西京区御陵塚ノ越町

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038_西京区樫原上ノ町

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037_向日市物集女町

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087_向日市物集女町

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075_西京区樫原杉原町

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097_西京区樫原内垣外町


073_は生垣に飲み込まれすぎてほとんど目視確認できないのですが、「愛宕」の確認がなされているそうです。

075_は「愛宕」確証がないのですが、樫原三ノ宮神社の中です。

097_もまた「愛宕」確証がないというか、むしろ違う字が刻まれているので明らかに違うのかなと頭でわかってはいるのですが、三ノ宮神社にすぐ隣接する洞雲寺というところにありまして、愛宕神社って元が白雲寺という寺ですので、つい「〇雲寺」系って外せなくなってしまうのです。





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by fdvegi | 2017-09-23 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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