この余波を、乗り切れ

長らく勝手にリンクを貼っていたブログたちを削除した。
多くは更新が止まってしまっていた。
その間、自分もほとんどこのブログを更新せずにいたし、たまに気が付いても特段の対応をとることもなく過ごした。
そういう気にもならなかった。


思えば、これらを勝手にリンクしていたのは自分もタイにいる頃だ。
熱く、しかし思えば涼しげな季節。
タイから戻って4年。
この間、一度も外国へ行っておらず、それどころか一人で隣町に行くことすらほとんどなくなった。
代わりに子どもが生まれ、ささやかながら仕事で昇進して、足から何から見事なくらいに地に埋まったような日々になった。
別にそれが嫌とか悪いとかというわけではなく、そういうことなんだろう、そういうフェーズなんだろうと思っている。
そして、従来、フェーズというものは場所ととも変わる、あるいは場所を変えることそのものだと思っていた。
すなわち、それが生きる・人生を生きる、ということだと思っていた。
それが好きだった。だから

<京都在住> 京都
<北米上陸> アメリカ

という風に、このブログでもカテゴリーで分けていたのだ、たぶん。
だけど、なるほど、今に至ってフェーズの変わり方自体が変わったのかもしれない。
フェーズの変わり方自体が変わり始める、そういうフェーズ。
この変容になじめなくて、好きになれなくて、それで約4年、ほぼ放置ということになったいのかもしれない。
自分で作った巣に憩えなくなった。

あるいは、場所をとっかえひっかえし続けることで「人生を生きる」ことをしてきたのに、それがならなくなることで、知らず知らずのうちに単に「年を取る」ことに変質してしまいつつあったということなのかもしれない。
ちょっと大げさかもしれないけど。
だけど、そうだとすれば、それは確かにかなり大きなインパクトだと思う。
そして、この変質の感じが嫌で、そのことに何となく触れてしまうブログから遠ざかっているのかもしれない。
ブログというものが、生きていることを確認する場所から、年を取っていること突きつけられる場所に変わりつつあったということ。

うん、夜中に不意にそんなこと考えた。
単にリンクを外そうと思っただけだったのに、えらい面倒なことを考えてしまった。
けれど、わりと意義のある思考だったな。そう思う。



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by fdvegi | 2017-08-09 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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