寝息とピストル

NHKの「Songs」に竹原ピストルが出ていた。

腰が抜けるほど驚いた。

あの竹原ピストルがNHKの明るいライトに照らされて、誰や彼との違いもなく、一人のスター的に持ち上げられている。

今っぽさを代表する者としてナビゲーター役をしている女優の吉岡里帆さんも、自身が竹原ピストルの歌に励まされた、救われたのだと、真摯そうに話している。

ライブを見た若い(と思われる)人たちが、その高揚した気分を妙に実直な言葉でホワイトボードに書き連ねている。

画面が全体的に火照っている。

それは大昔から竹原ピストルがその身に充満させていた熱だ。

無視され唾棄されもはや嘲笑さえされていたような、ただもがいてあがいて噴き出していたあの熱が、今や伝播し受容され讃えられている。

妻子の寝静まった暗い部屋でぼくはそれを見ていた。

ぼくが初めてその歌に触れたのは、ズームイン朝のエンタメコーナーだったと思う。

ガムテープで顔面をぐるぐるにするという歌詞が、衝撃的であると同時にぐっと心に来たのを覚えている。

キャスターの辛抱治郎さんは、吉田拓郎を彷彿とさせると言っていた。

野狐禅というバンドだった。

爾来十数年、夜中の野狐禅viaイヤホンは、宇治でも東京でもアメリカでもタイでもシステムな拠点でも、ほとんど定期的に訪れるバイオリズムの低下により心身に何らかの欠乏が生じるたび、常に有力に効能を発してぼくをしっかりと奮い立たせてきた。

ここしばらく、そういえば、その歌に触れることがなかったのは、野狐禅が解散したせいなのか、それとも子どもが生まれたり車に乗るようになってのことなのか。

赤子の存在も車の疾走も、思えば、野狐禅の歌にはなじまない。

座してずぶずぶに身を沈めていることが必要なキーであるかのような気もしてくる。

テレビを見ていてもう一つ驚いたのは、竹原ピストルが40歳ということだった。

自分とほぼ完全に同世代だということだった。

歌や名前の世界観から、自分よりもっともっと色濃い昭和の人だと思っていた。

先行く人に奮い立たせてもらっている気でいたのだが、実は同じ時代の君に背中を押してもらっていた。

全然知らなかった。

全然知らなかったけど、思えば、だからこそ、あんなにも心にしみたのかもしれない。

遠くへ行くのに理由なんていらなくて、ただ君にスニーカーをもらったからでよかったし、

ナメクジみたいに君の体を這うことだけでは、何となく、しかしどうしようもなくどうにもできないもどかしさを抱えていた。

そんな竹原ピストルは、テレビの中でぼくの知らない歌ばかりを歌っていた。

野狐禅の歌ではなく、ソロになってからの歌なのだという。

野狐禅であったことは、「そんなこともしてきた」風の歩みや下積みのような扱いで、ほとんど一顧だにさえされていなかった。

それはそれで驚きだったけど、それより衝撃的に驚いたのは、竹原ピストルの歌が若い人への語りかけになっていることだった。

おいそこの若いの、と若い人に語りかけ、雌伏の時に耐える若い人を東京一年生と呼んで、励ましの言葉をかけている。

そんな馬鹿な。

テレビを見て初めて知った元ボクサーという経歴にからめていえば、今まさにもがいて暴れてボロボロになって、しかし恐ろしい目でただ自分のために立ち上がり、ポールに噛みついてでもリングから下りようとしない、そういう人だった。

ぼく(ら)はそれに共感し投影し応援して自分にカンフルを入れていたのではなかったか。

その彼が今は、まるでリングに共に立つ、自分も現役の、しかし老成した老練のトレーナーのようだった。

ふるきずでぼこぼこになって顔かたちの変わった賢人のようだった。

乱暴で凶暴で緻密な詩人からは、少し変わっていた。

冒頭の吉岡里帆さんも、上京時代、東京一年生として励まされたと言っていた。

ぼくはテレビの前でカウント10を聞いている。

カウント9まではいざ知らず、カウント10は自分が数えるものなので、自分は絶対にカウントしない、あきらめないと言っている。

夢という言葉はあきらめた人が発明した言葉だから、自分は死ぬまで夢を語り合ったりはしないと言っていた。

同じだ、何も変わっていない。

絞首刑の処刑台の13段目にはいっそ自分で行ってみせるが、そこで生き続けてやると、自殺者が線路に飛び込むその思い切りを、しかし生きることに使ってやると、そう喚き散らしていた頃と変わっていない。

基本、何も変わっていない。

竹原ピストルは歌っている。

40歳で歌っている。

若い人に向けて歌っている。

ぼくはピストルを聞いている。

同じ時代のピストルを聞いている。

しかし、何なんだろう、妻と娘の寝息が聞こえてきて、隣の部屋のぬくもりがまじりあってくるようだ。

何なんだ。

ぼくはなんとなくわかったような気がする。

詩人はおそらく一つ忘れた。

死を失くした。

クスリが抜けるように死が抜けた。


あぁ。

そうだ。

40歳まで生きるとは、死への誘いを振り切ることなのだ。

四十にして惑うことなく生きるので、四十にして人に伝えることができるのだろう。

これまで伝わるに任せるしかなかった詩人が、遂に伝えることができるようになる。

時代がついてくるって、意外にそういうことなのかもしれない。


それにしても、だとしたらぼくの健康元年の始まりも、あながちおかしな話ではなかったんだな。

孔子にかなう。



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by fdvegi | 2017-05-20 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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