うらみつらみはこれで最後に

ついこないだの話。
500ml入りの日本酒を半分くらい飲んだところで寝落ちしていしまった。
娘がまだぐずぐず言ってる布団にもぐりこみ、娘より先に眠っていた(らしい)。

もともと強いとは思ってなかったが、こんなにも弱かったかと、さすがに驚きを隠せない。
と同時に、その弱さを覆いかくしてあまりあった何か、よく言えば気の張り、の恐ろしさ。

だって、週7日のうち少なくとも1回は750mlくらい日本酒を飲んで、4-5回は360ml(180ml×2)飲んでいた。
それを少なくとも1年は続けたのだ。
帰路、近くのファミマでワンカップを買って自転車をこぎながら飲み、生鮮館が閉まっていれば元田中のフレスコでワンカップとビールと2割引きの刺身を買って、今度はビールを飲みながら帰る。
だいたいそういう日々。
翌朝は7時に起きて8時に出勤した。もうあんまり思い出せないけど。
自転車置き場に自転車を停める瞬間、壁に前輪をぶつけてサドルからおりる感覚だけが、なぜか鮮明によみがえる。なんでだろ。

さらに、下手をすると夜中の4時や5時に「バチン!」と聞こえて目が覚める。
耳元でするのか体の奥で鳴っているのかわからないで、とにかく飛び起きる。いや、跳ね起きる。そういう感じ。
大急ぎで部屋を出て、別の部屋で電気をつける。部屋を明るくすると少し落ち着いた。
で、まんじりともせぬまま8時を迎える。

ふーーーー。
いやだいやだ。

あの間、肝臓や膵臓やその他もろもろの臓器に一体どれだけの負担をかけただろう。
本来、日本酒250mlで陥落するところ、その倍くらいの負担を毎日休みなく1年間かけ続けたのだから、人道にもとる罪深さと言わざるを得ない。
タイの仏教なんかが(過去に)厳しく戒律を守っていたのは、やっぱりこういう人道への違背を戒める目的だったのだろうか。
それは自身の健康や長寿とか家族への責任とかとは次元を異にする、人道という言い方はたぶんおかしくて、神とか仏とか、生かしてくれる大いなるものへの畏敬なのかもしれない。
生かしてくれるものに敬意を払うという一周回った自愛。
原因と結果に直接的でつまり効率的な関係を求めない余裕、あるいは保険的な装置。
そういうの、いいと思う。とてもローカルな思考かもしれないけど。

あがめて、おがむ。もうオガムオガム。
ミャンマーの寺に行きたいな。一日ぼんやり。
ひょっとしてヤンゴン人たちももうそんなのんきな過ごし方はしなくなってたりしてね。

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by fdvegi | 2016-06-04 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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