その平熱

「風立ちぬ」を見に行った。
感動してしまった。
胸が熱くなった。

映画の最後、ヒロインの菜穂子さんは空になった。
現実には、死期を悟って誰にも告げず、生きてる内から半分死みたいな山へと旅立った。
黒川夫人の「きれいなところだけ、好きな人に見てもらいたかったのね」という手向けの言葉は、それ単体で十分すぎるほど胸に迫った。

映画は、震災や大戦、軍や特高など、おぞましいものをおぞましい演出で登場させることで、淡々と登場する美しいものをますます美しくさせた。
その極致が空になった菜穂子さんだった。
ヒロインを永久(の憧れである空)にするための映画のように、ぼくには思えた。

ジブリはよく、空を飛ぶことが特徴として挙げられ、「だって空飛びたいじゃないですか」と宮崎駿自身も昔あっさりとインタビューに答えていた。
愛しい女性だからそこへ飛び込んでいきたいのか、愛しい女性に当てはめてしまうほど憧れの空であるのか、それはわからない。
ユングやフロイトに聞くしかない。

けれど、ファンタジーを標榜し続け、それを極め続けたような一人の老作家が、最後の最後の作品で自身の内奥をぶちまけたのなら、それはそれでいいじゃないか。あっぱれではないか。
慎重に積み重ねてきた嘘から放たれて、その様は清々しい。
メッセージなんて要らない。

幼少期の不安、あふれる才能、まっすぐな心、たゆまぬ努力、大仕事への抜擢、外国経験、苦悩と成功、特別でノーブルな雰囲気、愛しい女性、運命的な出会い、はかない命、美しい人。戦争と死の病。おとこたちの欲しいものが全部ある。

北杜夫に親しんだ元文学少年として、こんなにも肌に親しい感銘はない。
戦後の青少年たちが息をひそめて抱えてきたみなぎるような憧憬が、恥ずかしげもなくすべてつまっていた。
その堂々とした告白に胸打たれた。

生きろ、なんてメッセージ、この映画にはない。
生きろと言われなくたって二郎さんはたぶん生きた。
敗戦してゼロ戦が一機も戻ってこなくても、おそらく生きた。
生きねば、なんて彼は思わなかったはずだ。
愛しい人がいた = 生きる。それだけ。
その平熱に感動した。
[PR]
by fdvegi | 2013-09-30 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
<< ほむら立つ それからこっち >>