先日、「博士の愛した数式」を読んで、「悲しみの港」という本を思い出した。
東京の生活で疲れきった主人公が故郷で癒えていく話で、自分への意志というか、自分に夢中で自分にとらわれた主人公と、故郷の自然と、故郷の人々とがぐちゃぐちゃに絡み合っていて融け合っている相関が、頭の中はおろか体ごとぐらぐら揺さぶりをかけてくる、ある意味間違いなく官能的な読書体験だった。 もともと好きな作家だったが、それを読み終えた途端、どうしても本人に会いたくなって、舞台の静岡県藤枝市までバイクを走らせたことがある。そういえばあれもゴールデンウィークで、ひどく寒かった、と見覚えのある公園を通り過ぎたとき、そこでテントを張ろうとして断念したことを、タクシーの中で思い出した。その日も雨で、ぼくは19か20だった。 色んなことが重なってくたびれ果て、何もかもに我慢が効かなくなって今またここへ、スーツに革靴姿で来たことが不思議でもあり、因果にも思えた。ずっと海を見たかったし、波の音を聞きたかった。大井川河口でがらがらと渦巻いている風と、海と波と。それがあれば何とかなると思ったし、それなしに京都へ帰ればおかしくなった。 その夜、雨戸に閉ざされた真っ暗闇の部屋で、ぼくは夢を見た。目を開けているより、閉じている方が明るい夜だった。 焼津駅の寂れた商店街の空き地が何故か芝生の丘になっていて、いつの間にかそれが大井川の河口になり、一昨日の長野にあった、こんなにきれいな空ってないよな、と言葉を交すくらい真っ青できれいな空が広がっていた。ぼくと友人は二人で大はしゃぎして凧をあげ、遥か高いところで小さく小さくなった白い凧は、青い空にできたきれいなしみのようだった。 翌朝、中田島に立ち寄ると、一面の砂丘の向こうに、荒れ狂う海があった。すべてが風だった。足元をかすめる波が聞こえず、名刺は木っ端微塵に吹き飛んだ。余計なものはすべて削ぎ落とされ、風がすべてを洗い、完璧な漂白をする。 遠からずのうち彼女は俺と関係ない人になる。そんな人もいる。 ぼくはだいぶん軽くなり、新幹線の駅へと向かう。
by fdvegi
| 2005-05-09 00:30
| 本を読んでみた
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