地震と津波は多くを奪ったし、もろい原発がそれに輪をかけた。その結果、これまでの生活の方針、社会の原理、産業の目標がすべて変わった。多くの被害者と共に電気の足りない国で放射能に脅えながら暮らす。
つまり、我々は貧しくなるのだ。 (池澤夏樹2011年4月13日読売新聞24面) この一言が聞きたかった。 それなりの知性から、これをちゃんと、しっかりと伝えられる必要があった。 この国の形が変わってしまう不安。 時々刻々悪化していくとしか言いようのない数値、事実、発表の中で、この不安が漠然とこみあげてきて、調子の悪い胃腸のように体の中に重たいもやをかけていた。 この正体がわからずにいたけれど、そう、ぶっちゃけていえば、日本は貧乏国になるのだ。 これは個人としての貧乏ではない(それなら知らないこともない)。 国としての貧乏だ。 つまり、現役世代にあたるぼくらの多くが経験したことのない貧乏だ。 国籍は力だ。 少なくとも今のぼくにとって、日本国籍はおそらく、何にも代えがたいトップクラスの武器だろう。 日本国籍とはつまり、支援できる国の人だということだ。 けれどもう、それがない。 腹をくくらなくてはいけない。 通常通りの消費を励行するのは大切だとは思うけど、ぼくらがいくらこれまで通りに消費を続けても、ぼくらは昨日までの日常に戻るのではない。 否応なく未体験の貧困に突入していく。 賢明な池澤夏樹はこう続ける。 よき貧しさを構築するのがこれからの課題になる。これまで我々はあまりに多くを作り、買い、飽きて捨ててきた。そうしないと経済は回らないと言われてきた。これからは別のモデルを探さなければならない。 被災地を見て、要所要所に賢者はいると思った。若い人たちもよく動いている。十年後、この国はよい貧乏を実現しているかもしれない。 ぼくにはまだ、「よき貧しさ」や「よい貧乏」を想像できない。 それを敢然として受入れる自分が想像できない。社会が想像できない。 貧乏な国の私を想像できない。 亡くなられた人がいて、亡くされた人がいる。 被災地で苦労している人がおり、商品不足や電気不足に困っている人がいる。 そういう人にしてみれば、生活実感のないのんき者の不謹慎に過ぎないのかも知れない。
by fdvegi
| 2011-04-13 00:30
| 東南アジアなん
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