ゆめゆめ

いつも行ってる馴染みの散髪屋さんで、不意に「夢って何ですか?」と尋ねられた。

尋ねた散髪屋さんは立派な自分の店を持ち、年に一度は内装を変え、いつも外国産の車をとっかえひっかえし、先日はいかにも高そうな巨大スピーカーを店内に設置してしまうような、とにかく決して“学校出たての若い子”とか、そういう類の人ではない。
結婚してお子さんもおり、犬も3匹も飼っている。

別に恐ろしい人とか高圧的な人ではなく、フレンドリーでおしゃれで、しかし無闇に多弁ということもない。
かれこれ4・5年も通っていれば、客がおしゃべり好きか、おしゃべり上手か、そんなことはすっかり完全に把握しているに違いない。

そうしたことを考えると、彼があえてぼくに「夢は何か?」と尋ね、あまつさえ、そこはかとなく躊躇の態を示すぼくから、はぐらかして逃げ切る隙をやんわりと摘み取り、しかもハサミを止めて鏡ごしに向き合うような立ち位置を取ることは、つまりまさしく、ぼくの夢を本気で聞き出そうとしていると理解するほかない。

なるほどね、夢ね、となんだかそんな風に自分の中で間をおいた。

「人の金で外国に行くことです」
「アメリカ行きましたし、タイにも行くし、もう叶ってるんですか」
「いやいや。行き続けることです」

言ってしまっておいてから、我ながら何とも身のない話だなぁとは思いつつ、しかしそれでも、シンプルで嘘と飾りはない、まぎれもなく自分の希望ではあるなとひそかに感心もしたのでした。

なるほどね、と一息おいてから、ぼくはちょっと視界が明るくなったような気になった。

夢がかなうということは、別に何かを勝ち得ることではなくて、絶え間なくプロセスを楽しむことでもいいんだな、と。

それはもっぱら「生き方」とか「ライフスタイル」とかそういった言葉で表現され、獲得型の夢を追い求める、いわゆる夢主流派をこそ「夢」だとする昨今の風潮の中では、脱力系の亜流であるかのような、「敗れた人のさやかな悟り」であるかのような、「諦めた人の前向きな慰め」かのような印象を与え、ぼくはどうにも好きになれずにいたけれど、なるほど、この過程をこそ「夢」だというのなら、人はだいたいにおいて夢を追い、それを楽しむ若木と言うことができてしまう。

それって、かなりクリエイティブな社会ではなろうかって気がするんだけど、どうだろう。

たとえば、「5色の野菜を食べる」ことだって十分に有意義でハッピーな夢ある暮らしではないのか。

どうだろう。
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by fdvegi | 2010-07-06 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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