足るを知る

マイナス50度とか60度とかいう冷凍倉庫の中に、クロマグロが姿のまま何トンと保管されていている様子は異様の一言に尽きた。
その様子が何度となく流される(ぼくは2度見た)こと自体もまた異様に思えた。
とにかく異様なムードに覆われていた。

日本が狙い撃ちされているとか、マイノリティの文化が踏みつぶされているとか、元野球選手で元プロ野球チームの監督の星野仙一がそういう物言いをしたかと思うと、元官僚で元大学教授の村尾キャスターも真顔で同じようなことを言っていた。
徹底的な科学的調査をもとに議論すべき、と彼はもっともらしいことも言ってたけど、科学的に言ってマグロは減ってるんじゃないんだろうか。
漁獲量はものすごく減ってるって言うし、体長もずいぶん小さくなっていると聞いた。
第一どのくらい時間がかかるんだ。

それに、科学的な調査がどうだこうだという話に基づいて行っている捕鯨だって、現に今のところあれこれ問題をはらんでいることを考えると、水中資源について科学的根拠をどうのと言いだすことは、(少なくとも今の国際世論を考えれば)単に問題をうやむやにして先延ばしにすることでしかないように思えるんだが、どうなんだ。

完全に答えありきの議論でしかないように思える。
答えありきの議論を真顔でされると、なんだかちょっと怖い。

別にマグロが数年、数十年使えなくなっても寿司という文化は残るんじゃないんだろうか。
と、ど素人のぼくなんぞは思ってしまう。
クロマグロを専一的に生きる糧にしている人たちの生活と、その人たちが職業として継承してきたクロマグロに関する技術を除けば、だいたいの生活と文化は残るように思えた。

将来的にクロマグロという種が根絶やしになり、それに関する文化が回復不可能なまでにダメージを負ってしまう危険性に比べてなお、今現に減り続けている(はずの)クロマグロという資源をこれまでと同じペースで獲り続けることに、どのくらい合理性があるんだろう。
マグロへの嗜好とマグロを重要視する食文化をそれほどまで声高に訴える国のとる行動として。

しかも、ふたを開けてみれば何のことはない、多数派工作のかなりの部分は中国のお陰だったそうじゃないか。
国際会議の後、一国の環境相が遠い目で別の国のプレゼンス大きさについて感慨をもらす姿は、これもまた異様というか、どうしようもなく切なく思えた。

こうなるとさすがに、マグロが残ったー!わーい!と無邪気にマグロを食べ続けることは、結局できなくなったんじゃないだろうか。
文化もそうそうだけど、そういう神経もまた残ってしかるべしだと、人は時々そう思う。
こちらは正直、嬉しいばかりの話でもないけれど。
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by fdvegi | 2010-03-21 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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