コマーシャル・シングル

ドラマ「おひとりさま」がすごい。

まず出演している観月ありさがすごい。
8頭身もすごいが、腰の肉づきがシャレになっていない。脚の細いビヨンセみたいになっている。日本人でもあんな体形になるんだな。

馬の後足に蹴られたら体中がボキボキに折れてしまうイメージがあるが、観月ありさのヒップアタックにも同じくらいの威力がありそうに見える。ものすごい。

そして、同じドラマには観月ありさだけでなく真矢みきも出演している。
二人に挟まれている小池徹平を見ると、思わず「人間は考える葦である」という言葉が口をついて出る。いや、正しくは「葦である」というリフレインが胸に去来する。考えているかどうかはどうでもいい。

弱く薄っぺらで風が吹けば飛んでいく。はかないほどに無力で虚弱。indigenousでvulnerable。国際機関が躍起になって保護を訴えそうな、どちらかといえばそちら側に属している生き物。小池徹平はそんな男性像を体現している。

そして、それを見ている男性は、自分がそんな生き物なのだということを味あわされる。見ているだけで。それがすごい。一種の悟りの境地である。
一度試してみてほしい。ものすごい視覚効果を確かめられるだろう。

そして、「おひとりさま」の描写がすごい。
毎日毎日いっちょうらみたいな高そうな服を着て出勤し、一人で外食するか、帰宅して出前の上握りや釜めしとかを食べている。さらに、少なくとも週に一度くらいのペースで様々な習いごとにも励んでいる。

洋服代、食費、習い事の会員費、これだけで毎月いくらかかっているのか、もう想像もつかない。まさに湯水のごとく使っている。
そして、自分でも高給をもらっていることを堂々と明言する。

これほど頭抜けた独身女性像が、このご時世あり得るだろうか。
いや、あり得ない。

ぼくの知っている「おひとりさま」は、基本的に出費について手厳しい。
質素という言葉に好ましくない印象があるとすれば、ナチュラルとか自然とか手作りとか、そういった言葉が示す価値観に依って生きているケースが多い。
それに、テレビで見る限り、「婚活」に精を出している「おひとりさま」の背後には、経済的な不安も見え隠れする。

その極北に切り立つかのような観月ありさ。
恐ろしい。

ただ、ひとつ立派だと思えることは、観月ありさの醸す丸みである。
丸みと強さの共存である。
基本的に80年代っぽい服装らしいけれど、上品で知的でスキのなさそうなトップス。
優雅で洗練された風なスカート。

そこには、バブル時代の背伸びや踊らされたやとんがり感も、ついこないだまで「負け犬」と呼ばれていた人々のそこはかとない悲しみもない。
強そうなのに優しく、賢そうなのに美しい。
自由で知的で闊達とした人間像なのである。

これほど人間讃美的な女性描写が過去あったろうか。
いや、ない。
ギリシア時代の市民以外、そんな人間あり得ない。

そんな空想上の生き物を、生き生きと演じる観月ありさは、その瞬間にこそまぶしい輝きを放っている。暗い顔なんて見なくない!悩んでいる姿なんて似合わない!

そう、それが観月ありさであり、「おひとりさま」がひそかに求められているというか、「おひとりさま」の理想の形として当事者でない人々が勝手に描き、その描く姿をついつい追い求めてしまう「おひとりさま」たちの頂きなのかもしれない。

そこへ行くのは我々ではない。女性なのである。
その仕組みこそが本当にこわいほどすごい。そう思う。
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by fdvegi | 2009-11-13 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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