梅雨の夜に

街のど真ん中に住み始めて約一年。
日々食べ歩き飲み回り、
どうでもいいことがわかってきました。

京都の飲食店はとかく狭い。

あ、いい感じ。
と思ったお店に限って狭い。
基本はカウンター。テーブルがちょろっと。
そんな感じがやたらと多い。

最近そういうところにちょっと疲れを感じてはいるけれど、
大きなお店で写真満載のメニュー表を手に取ると、
それはそれでどこか味気ない気持になってしまうのもまた事実。

お店の人の手探りしてくる感じ。
距離を測りかねている感じというか、
なんかやりづれぇな、ていうのが伝わってくる感じ。
これが京都の味わいなんでしょう。

妻に言わせると、とにかく敷地が狭いから、だそうで、
なるほどそれは真理、物理的な壁は乗り越えがたい。
と思いはすれ、同じく肘がぶつかり合うような新世界の串カツ屋や
新宿西口のすし屋ではそんな感じはしないんですよね。

となるとやっぱり、
住環境については、マンション増加や世代交代で図らずも希薄化されてきた、
「お隣さん」の感覚の生き残りだと思わずにはいられません。
つまり、「素性もわからん人を家に上げるなんてようやりません」的な、
「素性もわからん人がいる店なんてよう休まりませんわ」的な、
これぞまさしく、一見さんお断り、なのである。
そんな気がする。

そういう小さなお店が京都のお客には選ばれてきたのです。たぶん。
一見さんは店に断られてきたのではなくて、同じ客に断られてきたのだから。

そしてそれと同じ理由で、妙にこぎれいに個室感の担保された坐・和民より、
席と席の間を広めに取るだけだったり、
目線の高さだけ隠すような安易な仕切りが置かれているだけの王将の方が、
この街ではむしろ安心を提供して、生き永らえる。

そんな気がするな。
どーでもいいんだけど。
久々に東本願寺のとこの王将に行きたい。
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by fdvegi | 2009-06-10 00:30 | 京都在住 | Comments(0)
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