出張です。
中国はこれで二回目。 前回は意味不明の無我夢中でほとんど記憶に残っていないんですが、 それにしたって、大きい、という月並みな印象は鮮烈に残っています。 何が大きいって、ひとつひとつの建物が大きすぎるんですね。 だから日本と同じ歩数歩いても、まったく移動している気になれません。 人間は鏡に映った自分の虚像(?)を見て初めて自分を認知するそうですが、 自分についての空間把握もまた、自分ではない(周囲の)ものに依存しているんですね。 つくづく関係において初めて成立するんだなっと。 考える葦ではなく、考えていることか考えているということを知られたい葦です。 要は知られたいんです。 たぶん。 行く前から嫌で嫌で仕方ない用務でした。 かなりの無理を強いられて、がその直接的な理由でしたが、 その真相は、他人の「知られたい→高く認知されたい」に付き合わされる、 それもかなり無理を強いられて、という用務だからだったのでしょう。 大学は「交換を欲望する機関」というのが 浅薄ながらぼくの考えるところでしたが、 今回その生々しい現場に立ち会わされる機会を得て、 「認知を欲望する実体の集合」だという認識に変わりました。 あるいは加わりました。 (当然なんで、「わかってる」と言えば最初から大いに「わかってる」んですけどね) 国際交流担当部署なんてなくなってしまえ、と唱える人は多く、 ぼくもその考えに与するところではありますが、 しかしながら依然として、国際交流は大学単位で維持・制御しなくてはいけない、 という思いは強く、今回はその思いをさらに強めるに至りました。 アトムな認知の欲望をマクロな交換の実施に変換する機械が要ると思うのです。 でなけりゃ嫌で嫌で仕方ない用務の拡大にしかならない。 大学があること自体が、あるいはその機械が既にあることなのかも知れません。 その辺、まだちょっとわかりません。 もっと色々見てみたいですね。ぼくは見るまでわかりません。 それらの現場現場はやっぱり嫌で嫌で仕方ないのかも知れないけれど。
by fdvegi
| 2009-03-14 00:30
| 京都在住
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